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自分古文書(20)ファミリー山行(5)粟ヶ岳

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  今の粟ヶ岳 茶の字は松くい虫にやられて松が枯れ 今はヒノキになっている   2026.10.28 ニュースをみていると、日本全国、一気に冬になった様子である。当地は天気も良く、秋も深まったイメージである。今夜は一枚、掛け毛布を増やすかと思う。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (5) 粟ヶ岳 514m ー  禅師像台座に義父の刻印発見   ー 月 日   昭和58年1月23日(日) 天 候   快晴、冷込むが風弱く、日向はあたたか。 同 行   義父・ 長男 行 程   自宅( 9:30 ) ➡ 西原( 10:00 ) ➡ 安田( 10:55 ) ➡    粟ヶ岳山頂( 11:50~12:45 ) ➡  阿波々神社( 12:55 ) ➡  南平広場( 13:10 ) ➡     中山( 13:50 ) ➡ 初馬バス停 【バス】(15:40~15:53) ➡  掛川駅( 16:13) ➡    金谷駅( 16:29) 感 想    自宅から歩いての山登りは初めて。天気は良く風はなし。水が涸れて 水溜まりに氷が張っている大代川の河床を真っ直ぐ横切って西原に向か う。西原までは昨年11月20日に美貴子と晶子を連れて登った。今日は出 来るだけ舗装道路を避け山道を選んで登る。振り返ると富士山・南アル プス・千葉山・高山などの山が素晴らしい。高草山から伊豆半島の山々 まで見える。 西原に登り切ると茶畑の間の舗装道路をひたすら歩く。富士山は長者 ヶ原の上に鎮座し、おなじみの神尾山・経塚山・八高山、さらに・ ”たけ山 ” ・粟ヶ岳と見え隠れする。茶畑造成中の原を突っ切るような広い道路が 突然消えて、安田部落への下りとなる。安田では県天然記念物の樹齢千 年といわれる大椎を見る。 粟ヶ岳へは中腹位から取りつく。先週の日曜日、下見に車で登った自 動車道は避けて山道を登る。途中『茶』の字の原を横切る。字は松の木 で20~30年たっているようだ。義父が24年前、この麓の小学校へ校長で 来たときの話を聞きながら登る。30分位で頂上に着く。 栄西禅師...

自分古文書(20)ファミリー山行(4)大丸山

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庭に小菊が咲き出した   2026.10.27 「 ファミリー山行 」の掲載を始めて、一番楽しんでいるのは自分だろうか。記憶の薄れた昔の山行を、思い出している。子供が小さくて、義父も元気で、今から思うと、幸せな時代だったと思う。昔は良かったは年寄りの繰り言であるが、20世紀後半、自分が生きた50年は、本当に平和で幸せな時代であった。 この21世紀は色々、ひしひしと、危うさが迫っていると感じるのは、自分だけではないと思う。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (4) 大丸山 572m ー  高原の草競馬場跡にオートバイ  ー 月 日   昭和58年1月9日(日) 天 候   晴れのち曇りのち晴れ 風弱し 同 行   長男 ・長女 行 程   金谷駅( 8:24 ) ➡ 蒲原駅( 9:35 ) ➡ 霊光禅院( 9:55 ) ➡    農道終点( 10:20 ) ➡ 草競馬場跡( 11:00 ) ➡  大丸山山頂( 11:40~12:05 ) ➡    大平山( 12:30 ) ➡  叙情の森( 13:05 ) ➡  中山( 13:50 ) ➡   小山【バス】(15:30~15:39) ➡  富士川駅( 15:50~16:06 ) ➡  金谷駅( 17:15 ) 感 想    金谷では晴れていたが、蒲原では雲が多くて、先を危ぶみながら登り 始める。東名のガードを潜り、霊光禅院へ一登り。境内は葬式の準備中 だった。農道をだらだら登ること小半時、途中、モトクロスに向かうオートバ イ3台に抜かれる。周りは蜜柑畑で薬かけの作業をあちこちに見る。 農道が切れ、山道になって一休みしていると、40歳位のおばさんが段 々になった田圃の畦を何かを探しながら登っている。子供が尋ねると、 『ふきのとう』だという。ざるに半分くらい採れている。言われて見れ ば、畦に蕗の葉が見え、注意して見ると可愛い『ふきのとう』が頭を出 している。日溜まりには、もう春がそこまで来ているのだ。 おばさんにさよならして先を行く。細い山道にオートバイの轍が見え る。山道は大丸山から西に続...

自分古文書(20)ファミリー山行(3)大尾山

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庭の生け垣の、その上に咲いたバラ バラは2.5メートル程の生け垣の中を枝を伸ばして その上に出て、ようやく花を咲かせた   2026.10.26 台風30号は温帯低気圧になったが、その影響で今日も雨、うんざりである。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行( 3)  大尾山 661m ー 『鳥居杉』の大洞に凩吹く ー 月 日   昭和57年12月12日(日) 天 候   晴れ、午後風強く冷え込む 同 行   長男(10才) 行 程   五和駅( 10:10 ) ➡ 金谷駅 ( 10:19~10:26 ) ➡       掛川駅バス( 10:42~10:50 ) ➡  居尻 ( 11:30 ) ➡   顕光寺( 12:30 ) ➡      大尾山山頂( 12:40~13:00 ) ➡ 田代( 14:00 ) ➡ 落合( 14:35 ) ➡      下田( 15:20 )バス  ➡  遠州森町( 15:40 ) ➡  戸綿( 16:15 ) ➡        掛川駅( 16:36~16:43 ) ➡ 金谷( 16:59 ) 感 想   掛川駅からバスで居尻へ。乗客は5人程。山へ向かうバスは皆な貸切 みたいに客が少ない。八高山で見かけた緑の トレーニングウエアの中年女性とま た同じバスに乗り合わせた。 居尻のバス停に『左大尾山』の石標がある。農道から右へ、大きな道 標としっかりした階段の山道に導かれて登る。林の中を15分、日の当た る斜面に出て、ススキの間を蛇行して高度を上げる。斜面が尽きると再 び林の中に入り、右へぐるりと巻いて尾根に出た。そこが駐車場でがっ かりさせられる。 そこから尾根を一登りで大尾山顕光寺、さらにもう一 登りで、杉の古木に囲まれた奥の院がある。 『鳥居杉』(県天然記念物)が天に向けて大きな洞を開けている。そ こが頂上なのだが、展望は全く利かなかった。風が出て梢を鳴らし、少 し休むと汗が冷えて寒い。昼食もそこそこに、お賽銭を上げ下る。顕光 寺では案内を乞い、森町への道を聞く。尾根伝いに行く道は子供連れで は無理...

自分古文書(20)ファミリー山行(2)八高山

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近所の共栄するススキとセイタカアワダチソウ 2026.10.25 近所で、仲良くススキとセイタカアワダチソウが共存している。一時はススキを駆逐すると思われていたセイタカアワダチソウも、 今では遠慮がちに、自慢の背(せい)もススキに負けている。 自然界はかくも平和なのに、21世紀の人間界は、国家エゴだけが際立って、争いが絶えない。人類には、進歩という言葉は無縁の様だ。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (2) 八高山 832.1m ー  杉林急斜面の苦闘、1時間  ー 月 日   昭和57年11月28日(日) 天 候   晴れ、大変おだやかな1日であった 同 行   義父・長男 (10才) 行 程   五和駅( 9:09 ) ➡ 福用駅( 9:20 ) ➡ 馬王平( 11:20 ) ➡       反射鏡( 11:40 ) ➡ 白光神社( 12:00 ) ➡   八高山( 12:10~13:10 ) ➡       前山部落( 15:10 ) ➡ 家山駅( 16:18 ) ➡ 五和駅( 16:39 ) 感 想   福用駅すぐの登り口から登ればよかったのだが、横岡の父が知り合い に聞いたというので、右手の谷へ回り込んだ所から登る。はじめこそし っかりした道があったが、杉林に入ったところからやや怪しくなり、と うとう杉林の中の足場がズルズルずれる急斜面を登ることになる。ただ 尾根だけを目指して、1時間の苦闘の末、尾根道へ出る。 それからは嘘 のようになだらかな杉林の間の山道となり、遠州ハイキングクラブの一行30人程 と、後になり、先になりして登る。白光神社は杉林の荒涼とした風景の中 にあった。周りに2、30本の太い杉が神域として伐り残されていて、 辺りを暗くしている。そこから程無く頂上。 山頂は狭く、ハイキングクラブに占拠された形の為、一段下の広場で食事。山 頂付近は雑木林で見晴らしは良く無い。東側に一ヶ所開けた所があり、 家山の町の上の川根筋の山々、その遙か向こうに飛び抜けて高く富士山 が見える。西側は逆光で、一面がサンシャインの中で光っている。掛川 市内だろうか、建物の屋根が...

自分古文書(20)ファミリー山行(1)高草山

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今夜はちらし寿司 2026.10.24 午後、金谷郷土史研究会の「竹下村誌稿」講座、第5回(最終回)が実施され これより、自分古文書「ファミリー山行」を載せる。30代から50歳で、気管支喘息を発症するまで、20年ほど、山登りを趣味にしていた。色々な山に登ったが、記録が残っているもの、そうでないものも、記憶には残っている。まずは、記録の残っているものをここに掲載する。ちなみに昭和57年は1982年、今から44年前になる。 「 ファミリー山行 」の掲載を始める。 ***********************************************************************   ファミリー山行 (1) 高草山 501.4m ー 初山行、カラス瓜採り、沢蟹も ー 月 日   昭和57年11月21日(日) 天 候   晴れ、小春日和、全体にかすみのかかったような天気なり 同 行   長男(10才)・長女(8才) 初めての山登り 行 程   金谷駅( 9:00 )➡ 焼津駅 ( 9:30 )➡ 石脇 ( 10:30 ) ➡        高草山 ( 12:30 ~ 13:30 )➡ 石脇 ( 14:30 )➡  焼津駅 ( 15:50 ) ➡       金谷駅 ( 16:30 ) 感 想 焼津駅から麓の石脇まで、片道約4.5kmを往復とも歩いた。子供に はややきつかったかもしれない。長女は帰りの焼津駅にもう少しの所で、足が痛 いとぐずる。自分は焼津駅の階段で、一瞬足が痛いと思っただけで済む。 麓の駐車場から、急な登りの雑木林を抜け、なるくなると茶畑になる ことを繰り返し、高度を高めて行く。今日は留守番だが、次女 (5才) より小さい子供も登ってい た。 頂上は静岡側半分が高草山中継所で占められて、眺望が遮られている。 焼津側にも大きな木があり、 180°視界がきかない。しかし、茶畑まで 下った所の展望は最高であった。また岡部側へは中継所へ資材を運ぶ道 路が付いていて、50mほど下った所から静岡側が良く見えた。雲の上に 雲と見紛う薄さで、雪をいただいた富士山が見えるのを長男が見つけた。 花沢山へ下る道は、小さい祠の裏手より続いているらしいが、ハッキリしな い。頂上は焼津の教育委員会主催の山登りの一団(約150~ 200...

解読依頼の、江戸駿府の狂歌より

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  静岡市南部生涯学習センター 2026.10.23 出来上がった狂歌の課題、午前中に静岡市南部生涯学習センターへ、USBと、そのプリント したものを渡して来た。 南部郷土史大学の記念誌を出すので、それに載せる原稿だと聞いている。 係り員が承知をしていて、 USBは先のパソコンにコピーして返してくれた。 江戸時代の後期、駿府では狂歌を趣味とする町人が多く、集まりも多く持たれたようで、今、読んでいる「硯屋日記」も筆者が狂歌好きで、日常生活を題材に、日記の中に、頻繁に狂歌が出て来る。ただ、単に語呂合わせのような狂歌が多く、決して上手とは思えない。 その駿府の狂歌の会で優秀とされた40首が、今回解読したものである。せっかくだから、三つ四つ、その狂歌を紹介しよう。   青柳 あおやぎ に 朝の 京 水 きょう すい   注 ぎ 足 して 長き夢みる  春近 はるちか の宿   暁 あかつき の  枕 まくら 時計に 今一度 かけてもみたき 夢の浮橋   秋風の 吹くたび/\に うなづいて 時知り顔の 萩が 花妻 はなづま     語らいし  連理 れんり の枝も 枯れ果てゝ 胸のほむらの  薪 たきぎ とぞなる これが当時流行した狂歌である。題材に色恋ものが多い。「枕時計」という言葉が出て来た。はて、この当時時計は、どの程度普及してなのだろう。S先生に電話で尋ねたところ、高価だったが、あるにはあったという。裕福な商人なら所持していたかも。 よく意味を考えると、狂歌の楽しみ方が分ると思う。

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(89)(遠州魚)

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  鱠残魚(しらうお) 毛利梅園著「梅園魚品図正」より(江戸、天保6年) 2026.10.22 狂歌の解読課題、昨日、今日、二日で終わる。明日、時間が取れたら届けよう。 今、懐中電灯を照らしながら、入力している。部屋の蛍光灯が切れてしまった。開けてみると、蛇がとぐろを巻いたような 蛍光 ランプが入っている。これは自分の手にはおえそうにない。明日、電気屋さんに電話しよう。 それにしても、パソコンは照明がないと使えないことが改めて知った。キーボードが見えないのだ。   「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) (遠州魚) 〇余在都下嗜春時比目魚、遠州無有也、赤鬃魚多、有、味減都下者、 且皮肉際有悪臭、土人以龍蝦為勝都下、信然、香魚産大堰川者佳、 遠而不得、香魚腐速也、余嗜膾残魚、遠州不産、波津海浜所網、 土人当之、然於真膾残魚 (解読) (遠州魚) 〇余、在都下に在り、春時、 比目魚 (ひもくぎょ) を嗜 (たしな) む。 遠州有ること無きなり。 赤鬃魚 (あこうだい) 多く有り。味都下より減 (げん) ずもの、 且 (か) つ、皮肉際 (ぎわ) に悪臭有り。 土 人 (どにん) 、龍蝦 (いせえび) を以って 都下に勝ると為す、 信然 (しんぜん) 。 香魚 (こうぎょ ) 、大堰 (井) 川に産するものは 佳 (よ) い。遠くて得ず。香魚は腐りが速いなり。 余、 鱠 残魚 (しらうお) を 嗜 (たしな) む。遠州には産せず。波津 (はつ) 海浜網する所、 土人、こ れに当る。 然 (しか) し、真の 鱠残魚 (しらうお) に非ず。 (語注) ※ 比目魚(ひもくぎょ)➔ ヒラメ・カレイの異名。 ※ 赤鬃魚(あこうだい)➔ フサカサゴ科の深海魚。アコウまたはメヌケ,メヌキなどともいわれる。 ※ 信然(しんぜん)➔ 信じるねうちのあること。また、そのさま。 ※ 香魚(こうぎょ)➔ アユの異名。 ※ 鱠残魚(しらうお)➔ シラウオ科の魚。全長十センチ。生きている時はほとんど無色透明、死ぬと白くなる。日本海全域と、太平洋側では本州中部以北に分布。汽水域にすみ、春、産卵のため川を遡る。( 波津のものは し...