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今年度最初の掛川古文書講座

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頂いた「石川依平学習会」の資料 金谷郷土史研究会も こんな活動を見習いたいものである  2026.5.14 午後、掛川図書館の古文書講座に出席した。北原先生とも長いお付き合いになる。館長さんの挨拶の中で、始まったのが2008年と聞いた。先生の挨拶でも、もう20年近くになると話された。自分も随分昔から同講座を受講しているが、、帰宅後自分の記録を調べてみると、受講を始めたのが2009年の7月だった。随分年月が経ったものである。おそらく一番古い受講者の一人であろう。 受講の間に親しくなった人も居たけれども、いつの間にか姿を見なくなってしまった。それだけ長い年月が経ったことになる。この間に自分も古文書解読の講師を始めて、それも10年近くになる。お互いに達者だからやれて来れたことだと、感謝しなければならない。 今年も60人の人達が受講名簿に載っているとか、人気の講座である。今日は初心者もいるのでやさしい課題であった。ほとんど疑問になる所はなかった。 今度の図書館の担当は、入館仕立ての女性で、古文書も読めるらしい。若い方が読めるのはすごい事である。講座が終わって少し話したところでは、山内一豊時代の武家の古文書を読んできたらしくて、村方の文書はまだ読んだことがないという。彼女が今からだと何十年も時間があるから、頼もしいし、うらやましい。自分たちは出来てもあと数年だから、などと話した。 講座後、講座内で案内のあった、同図書館の展示場に展示された、石川依平(よりひら)の展示を見学した。掛川古文書講座で顔見知りのH女史が主宰されている「東山口を知る会」で7人ほどの会員が学習された、石川依平についての、かなり突っ込んだ発表展示であった。 一年に5回ばかりの会で、これだけの発表をされたのはすごいというしかない。金谷郷土史研究会も毎月例会をしているが、これだけのパワーはない。若い人が積極的に動いてくれたからと、H女史からは聞いた。 H女史とは向こうから話しかけてくれて、古文書解読に関わる色んな話を立ち話であったがした。自分は古文書の解読そのものを楽しんでいて、この楽しさを若い人にも伝えたいと思うばかりであるが、H女史は仲間を作ってテーマを決めて、色々と調べて行く方らしい。次なるテーマを見つけるのに苦労しているようであった。 次回、自分の活動の一端の資料を、提供しようと思う。何かのヒン...

久しぶりに牧之原市史料館に行く

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今井伸郎像 (ネットより拝借) 旧邸宅跡に出来たことは最近知った あんまり嬉しそうではないな   2026.5.13 午後、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座で、榛原文化センターへ出かける。今年度2回目の講座である。今までの受講者で、仕事が入って来られなくなった人が一人、この春から新しく受講される方が二人で、今年度は12人の受講者となった。 この講座は自分が関係する講座で、受講者の発言が最も多く、活発な講座である。地元の郷土史について、蘊蓄をかたむけ、自主的に様々な資料を提供くれる方を始め、自分の得意とするところで、それぞれ発言していただける。それにつられるように、疑問に思った点、質問などが飛び交うわけである。皆さんの講座だから、発言は出来るだけ妨げないようにしている。ただ用意した教材がなかなか 進まないのが、少し困った状況なのだが、別にノルマがあるわけではなく、皆さんが楽しんで学んでいただけるのであれば、問題はない。 講座の後、久しぶりに牧之原市史料館に寄って、H氏に会ってきた。この処、忙しそうだったので、予約も取らず、ダメもとで資料館に行ってみた。突然の訪問にも関わらず、時間を取って頂き、お話をしてきた。この頃、係長に昇進 されて、仕事が増えたようで、道理で忙しそうだと思った。 クラウドファンディングで資金を集めて、田沼意次ゆかりの刀を購入した苦労話をとっかかりに、当方から聞きたかった二つの事を聞いた。   一つは今井伸郎氏が書いた地誌のこと。竹下村誌稿によれば、今井伸郎氏が書き残した地誌があって、相良の役場で読ませていただいたという。100年も前の話で、行政組織も大変わりしているから、どうかと思ったが、そのコピーを見せて頂けた。現物は今井伸郎氏の二女 しずさんが嫁に行った矢部家に、現在も保管されていると聞く。コピーからコピーをさらに取って、解読など利用させてもらうには、矢部家の了解がいるようであった。その時は交渉はお願い出来そうであった。地元に近い所は詳しく、離れたところは簡単に書かれているようであった。 今一つは前から気になっていた「蕉園渉筆」のことである。聞けばこれは漢文で書かれていて、相良町史や静岡県史にも全文載っているようで、いつでも読めそうである。ただ全文本格的な漢文で、読むにはかなり苦労がありそうであった。 ばたばたした半日であったが、...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(4)

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養鰻場の空に鳶が集まる 2026.5.12 金谷郷土史研究会の最高齢のK氏が亡くなられたと聞く。この一年ほどお 顔を拝見していないと思っていたが、ご冥福を祈ります。 静岡県海岸ウォーク二日目を続けよう。 ***********************************************************************   12:40    村社八幡諏訪神社( 17,772 ) 八幡さんと諏訪神社が重ねられた社名は珍し いのではないか。トイレを借りる。 13:30  郷社女河八幡宮( 23,285 ) 古くからの人家が密集した集落の縁の防波堤を 歩く。防波堤のすぐ内側の八幡宮の“郷社”がコンクリートで塗り潰されていたが、 その部分の色が変わってかえって目立っている。明治建立の鳥居と大正建立 の鳥居が重なってある。 14:05  入出( 26,888 ) 通れないかと思った浜を張り出した木や竹をはねのけ、潜 って抜ける。防波堤を入出の集落に向かって歩く途中に、ビニールハウス の養鰻場 があり、余り餌を狙う鳶か恐いほど集まっていた。 14:16  正太寺( 28,029 ) 宇津山に霊園があるようだ。岬が通れなければ宇津山を 越えねばならないと思いながら、ひたすら海岸を歩く。湖に入って牡蠣を採 る人達が数人。岩場をかまわず進む。進めなくなったら戻ればよい。 正太寺鼻 向こうに赤いアーチ橋の新瀬戸橋が見える 14:23  正太寺鼻( 28,676 ) 向こうに赤いアーチ橋の新瀬戸橋が遠望出来る。「正 太寺鼻」を回ると北風が急に吹き出した。振幅の短い波が打ち寄せる。対岸 の洲ノ鼻から浅瀬を示すブイが一列に並び、水路を狭めている。これより奥 側が「松見ヶ浦」である。 14:50  ヤマハマリーナ( 31,759 ) ヨットや モーターボートの中を歩くのは何となく気が引ける。 その先に何と、水鳥の群落が待っていた。急いで持参した双眼鏡を使う。 15:12  大知波入口( 33,240 ) 今日は知波田までと考え始めていたが、知波田に入 って、どおせバスに乗るなら歩ける所まで歩こうと先へ進む。バスは一時間 に一本。4時 20 分のバスに決めて先へ歩く。 16:07  藤江バス停( 36,652 ) 水辺には水鳥がびっしりである...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(3)

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  浜名漁協鷲津支所辺りより  ⇧          浜名湖の向こうに 富士山 が見える   2026.5.11 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座、明後日の準備。新入受講者二人のために、どこまで初歩的なことに触れればよいか、ベテランも多い中で、考えてしまう。まあ、最初は解らないことだらけと思うが、続けてみて下さい。だんだん分かるようになります。 静岡県海岸ウォーク二日目である。 *********************************************************************** 静岡県海岸ウォーク2  松見ヶ浦にホシハジロの群れ 新居町➔競艇場➔鷲津➔入出➔正太寺鼻➔藤江 平成4年2月10日(月)快晴 風弱し 8:40  自宅(万歩計    0 ) 今日は新居町駅から三ヶ日まで行きたいが、少し無理 であろう。湖岸沿いにたどるのは随分時間がかかるから。仕事に行く女房 に駅まで送らせる。 9:05  金谷駅 (    520 ) 年始めに「むらい」で買った山歩き用ズボンを初めては く。電車の来る間にホームを歩いて見る。動きやすそうだ。 10:02  新居町駅 ( 1,565 ) 今日は競艇通いの“おっちゃん”も少なく、電車は空 いていた。運転手の真後ろに立った。電車の運転も今日のように天気が良い 日は楽しそうだ。保線の人夫達に、注意と挨拶を兼ねた警笛を鳴らして、信 号や時間表を指差チェックしながら、軽快に走る。 10:18   競艇新大橋 ( 3,231)  前回、新幹線と東海道線に阻まれて行けなかった、 西浜名橋の北側まで足をのばす。完璧主義である。こちらの道路の橋を競艇 新大橋という。 10:42   浜名湖競艇場北西隅( 5,890)   少し戻って、車道橋に付属した歩道橋を競 艇場へ渡る。開催日ではなく、広大な駐車場には車が一台も無かった。ガラ ンとした場内には開催日の実況録音が小さく流れている。周遊道路を浜名湖 沿いに歩く。座骨神経痛は嘘のように良い。 10:48   競艇大橋( 6,589)  競艇大橋を渡って競艇場とも別れる。 11:27   浜名漁協鷲津支所( 10...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(2)

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浜名バイパス延長の 白い橋桁   2026.5.10 今日は母の日、子供たちからお祝いが届く。 今朝の静岡新聞に、見付天神で眠っていた古文書がひも解かれたニュースが出ていた。裸祭りの古い記録も明らかにされるようである。一部、写真も出ていたが、不鮮明で 判読は 無理であった。ただ、同時に 本殿の棟札の写真があった。これは何とか読めそうで、解読してみた。棟札を扱うのは初めてだが、さっそく今月の面白古文書で紹介してみようと思う。 静岡県海岸ウォーク初日の続きである。 *********************************************************************** 14:00  潮見坂下 (17,983)  レストハウス「さざ波」で缶コーヒーを買う。シャワーも使える ようだ。前方に浜名バイパスの延長にともなう白い橋桁が続いている。遙か 向こうに浜名大橋が盛り上がるように見える。 波打ち際の鳥が 群れ 14:27 浜名バイパス入口(大倉戸)下 (21,039)  海岸沿いの道は浜名バイパスの内側に入 ってしまったので、これより砂浜を歩く。背後から西風に押されて楽だが、 砂に足をとられる。固そうな所を選んで歩く。波打ち際にはチドリ程の鳥が 群れをなしている。小虫をついばみながら、引く波を追いかけ、打ち寄せる 波に逃げるさまが可愛い。 15:26  浜名バイパス料金所下 (27,738)  1時間の砂浜歩きは足にこたえる。 浜名大橋下 「今切口」 15:45  浜名大橋下 「今切口」(29,185) 橋の下は絶好の釣り場。釣り人が居並ぶ。 16:28 西浜名橋下(34,531) 完璧を期するため、西浜名橋まで足を伸ばす。橋下 の歩道を潜り道路向こうに出る。さらに北側には東海道線と新幹線があるが その向こうにはここからは渡れない。歩道は橋を渡って弁天島方面へ続いて いる。缶コーヒーを買い、新居町駅に向かう。 16:50 新居町駅(36,703) クラブ活動の中学生で一杯。考えてみると朝食以後食 事をしていない。うどんでも食べようとしたが、終わりですと冷たい言葉。 17:25 浜松駅乗換 18:03 金谷町駅 鷲津までは無理であったが、まずまずであった。 18:40...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(1)

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愛知県との県境の浜  静岡県海岸ウォークスタート地点 2026.5.9 次なる自分古文書は「静岡県海岸ウォーク」である。 、「 静岡県海岸ウォーク 」は、 「 東海道五十三次ウォーク」を始める3年前、歩きの集大成「四国お遍路まんだら」の17年前に一人で歩いた記録である。今からだと34年前になるか。まだ40代で、元気いっぱいだった。 以下、その記録を載せようと思う。 「 東海道五十三次ウォーク」の写真帳とともに、 「 静岡県海岸ウォーク 」 の写真帳も見つかった。東日本大震災後、静岡県の海岸は様変わりしているが、それ以前の写真がたくさん撮ってあるので、現在と比較してみて頂くのもおもしろいかもしれない。 ********************************************************************************** 静岡県海岸ウォーク1  浜名バイパス砂浜歩き 新所原➔東細谷➔潮見坂下➔今切口➔新居町 平成4年2月2日(日)快晴 風やや有り 10:25 自宅(万歩計 617) 歩くことで、人のやらないことをやってみたいと常々 考えていた。東海自然歩道の完全踏破など幾つか考えたが、独創性がない。 地の利を生かして、静岡県境をぐるり回ってみるか。しかし山の県境は道が 付いていない所が多い。海なら殆ど海沿いに道があるから歩けるだろう。静 岡県の長い海岸線を正確にトレイルする。こんな馬鹿げたことは、伊能忠敬以 来やった人はいないであろう。もちろん一人で歩く。早速、5万分の1の地図で確かめて、西から 始めることにした。 トレイルするのに幾つか決め事をする。    最も海岸に近い人の歩ける道を歩く。   その道より海側であれば、防波堤や砂浜などを歩いても良い。   必ず、時間と万歩計の数字を記録し、報告書を残しておく。   カメラを持参しポイントでは写真を撮る。   前回の終着地を出発地としてトレイルを繋いでいく。 今日は新所原から海岸に出て、愛知県と静岡県の県境から歩き始めよう。 今切口で折り返し、新居町まで歩いて、 時間と体力があれば鷲津まで足を伸 ばそう。 11:00 金谷駅 ( 5,144)  昨日は東京で17cmの積雪。そして今朝4時には東京で 震度5の直下型地震で交通機関が大混乱だという。女房は風邪で...

年寄りに銀行振込手続きは至難の技

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やっと見つけた! 「東海道五十三次ウォーク」の写真帳 ピンボケの写真を少しづつ入れ替えようと思う  2026.5.8 もう一と月で80歳を迎える年寄りが、株式や投資信託に回していた余剰資金を、去年の夏、“顔の見える”証券会社に移した。勧誘に来た担当が入社して間がなく、大学の後輩だったことものあり、応援の積りでもあった。 “顔の見える” 証券会社では、アメリカの資産運用の商品を購入した。その商品では毎月一定額の配当が出る。運用が順調であれば、配当であるが、不調の時は元金を崩して配当にあてるというシステムである。年寄にとって一定額出るのは有難い。運用が不調で、元金を食ってしまおうが、どうなろうが、毎月一定額出るだけで充分である。 貧乏性だから、生活は年金だけでやっていける。この毎月送られてくる配当が、銀行預金に溜まってゆくのをみて、ある時ふと思いついた。このお金、孫たちの学資に当てられないだろうか。孫の内、 まーくん と かなくんの 二人は来年の春に大学受験を控えている。この資金で少しでも彼らの進路に選択の余地が増えるならば、生きたお金になる。 自分は外孫ばかり4人だから、向こうの家族に少し気を遣うが、娘たちに話したら大喜びだったから、前へ進めることにした。 さて四月中に、予定した額になったので、 まーくん と かなくん へ、 一回目の送金することにした。少し早い気もするが、これから志望校などを選ぶのだから、早いに越したことはない。残りの三年間は、額は半分ほどになるが、在学中は続けるつもりである。 昨日、銀行へ行き、送金しようとしたら、窓口で、長く送金をしていないと、送金が出来なくなると云われた。振込詐欺予防のための措置なのだが、75歳以上の限定だという。承知はしていたが、「最近、騙される年齢が下がって60代も多いよね」とちょっと皮肉も言ってみたくなる。実際は、こんな送金規制の効果で、年齢が下ってきているのだろう。 送金規制の解除には口座を開設した支店に行かないと、解除が明日以降になるというので、開設支店へ移動した。 手続きが終わって、「相続税対策ではないですよね」と念を押された。その前に孫に学資を援助するとの目的を話していたのに。おそらく、そう聞くことがマニュアルで定められているのであろう。 さらに、送れるのは一日に一ヶ所で、もう一ヶ所は明日でないと送金できま...