投稿

【活動の記録】と【読了図書】2月15日~3月15日

イメージ
車に高齢者マークを付けた 2026.3.1 7 もう、3ヶ月足らずで80歳になる。先日の 自動車免許の高齢者講習で、高齢者マークを付けるように言われた。高齢者マークは前々回、最初の 高齢者講習の時に購入してあったが、付ける機会を逸していた。もう80歳になるのだから、堂々と付けようと思った。だが、駐車場はマークの付いた場所には、抵抗があって、まだ止めていない。 金谷宿大学の成果発表会が済んで、行事が一段落した気分になっている。そこで、この一ヶ月の 「活動の記録」と「読了図書」を記そうと思う。   *******************************************************     【活動の記録】 2月18日   午後、金谷郷土史研究会、 「大地震能記」をテーマに話す 2月21日   午前、 金谷宿大学「古文書に親しむ(初心者)」講座教授。         午後、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」講座教授。 2月24日   夜、金谷宿大学教授会。 2月25日        午後、 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」 講座講師。         2月11日分の実施。  3月2日   新居の旅館「あさしお」に一泊  3月9日   午前、自動車免許高齢者講習 3月11日        午後、 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」 講座講師。 3月12日   午後、掛川古文書講座、予定表へ記載を忘れて欠席。   3月13日   午後、金谷宿大学発表会会場準備。 3月14日   午前、金谷宿大学発表会にてミニ講座実施。         午後、 「 駿遠の考古学と歴史」講座受講。 3月15日   午後、金谷宿大学閉・開 講 式、片付け。   【読了図書】 読書:「 本所おけら長屋(十九)」  畠山健二  著 読書:「本所おけら長屋(二十)」 畠山健二 著 読書:「本所おけら長屋外伝」 畠山健二 著 読書:「灰は灰 新宿探偵鬼束啓一郎」 香納諒一 著 読書:「やっぱり犬は知っている」 大倉崇裕 著 読書:「おれは一万石」 千野隆司 著 気忙しかった割りには、ここへ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(17)

イメージ
丁子屋 2026.3.16 金谷宿大学成果発表会も無事終わって、ほっとしたせいか、今朝はよく寝られて目が覚めたら10時前であった。 東海道ウォークの六日目を続ける。 ******************************************************************************** とろろ汁の丁字屋の藁葺の店に入ると、団体と間違われ奥へ案内されそうになった。とにかく『東海道』スタンプ「丸子宿」を押すことが先決と、案内所で店を広げる。箱根から押して来たと話すとお褒めとねぎらいの言葉が番頭さんからあった。 スタンプ「とろろ汁」 鈴さんの意見で、入口の『芭蕉さんの部屋』の囲炉裏端に席を取る。黒光りする梁には「ちょうな」の痕も残っている。囲炉裏には火が入っていた。とろろ汁セットの『丸子』を注文した。とろろ汁、麦飯、味噌汁、むかご、お新香。ところが、食べている所を団体さんや個人客が、とろろ汁を横目で見ながら、次々と通る。まるで客寄せマネキンになったみたいだ。 とろろ汁を食べ終わって、案内所で関連書籍を見ると、由比の倉沢の望嶽亭藤屋主人の画集が出ていた。かつて訪れたおり、画集を出すと言っていたが、実現したようだ。臼さんは口語訳の東海道中膝栗毛を読んだが、大変面白かったと話す。そこへ初老のご夫婦がスタンプを打ちに寄った。聞くと箱根から打ち始めて、丁度我々と同じ進行であった。なお今日はここで帰ると話す。 店の外には、芭蕉の句碑や一九の歌碑が残っている。 梅若菜 丸子の宿の とろろ汁    芭蕉 けんかする 夫婦は口を とがらして 鳶とろろに すべりこそすれ  一九 一九の歌は膝栗毛の丸子宿の段で、茶店の夫婦の夫婦喧嘩の巻き添えで、とろろ汁を食い損ねた場面の、直後の一首である。 土産物店で鈴さんと和さんは蕗の佃煮を買う。鈴さんの話だと、脱サラで始めた人がいるという。道路を隔てた丸子川の橋の袂に『丸子宿』のサインがあった。 府中宿  4.4km   → 【静岡市 丸子宿】  →  岡部宿  7km 国道沿いの三キロほどの道のりは、余りに暑くて苦行に近かった。しかし、日傘を差すと少しは違うからと、勧めてみたが誰も乗ってこなかった。確かにこの姿で日傘を差せば、恰好よいとは決して言えない。 蔦の細道入口のバス停で一休みす...

金谷宿大学成果発表会あれこれ

イメージ
金谷宿大学成果発表会の展示 2026.3.15 昨日、今日と、金谷宿成果発表会が夢づくり会館であった。 展示は、いつも通り、面白古文書12月の昨年1年分の発表と、ミニ講座の内容の展示、および、今回は「竹下村誌稿」の解読版の紹介をして、同誌稿の見本を置いた。 土曜日の朝の「古文書に親しむ」のミニ講座は、来年度、初心者コース及び経験者コースで手分けして取り組む、掛川各和村の「喜三太さんの記録」の、はしがきを解読紹介した。解読が30分ほどで終わってしまったので、自分が古文書解読を勉強して、講師までやるようになった経緯を話した。さらに、自分が解読して、金谷郷土史研究会が活動の一環として発行してくれた「竹下村誌稿」の紹介に時間を使った。 20人ほどで聞いてくれたのだが、会場が大ホールで、聴いてくれた大半が、その舞台で引き続き行われる発表の見学者で、どこまで聞いてくれているのかが、その手ごたえが伝わってこない。講座をやるには会場が大きすぎる。あとで、学長さんが声を掛けてくれたので、何とかならないかと、来年からの善処をお願いした。 今朝の「駿遠の考古学と歴史」のミニ講座では、「竹下村誌稿」の歴史家からみる評価、および宣伝をしていただいた。一つ、著者が誌稿を書く上で、参考にされた参考文献が「竹下村誌稿」の解読版から落ちている点の指摘があった。その参考文献を見ると、著者が勝手に書いたものではなくて、文献を読み込んで書いていることがよくわかる。これはもう、村長さんの余技ではではなくて、立派な学者の姿勢だと著者の渡辺陸平氏を褒めて頂いた。後刻、金谷郷土史研究会事務局のNさんとも話して、その部分を追加で添付しようかと話す。 自分は、みんなが読めるよに解読しようと、自分のブログで毎日少しづつ作業したのだったが、解読版の出版について、その構成は、事務局に任せてしまった。もっと、色々な人の意見を聞いて発行すべきだったか、と反省した。 会場の片づけを始めていると、一人の男性が筆で書かれた影本部分を見ていて、「これは外国語か」と聞く。もちろん「日本語の筆文字だ」と答えると、「こんな字が読めるのか」と聞く。「勉強すれば読めるようになる」と答えると、「あなたが先生か」と言葉を残して立ち去って行った。こういう人も多いのだろうと改めて思い知らされた。 これで、今年度の活動も、あと講座それぞれ1回を残すばかり...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(16)

イメージ
  夢づくり会館 こんな広い会場でミニ講座 本当はやりにくい 2026.3.14 朝から夢づくり会館で「古文書に親しむ」のミニ講座を行った。午後は会場を移って「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。参加者は20名ほど。昨夜、熟睡できず、今日は妙に眠く、頭もぼんやりしている。 東海道ウォークは六日目に入る。最近、「遠州三みち」が日本風景街道として、塩の道、旧東海道、太平洋岸自転車道を、との新聞報道があった。自分は以前からこの三つの道には注目していて、旧東海道は、今連載しているようにすでに歩いた。太平洋自転車道路は、「静岡県海岸ウォーク」として、自転車道よりもっと海岸寄りを一人で歩いた。この 東海道ウォークの連載が終わったら、それを連載しようかと思っている。塩の道は相良海岸から掛川まで歩いているが、その先は中断したままになっている。この三つの道は出来れば皆さんにも、ぜひ歩いてみて貰いたい。色々の発見があると思う。 ******************************************************************************** 丁字屋でとろろ汁の客寄せマネキンになる 府中宿 → 丸子宿 → 岡部宿 日時 平成7年7月14日(金) 雨の後、晴れて暑くなる 一昨日、出雲へ出張した。仕事を済ませた後、帰りの飛行機の時間までに、斐川町の荒神谷遺跡に行き、古代蓮と大量出土した銅剣・銅矛・銅鐸を見学した。古代蓮は古代遺跡から大賀一郎博士によって出土した2000年前の蓮で、田圃に植えられ、今花盛りであった。荒神谷遺跡では、祭祀に用いられたものであろうか、古墳でもない所から358本の銅剣をはじめ、桁違いの量の銅器が出土した。その出張で新幹線の冷房がきつく、上着を持って行かなかったため、風邪を引いてしまった。コンディションは最悪であるが、一汗かけば風邪も吹っ飛ぶだろうことを期待して、出掛けることにした。 天気予報がかんばしくなく、午前中の降水確率は50%だという。しかし雨が降るくらいの方が暑くなくて良いと思った。静岡駅駅頭に立つといきなり雨が降り始めた。傘を指しての出発となる。新築の静岡中央郵便局に寄る。音楽ホールも兼ねているというが、入った所が吹き抜けになっていて演奏会も出来るようだ。茶壺型にデザインされた風景入日付印を貰う。 御...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(15)

イメージ
現在の駿府城巽やぐら(ネットより借用) 右手に工事中だった東御門も見える   2026.3.13 午後、金谷宿大学発表会の準備で、夢づくり会館へ行く。一時間ほどで展示を行い、準備を終える。一人手伝いに来てくれた。 東海道ウォーク、五日目を続ける。いよいよ、東海道ウォークも駿府に入る。 ******************************************************************************** 上空高い所を通る東名高速を潜る。秋葉山常夜燈を見つけて、この道が間違いなく旧東海道であることを確認した。 マンションなどが出来て、区画整理で道が変わっていた。少し迷ってひとまず草薙球場前に出た。球場前の広場には、戦前の日米野球で対決した幻の名投手沢村投手とホームラン王ベーブルースの像が相対していた。等身大に作られているのであろう。自分の背と比べると、沢村投手は一.七五メートルぐらい、ベーブルースは二メートルほどに感じられた。広い道を地下道で渡った。臼さんと和さんは高校野球の静岡大会で度々来ていて、この辺りには詳しいようだ。 JR東海道線端に旧東海道記念碑があった。旧東海道は鉄道の敷設によりここで途切れてしまっている。我らは地下歩道を北側に抜けて旧東海道に戻った。 工事中の橋の脇の仮橋を渡ってすぐの、中村記念病院前に、古庄のサインがあった。中村記念病院は当社で検診をお願いしている病院だと鈴さんがいう。検診車がこんな所から来ていたのである。 江尻宿  6.1km   → 【静岡市 古庄】 →  府中宿  3.3km 足が異常にだるくて、護国神社の裏口で休む。長い間、花粉症が酷くて表に出なかったから、かなり足が弱っているのであろう。元気の良いのは鈴さんだけであった。 もう一度JR東海道線を地下車道付属の歩道で、南側に潜り戻して曲金に出る。そこで曲金のサインを見つけた。 江尻宿  8.5km   → 【静岡市 曲金】 →  府中宿  0.9km 遠くから見えた木立を目指し、静岡県の巨木にも入っている大楠群がある軍神社に立ち寄った。軍神社に入る車一台がやっと入れるほどの横町に、アスファルトに大きく「三〇キロ」の速度制限が書かれていた。これを通り抜けるには、一〇キロほどの時速で、そろりそろり...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(14)

イメージ
追分羊羹の店前 2026.3.12 明後日14~15日、夢づくり会館で、金谷宿大学の発表会がある。明日の午後はその展示をしなければならない。また、土曜日、朝には1時間のミニ講座を行う。 今日の午後はその準備をした。思いついて、展示で「竹下村誌稿」を宣伝しようと、Nさんにも話して、案内を模造紙に書いた。あと、現物を二冊ほどと、パンフレットをテーブルに置こうと考えた。 展示物を仕上げ、ミニ講座資料を30部、準備を終える。 東海道ウォーク、五日目を続ける。 ******************************************************************************** 清水駅に立ち寄る。鈴さんを除く三人は、最近ハイキングで歩いた日本平の帰りに、駅スタンプを押していたので、鈴さんのみ駅スタンプを押す。清水銀座の商店街で江尻宿のサインを見つける。 興津宿  4.4km   → 【清水市 江尻宿】 →  府中宿  10.3km 『銀座会館』と言ってもパチンコパーラーではない。清水銀座商店会の会館である。その表に『東海道』スタンプ『江尻宿』のスタンプは置かれた。 東海道スタンプ「清水港」 やはり「清水 湊 」の方が似つかわしい 稚児橋 稚児橋。江戸時代、巴川に掛けられた稚児橋の渡り初めの日、集まった皆んなの目の前を、稚児が川上から上がり川下へ下りて行った。それは巴川の河童であろうといわれ、現在の橋には、欄干の四隅にそれぞれのポーズを取った河童の像が飾られていた。少し前から空腹に柏餅でも買おうかとマーケットに寄ったりして来たが、気に入った柏餅が見つからず、とにかく何か腹に入れようと、稚児橋の袂の自動販売機で甘いだけの洋なしジュースを買って飲む。 日差しが強くなり、暑くなった。今の季節、まだ日陰に入れば涼しいのだが、その日陰がほとんどない。真っ直ぐの通りに『江尻宿木戸址』の石柱があった。 真っ赤な暖簾が目立つ追分羊羹の店があった。創業元禄八年、ほぼ300年の歴史のある羊羹屋である。観光バスも立ち寄るという有名な店のようだ。栗入りの羊羹を買う。昔は塩羊羹であったと言い、今でも販売している。鈴さんに勧められ、和さんは普通の羊羹に加えて塩羊羹も買った。試食をしてみたが、甘さを抑えた羊羹で、本物の竹の皮で包まれていて、懐かしさ...

震災15年目に、大地震の古文書を読む

イメージ
解読冊子「大地震記録」と「大地震能記」 2026.3.10 午後、今年度最後のまきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座を実施した。 この時間、仕事を始めてしまった受講者一人を除いて、10人、前回に続いて出席があり、出席者は全員来年度の継続をしてくれそうで、 新年度にはこれに新しく三名加わることになる。 さて、今日の「面白古文書」は西郷隆盛の手紙であった。先日「何でも鑑定団」で取り上げられたものを、写真に撮って解読した。番組を見ていた人もいたようであった。西郷隆盛の直筆を解読するのは初めてであった。西郷の人となりをあらわすように、親しい人への手紙であっても、しっかりと書かれていたが、教材作成には六時間かかったと、皆さんに話した。 今日のメインの課題は、前回まで手掛けていたものは、途中であるがそこまでとして、この頃、 解読を小冊子にまとめた「大地震記録」を影本と 照合しながら読むことにした。以前、小冊子化した掛川の山崎久麻呂著の「大地震能記」とは、同じ安政大地震を記録しているが、別のものである。出来れば二つの記録を比較しながら読んでほしいと話して進めた。この 「大地震記録」は御前崎市新野のお医者さんが書いたものと思われるが、筆者の名前がどこにもない。 後で皆さんとの話で、新野には鈴木東洋という、新野左馬之助の研究で有名なお医者さんがいたが、鈴木家は代々医者だというから、筆者はその御宅のご先祖ではないか、との話が出た。そういえば鈴木東洋氏の医院跡は今、新野左馬之助の記念館になっているとは聞いたことがある。どこかで確認しなければなるまい。 今日の講座もあと15分になって、サイレンが鳴りだした。それが1分ほど続いた。そう、今日は東日本大震災のあった日で、震災発生が午後2時16分だった。もう15年になる。ここ榛原文化センターは牧之原市静波にあって、海にも近いから、サイレンを鳴らしたようだ。だから地震を記録した古文書を扱ったわけではないのだが、偶然の一致というのも芸がなく、震災の日だから、わざわざ 「大地震記録」を選んだ、ということにしようと思った。