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運転免許の認知機能検査に行ってきた

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認知機能検査の会場、島田自動車学校   2026.3.9 免許更新で75歳以上の人に義務付けられた、認知機能検査に、今朝行ってきた。 あらかじめ予約してあったのだが、土曜日に島田自動車学校から予約確認の電話をもらうまでは、すっかり忘れていた。何といっても認知機能検査だから、学校側も心得たものである。 昨夜はいつもより早く、11時ごろには寝た。ところが、二時間ほどで目が覚めて、気になっていたわけではないのだが、もんもんと二時間以上寝られなかった。その分、明け方に寝たようで、目が覚めたら8時前であった。慌てて朝食もそこそこに島田自動車学校の会場に出かける。 窓口で、検査と講習費用に1万円支払い(高すぎる)手続きを済ませる。まわりは若い人ばかりで、こんな検査がなければ、年寄りには縁のない場所である。始まるまで40分ほど待たされた。こんなことなら、朝、ゆっくりして来るのだった。 認知機能検査にカンニングする人がいるらしく、実例を挙げた注意が手厳しい。人生の大先輩の高齢者に、もっと尊敬の心を持って貰いたいものだ。 認知機能検査ももう三回目で、 似たような問題が出る。 「絵を覚えさせて、後刻その名前を書かせる」「羅列の数字から指示された数字を素早く消す」「今日の年月日と、推定の今の時間を書かせる」の三つであった。何とか答えを書いたが、何も苦にしていないつもりでも、幾つになっても「試験」は苦である。 結局、参加者9人、その全員が「『認知症のおそれがある』基準には該当しなかった」と報告があり、検査結果の通知書をいただいた。随分持って回った言い方だ。この検査に合格した人が、事故を起こした時の言い逃れを考えるから、こんな表現になる。この通知書を持参すれば、免許の更新は簡単に出来るようだ。 あとは、運転実技講習と、目の検査(視野、動体視力、夜間視力)で、午前中いっぱい掛かった。 今日は花粉症もひどく、気疲れもあって、帰宅、昼食後、2時間ほど昼寝をした。

古文書解読に悪戦苦闘

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  こんな古文書に悪戦苦闘 2026.3.8 道楽で始めたはずの古文書解読に、今、悪戦苦闘している。 20年近く古文書の解読をやってきて、誰よりも時間をかけて古文書を読み、どんな古文書でも読んでやろうと、意欲はあるのだが、3月最後の、駿河古文書会の当番で、読み始めた課題が何とも読めない。たった3ページなのだが、悪戦苦闘している。 内容は、藤枝の青島で東海道の道端に捨てられた品々が、大問題を引き起こしたという話で、内容はそんなに難しくはないはずであった。 解読を困難にしている理由は、   1 印刷された影本の字が小さくて細かい。   2 虫食いのような傷で肝心な部分が読めない。   3 影本をきれいにしたために、肝心のかすれ部分などが消えてしまっている。   4 筆者の書き癖が尋常ではない。日本の文字とは到底思えないものもある。   5 固有名詞が多い。ここはいい加減な解読にならざるをえない。 自分なら絶対に課題文書にはしないだろうと思う。読むうちに嫌になって、ついつい自分が趣味でやっている、興味を呼びそうな古文書を 読める化して、 小冊子に作成する作業に逃げている。こちらの作業は自分としては読み返しになるのであるが、色々発見があって楽しい。 古文書で読めない部分は□□で残せはよいともいわれるが、 □□だらけでは文意もつかめなくなる。この頃は読めない部分は、前後関係で、自分ならこう書くと作文してしまう時もある。邪道かもしれないが、そうしないと先へ進めないからである。 さて解読中の文書、3ページの内、2ページまでは、一か所の除いて何とか曲りなりにも読んだ。3ページ目で、字がさらに細かくなって、固有名詞だらけになった。字が小さくなると文字がさらに省略されるから、読めなくなる道理である。 提出までにあと十日、毎日毎日その文字を眺めて暮らすことになる。何度も見るうちには何とかなるだろうか。こんな思いは20年で初めてである。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(12)

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薩埵峠より富士山 2026.3.7 東海道ウォークも四日目の続きである。 ************************************************************************************   駅前の水飲み場で花粉がいっぱい付いた目を洗おうと思った。ところがこれが大間違いだった。サングラスである程度避けられ、付いた花粉もおとなしくしていた所に、中途半端に水をくれたものだから、花粉が瞼で爆ぜてしまった。そして猛烈に痒くなった。擦れば余計に痒くなることは承知していながら擦らずにはいられなかった。眼が開けられないほどで、段々酷くなった。一人だけ『うん』が付かなかったための災難だった。そこからはひたすら薬屋を探して歩くはめになった。蒲原宿西木戸は長い蒲原宿の西の外れでサインもあり、写真を撮ったりしたのだが、痒みで楽しむどころではなかった。 富士川町  1.9km   → 【蒲原宿 西木戸】  →  由比宿  3.1km 蒲原駅の手前でやっと薬屋を見つけ目薬を買った。薬剤師の主人の説明もそこそこに、その場で目薬を差して漸く人心地ついた。蒲原駅で駅スタンプを貰い改めて町並みを眺めると、この辺りの家は町屋で間口は狭く奥行きの長い家である。二階の軒下に太い垂木が数十センチ間隔に出ていて、家の軒がその分高くなり、大変建物を立派に見せていた。古い家に多い建て方であるが、新築の家でもそういう造りが見え、現代にも受け継がれた建築方法なのだと思った。こういう建物は由比の町にも多く見られた。東名を潜り抜けて由比の町に入った所にサインがあった。 蒲原宿  2.8km   → 【由比町 由比】  →  由比宿  0.3km 由比宿を入った所に由比の一里塚の石柱があった。昨年十二月に和さん、臼さんと三人で広重美術館から薩埵峠へ歩いた時には、手前で引き返し、ここまでは足を延ばしていなかった。 東海道スタンプ「由比本陣」 広重美術館は二度目である。前回は本陣記念館にも入りお茶を戴いたりしたが、今日は鈴さんに付き合って美術館だけに入った。美術館を出て、本陣の門で『東海道』スタンプ『由比宿』を押した。そして向かい側の由比正雪の生家といわれる『正雪紺屋』に入った。店に残る古い藍瓶は今は使用...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(11)

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  広重『夜の雪』記念碑 2026.3.6 夜、高熊のS氏から、解読版 「 大地震能記」と「 大井河源記」のお礼の電話があった。金谷へ出ると寄られる、S理髪店に、渡してもらえるように預けておいたものである。喜んで読んでくれそうな人に進呈しているが、ほめられると続けたくなる。まだまだ読んで貰いたいものがいくつもある。今、まとめているのは、五和の百姓一揆「薦被り騒動」と、松浦武四郎の「 東海道山すじ日記 」の二つである。これも興味をもってもらえるものだと思う。乞うご期待。 東海道ウォークも四日目に入る。 ********************************************************************************************** 「花粉症」うんがつかなかったのが運のつき 岩淵宿(間宿) → 蒲原宿 → 由比宿 → 興津宿 日時 平成7年3月11日(土) 晴れ、花粉非常に多し 昨年の夏の猛暑で、この春の杉花粉は昨年の10 倍飛ぶと言われている。しかも雨の翌日は花粉が非常に多いと言う。昨日の久し振りの雨でその条件通りの日となった。こんな時、花粉症の身としては家でおとなしくしておれば良いものを、持ち前のあまのじゃくで、敢えて火中に栗を拾いに行く気持ちで出かける。鈴さんが花粉よけの眼鏡を買ってきたと披露した。今日はそれがものを言いそうだ。 富士川駅下車。西へ向かって歩き始めて四日目、電車に乗る時間もだいぶ短くなってきた。富士川駅から前回降りてきた高台への道を登る。富士川郵便局は九時からで、開いていなかった。東名を潜る手前に中之郷のサインがあった。サインを背景に、入れ代わり写真を撮っている間に、鈴さん・臼さん・和さんの三人とも、まだ生々しい犬の糞を踏んでしまって大騒ぎになった。三人は靴の裏がかなり後々まで気になったようだ。しかし、『運がついた』三人は縁起が良い。唯一運が付かなかった自分には、このあとえらい災難が降って湧く。 吉原宿 7.2km   → 【富士川町 中之郷】 →  蒲原宿 2.5km 東名のガードを潜った所に、古い碑があった。『野田山不動明王』と書かれた、東京の三田講が立てた碑であった。昔、社内ハイキングにも来た野田山に、東京まで知れ渡るほど有名な不動尊があったとは知らなかった。 こ...

茶価が一番茶より秋番茶の方が高いとはどういうこと

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購入した「べにふうき」 花粉症にテキメン  島田市金谷栄町347-8 ㈱川崎園 TEL:0547-46-3550 2026.3.5 寒さが和らいで、いよいよ花粉症が厳しくなってきた。ここへ来て、自分の 『べにふうき』 の在庫が切れそうで、現役時代に関与していたK園に『べにふうき』を買いに行った。そして、久しぶりに担当に会社の様子を聞いた。 今、茶業界は大きく変化を遂げていて、抹茶とペットボトルが大きく伸びて、今年の相場は、一番茶よりも、秋番茶の方が高いという、かつては考えられなかった現象が起きているという。 静岡県はお茶の生産高で鹿児島県に追い越されたと聞いたのは、昨年だったか、一昨年だったか。いずれそういう事態になるだろうと予想はしていた。ただ、抜かれたのは、鹿児島県の生産量が増えたわけではなくて、静岡県が大きく減って、相対的に鹿児島県に抜かれたというのが実態のようで、それは予想外であった。 生産者が高齢化して、儲からない茶業に後継者がなくて、放棄茶園が増えているとは聞いていたが。 実際に、生産量が大きく減った中で、健康志向による 世界的な 緑茶需要に、追いついていないようだ。今年、ペットボトルのメーカーが増えて、一気に秋番茶の需要が伸びて、一番茶と相場が逆転することが起きたという。 真面目に茶業に取り組んできた農家は、今年は儲かったようで、それは何よりであった。 K園の親会社のK機工では、近年、製茶プラントの需要が減って大変だったようだが、このところ、抹茶の製造プラントが好調で、需要に生産が追い付かず、二年先までの受注を抱えていて、売り上げも久しぶりに100億越えになるという。そういえば、自分が現役のころ、一度だけ100億越えを経験したことがある。 会社を定年退職した時、金庫番として会社の金勘定を仕事にしていた関係で、もうこれからは金に関わることは一切しないと心に決めて、あれから十五年、旧勤め先には一切足を運んでいない。それでも、気にはなるもので、今日は、よい話を聞いた。 この景気がどこまで続くか分からないが、まずは目出度い。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(10)

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  富士川の赤富士 2026.3.4 東海道ウォーク三日目の続きである。 ************************************************************************************** 富士川の手前には『水神社』がある。『富士川渡船場の跡』との案内板もあった。境内に『富士山道』の大きな石碑や『富士川帰郷堤の碑』があった。これより上流側の堤防は遊水池を作って水勢を和らげるように工夫されていて、その形が雁が羽根を広げたように見える所から『雁堤』と呼ばる堤がある。江戸時代初期に造られた堤だという。 富士川に掛かる歩道橋の途中より、富士山の写真を取る。朝から見えていた富士山には必ず無粋な電線が入ってしまったが、ここで初めて邪魔のない無傷の富士山の写真が取れた。橋を渡った対岸の土手の10メートルほど川上に、『渡船場跡』の共通サインがあった。 吉原宿  5.2km   → 【富士川町岩淵宿 渡船場】  →  蒲原宿  4.5km 土手の下の河原に三角形のコンクリートの構築物があった。流木から堤防を保護するものだろう。河原には富士山を狙う数人のカメラマンが場所取りをしていた。低い堰があって、上流には広い水面が広がっている。そこに逆さ富士が映る。堰を越す水流と富士山、鴎が群れ翔ぶ姿など、シャッターチャンスには事欠かないのであろう。我々も次々とシャッターを押した。 土手を更に川上に上った所に、渡船『上り場』常夜燈がある。旧東海道ではここで渡し船を降りたのであろう。またここは、富士川を船で下ってきた信州、甲州の物資が荷揚げされ、東海道に引き継がれる交通の要所であった。京都の豪商の『角倉了以』がここの舟運を開設したことを記した、紀功碑があった。 東海道はここから坂を上って岡の上を行く。現在の街は下にあるが、そこは昔はおそらく河原だったのだろう。旧街道に『間の宿 岩淵宿』の『常磐本陣』があった。黒い塀の屋敷内に『本陣のマキ』と呼ばれる古木が見えた。また、常夜燈がさり気なく立っているなど、旧東海道の雰囲気が色濃く残っていた。『岩淵の一里塚』は役場のそばに残っていた。一里塚の榎の巨木は『静岡県の巨木』に数えられている。そばに東海道の共通サインを見つけた。 吉原宿  6.2km   → ...

新居の旅館「あさしお」に一泊

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「あさしお」の窓から浜名湖 養殖青のりの棚が並ぶ 2026.3.3 一晩、 浜名湖湖畔、「活魚の店あさしお」に宿泊してきた。息子が浜名湖サイクリングで、抽選に当たったペア宿泊券で、 来ることはまずない、こんな旅館に宿泊することになった。 昨日、午後三時チェックインを目指して、午後一時頃に出かけた。国道一号線のバイパスを行くと一時間半は掛からなかった。早く着いたので、新居関所でも見学しようと、行ったが、今日は定休日。そうか今日は月曜日か。他の旧旅籠の資料館なども休みであった。月曜日だったことを忘れていた。予約が簡単に取れたわけである。 それでも時間はつぶせて、3時過ぎに 「活魚の店あさしお」に入った。他に宿泊客は居そうになかったので、「今日は貸し切りかねえ」と聞けば、部屋に案内してくれた女性は「後で二組来られます」と答える。 部屋は二階の和室二部屋の仕切りを外して、一部屋になっていて、12畳ほどの広さか。トイレ、洗面、風呂は別で、共用になっている。窓を開けて眺めると、すぐ直下に散策道があって、すぐに浜名湖である。直下から緑の養殖棚が広がっていて、青のりの養殖場であった。浜名湖の向こうに浜名バイパスの浜名大橋が見える。左手の湖中に赤い鳥居が見えるが、ここから見えるのは真横からの鳥居である。今日はどんより曇っているが、天気が良ければ夕景は美しいようだ。 夕食は魚尽くしの会席料理で、あまり食べたことのない魚が出た。献立表から拾うと、マグロ、マゴチ、イサキ、紋甲烏賊、白魚、メヒカリ、浜名湖産カキ、結構お腹いっぱいになった。 どういう人が泊まりに来るのか聞かなかったが、釣り客などが多いのかもしれない。会席料理だけを食べにくるお客も多いと聞いた。 「これで二組目です」とは、当たりくじが三本あって、一組目の客もやはり息子さんが、 当てたくじだったという。いずれも当たったくじで親孝行か、と思う。 今朝は大雨になってしまい、どこへも寄らずにまっすぐ帰宅した。ゆっくり休めたような気がしていたが、疲れがのこったように思う。帰宅して一寝入りした。 ネットで見ると、この店はまだ若い夫婦で経営しているようで、見覚えのある夫婦の写真が出ていた。そういえば帰りがけに、丸刈り小太りの男性が挨拶に出ていた。あの亭主が料理担当なのだろう。この宿の料金は一泊一人、平日は9000円だとあった。このくじはペアだ...