自分古文書(2)「赤い発光体」1

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来日山遠景
前は円山川を渡る京都丹後鉄道宮豊線
(往時は国鉄宮津線)
写真はネットから拝借してきた 

2025.7.16

大学受験の大切な時間、こんなことに費やしてよいのだろうかと、心配するかもしれないが、机に座っておれば受験勉強ができるわけではない。気分転換は何も屋外へ出て身体を動かすことだけではない。同じ机の上であっても、メリハリが必要だと思う。60年前のことながら、体験者が言うのだから間違いがない。それにしても、夏休みとはいえ、四日間の気分転換はやり過ぎか。

この物語の舞台は記載がないが、来日山(来日岳)標高566.6mの独立峰で、ふるさとの豊岡盆地からは、低い山並みの向こうに小高く見える。この山の読み方は、地元でも各地域によって異なり、くるひだけ・くりいだけ・くるひやま・くりいざんなどが有る。それだけ、但馬北部の各地から見えた山だとう証拠である。自分たちは「くるひざん」と呼んでいたように記憶する。「狂い惨」と文字を当てはめれば、「八個の活字」を思わせる山名だと、今気付いた。

今では山頂近くまで車で行けるらしいが、往時は円山川畔から歩いて登るしかなかった。それでも、何度か登った。見晴らしと雲海が有名というが、自分の記憶にも豊岡盆地方面に広がった雲海を見たような記憶がある。自分の体験か、後から付いた知識か、不明であるが。

「来日」は「日がやってくる」、まさにこの小説のラストを思わせる山名だが、そのことを意識しては、いなかったと思う。 

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赤い発光体

     はじめに

 ある夏の日、川端康成の『伊豆の踊子』を読んでいた。その作品は今までにも数回読んでいたが、今度はいつもと違っていた。読み進んで行くにつれて、自分もああいう小説を書いてみたいという衝動にかられた。それはいよいよ募り、とうとうペンを持ち書き始めた。

 私は出来るだけ文章も似せようと努力した。始めの一、二行はどうにかそれらしい書き出しが出来たと思った。しかし、三行目、四行目と進むにつれて自己流の文章に戻ってしまった。少し失望しながらも書き続けて行った。それでも初めのうちは引き締まった文章が書けていた自信があった。だが、会話が入るようになってから、だんだん文章が軽くなってきた。これではいけないと思い、締めよう締めようと努力しながら書いて行った。けれども、とうとう最後までゆるみっぱなしで終わってしまった。後で読み直してみると『伊豆の踊子』のイメージとは大違いで大いに失望した。

 これは青春小説というよりは、むしろ心理小説に近いものである。だから、これを読もうとする方は一人の高校生の心がどのように変遷して行くかと追いながら読んでいただきたい。筋ばかり追おうするなら、平々凡々な筋に失望することを保証する。もう一つ、その場の情景を頭に浮かべながら読むと面白いのではなかろうか。この二つを念頭に読まれるなら、少しは私が書こうとしたことが解ってもらえると思う。

 これは『八個の活字』に次いで、私の作品の第二作目である。これを高校生活の記念としたい。なおこれを書きあげるのに四日間かかったが、これらの時間を浪費したとは考えない。それらの日々は実に充実した日々であったからだ。

     昭和39年8月28                      さわやかな朝、自宅にて

                                     

 熊笹が両側からおおい被さって、ひどく急勾配の山道であった。草の臭いがむんむんとする中を、頂上を目指して黙々と登っていた。九月の陽光は容赦なく照りつける。額、ほお、首、至る所に汗が吹き出し、じわりじわりと筋を引く。鼓動は激しく打ち、呼吸は次第に速さを増してくる。登ることに苦痛を感じ始めていたが敢えて休憩は取らなかった。そればかりか自分を苦しめることにある種の快感を感じていた。こうしている時だけあの苦悶から逃れることが出来たからだ。

 スズメバチがうなり声を上げ、弾丸のようにかすめ脅かして飛び去った。黒いビロードのような羽根のアゲハチョウが眼を楽しませ熊笹の中に姿を消して行った。私にとって彼らだけが友であり、その瞬間だけが慰めであった。それ以外、私は常に孤独であった。そして、その苦痛と孤独に耐え切れなくなり、逃げたい気持になった頃、熊笹道から不意に開けた台地に出た。

 視界が開けて、風が肌から汗を奪って背後の山を駆け登って行った。わずかに秋の感じられる山や谷が鳥瞰図を見るように眼下に広がっている。空には足の早い雲が流れて行く。鳥瞰図の上の濃淡も何かに追い駆けられるように変化して行く。山や谷を越えた向こうには波の光る海が見えている。水平線よりもくもくと湧き上がる入道雲が唯一の夏の名残と言えようか。

 白い波を蹴立てて走る快速船や、典型的な溺れ谷で凹凸が激しくて好都合な漁港となっている海岸や、海の中にぽっかりと取り残されて浮かぶ小島を見ていると、小人国に流れ着いたガリバーになった錯覚に陥り、しばらく夢想に浸っていた。

(つづく)

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