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自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(30)

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いちご海岸通り   2026.6.26 朝から、サッカーワールドカップ、予選第三戦、 スウェーデン戦を見た。1対1の引き分けで、日本は決勝ラウンドに進んだ。 台風7号、8号が明日ダブルで静岡県へ向っているという。明日予定の金谷郷土史研の講演会、実施できるであろうか。少なからず心配している。 ともあれ、今日は、自分古文書の 静岡県海岸ウォーク、十四日目に入る。 *********************************************************************** 静岡県海岸ウォーク14  タクト振る 石垣苺の 招き嬢 浜川➔久能山入口➔三保の松原➔吹合ノ岬➔真崎➔三保➔新川 平成5年4月10日(土) 快晴のち曇りのち晴れ、寒い 8:10 自宅(万歩計 0) 今日・明日と金谷のお茶祭り。屋台が出て賑やかになる が、あえて喧騒を避けて歩きに出かける。朝早く出るつもりが、昨日『夢づ くり会館』で行われた『茶娘コンテスト』を見に行った女房が、7時からテ レビでやるから見て行けと言う。今か今かと待たされて、8時近くになって 漸く放送され、出かけるのがすっかり遅くなってしまった。女房は次女と 踊りに出るため、駅まで長男が送ってくれた。長女は常葉短大のオリエンテーション があると早くに出かけた。明日が入学式である。 8:22  金谷駅( 290) 駅頭にもすでに祭り装束がたむろしている。天気は良いけれ ど、この所花冷えが1週間近く続き、咲いた桜がなかなか散らない。今朝も 3月初旬から中旬の気温という。お茶もかなり遅れそうだ。しかし歩くには ちょうど良い。 9:02   静岡駅 南口にバス停が見つからないので少し歩く。 9:14   大坪町バス停 大坪町といえば昔、家庭教師のアルバイトをやった先 が確か大坪町だった。狙っていた中学が静岡女子商の中等部だったが、次 のバス停が静岡女子商前である。 9 :25   下島バス停 (1,781) 久能街道の海側に新しく出来たバイパスを行く。まず 浜川新橋( H2.3 完成)を渡る。 9:35   浜川大橋 (2,964) すぐに浜川をもう一度わたる。先程より大きな橋で、浜 川大橋( H3.3 完成)という。日本平・竜爪山・大崩海岸などが見渡せる。今...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(4)埋木、獲一断㯘于水土中

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筆架 (写真はネットより借用) 2026.6.25 朝起きたら、また、東北で大きな地震があったという。津波は無いようで、人的被害は少なく済むと思う。日本は地震対策が進んでいて、この程度では大ごとにならないけれども、今日、ベネズエラであった大地震は大変なことになっているようだ。 「蕉園渉筆」の続き。 (原文) 埋木、獲一断 㯘 于水土中 相良郷二十四、鎌倉氏時、蓋相良太郎食邑 云、 徳村其一也、 邑民浚田間小渠、 獲 一断 㯘 於 水土中 、 伝云、 建久年、太郎坐事移于肥後 州人吉、距今六百有余年矣、 意、断 㯘 当時宮 材也而毫無腐朽、黒沢如漆、堅実如鉄、 敲之 鏗爾 有響、同邑窪清名、顔好事、請而得之、 携来索記、乃作拙文畀之、割愛恵少許、作筆 架、置于机上、 古色可玩、実六百年以外物也 (解読) 埋木、獲一断㯘于水土中   相良郷二十四 (村) 、 鎌倉氏の時、蓋 (けだ) し、 相良太郎 食邑 (しょくゆう) と云う。   徳村その一つなり。 邑 (村) 民、田の間の小渠 (みぞ) を浚 (さら) い、  水土中に一 断㯘 (だん かん) を獲 (え) る。伝に云う、建久 (1190~99) 年、  太郎 坐事 (ざじ) し、肥後州 (国) 人吉に移る。今を距てる六百有余年、  意 (おもう) に 断㯘 、 当時の宮材なり。  而 (しか) して 毫 (ごう) も腐朽 (ふきゅう) なく、 黒沢 (こくたく) 漆 (うるし) の如く、  堅実 (けんじつ) 鉄の如し。これを敲 (たた) く鏗 (おと) 、その響き あり 。  同邑 (むら) 窪清という名の、 顔好事 (かおこうず) 、 請 (う) けてこれを得、  携 (たずさ) え来たり、記 (しる) すを索 (もと) む。  乃 (すなわち) 、 拙 (せつ) 、 文を作りこれを畀 (あた) う。  「 割愛 恵少許、作 筆架 、置于机上、 古色 可玩、実六百年以外物也。」   【読み下し】 割愛 (かつあい) し、少し許り恵む。筆架 (ひつか) を作り、    机上に置く。古色 (こしょく) を玩 (もてあそ) ぶべし。  実に六百年以外 (前) の物なり。 (語注) ※ 食邑(しょくゆう)➔ 知行所。領地。 ※ 断㯘(だんかん)➔ 木切れ。木片。 ※ 坐事(ざじ)➔ ...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(3)御前崎厩崎、民異病不治/蟹行低障

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山 陰線和田山駅構内の旧修理工場だろうか? もう何十年も屋根のない工場が放置されている 故郷へ帰る度に停車の度に見て来た (6月12日撮影)   2026.6.24 「蕉園渉筆」の続き。 (原文) 御前崎厩崎、民異病不治 〇厩崎之民、以覆没之患、為利、不救其可救 者、或害之故覆、奪其財貨、由此民往々致 富、然天之不容、異病不治者多云、 (解読) 御前崎・厩崎(うまやざき)、民異病不治  〇 厩崎 (御前崎) の民、 覆没の患 を以って利を為す。その救うべき者を救わず。  或るは、これを 害する故、覆 (ふく) し、その財貨を奪う。  この民、往々 致富 (ちふ) の由。然し、天の容 (ゆる) さざる所、  異病 (いびょう) 不治 (ふじ) の者多しと云う。 (語注) ※ 厩崎(うまやざき)➔ 御前崎の地名由来の一説。馬の生産地として知られていたことから 呼ばれた。 ※ 覆没の患(ふくぼつのかん)➔ 船沈没のわざわい。 ※ 致富(ちふ)➔ 金持かねもちになる。 御前崎の厳しい悪口だが、 蕉園さん、初めに「 真偽 を問わず 」と断っている。単なるうわさ話であろう。 (原文) 蟹行低障 始入官舎夜、屏障有鼠齧紙声、逐而不去、 燃燭視之、蟹横行也、 間之、海国所常有云、 都下所不見也、 (解読) 蟹行低障  始め入る官舎の夜、 屏障 (へいしょう) 、鼠 (ねずみ) 紙を齧 (かじ) る声 (音) あり。  逐 (お) っても去らず。 燃燭 (ねんしょく) これを視る。蟹 横行 (おうこう) なり。  この間、海国常 (つね) 有る所と云う。 都下 (とか) 、見ざる所なり。 (語注) ※ 屏障(へいしょう)➔ 間を隔てたり、見えないようにしたりするために立てるもの。屏風や衝立など。 ※ 燃燭(ねんしょく)➔ 灯をつける。 ※ 横行(おうこう)➔ 横へ進むこと。横向きに歩くこと。 ※ 都下(とか)➔ 都のうち。みやこ。 こんな他愛ない話も散見する。 (続く)

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(2)遠州灘、御前崎破船

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庭のグラジオラス 2026.6.23 「蕉園渉筆」を読み始める。 (原文) 遠州灘、御前崎破船  遠州有五港、曰川崎、曰相良、曰新井、曰福田、曰 横須賀、 而其 実非港也。共皆官船貢運所 発、固有港名、 勢之鳥羽、至于豆之下田、大 海七十五里、無一処を泊船、 所謂七十灘、扶桑 第一嶮灘也、 況厩崎洋中、巉巌屹立者五六 十、伏水底者、不知其数也、 西州、上自貢運、 下は至賈舶、其達江都、必皆由焉、 迅雨暴風、 漂於狂瀾、触悪巌、闇夜最為、自古覆没死 亡之患、 其余財貨之失、不知其幾千万也、此 危灘而無澳港、可謂闕典矣 (解読) 遠州灘、御前崎破船  遠州五港有り。曰 (いわ) く川崎、曰く相良、曰く新井、曰く福田、曰く横須賀。  而 (しか) してその実、港 (みなと) に非 (あら) ざるなり。  共に皆、 官船 (かんせん) 、 貢運 (こううん) の発する所、 固有 (こゆう) の港の名。  伊勢の鳥羽から伊豆の下田に至る、大海七十五里、船を泊める処一つも無し。  所謂 (いわゆる) 七十灘、 扶桑 (ふそう) 第一の嶮しい灘なり。  況 (いわん) や 厩崎 (うまやざき) 洋中、 巉巌 (ざんがん) 屹立 (きつりつ) は五六十、  水底 (みなそこ) に伏すは、その数知れざるなり。  西州 (西国) の、上は貢運より、下は 賈舶 (こはく) に至り、  その 江都 (こうと) に達する、必ず皆、 (以下の) 由 (よし) なり。  迅雨 (じんう) 暴風、 狂瀾 (きょうらん) に漂 (ただよ) い、悪 (あ) しき巌 (いわお) に触る。  闇夜は最も甚 (はなはだ) しくして、古 (いにしえ) より 覆没 (ふくぼつ) 死亡の 患 (かん) 、  その余財貨の失、その幾千万知らざるなり。  この危うい灘に 澳港 (いくこう) なし。 闕典 (けつてん) と謂 (い) うべし。 (語注) ※ 官船(かんせん)➔ 官有の船舶。 ※ 貢運(こううん)➔ 年貢を運ぶ。 ※ 固有(こゆう)➔ そのものだけに限って有るさま。 ※ 扶桑(ふそう)➔ 日本の異称。 ※ 厩崎(うまやざき)➔ 御前崎のこと。 ※ 巉巌(ざんがん)➔ 切り立った険しいがけ。高くそびえた岩。 ※ 屹立(きつりつ)➔ 山などが高くそびえ立つこと。 ※ 賈舶(こはく)➔ ...

小島蕉園著「蕉園渉筆」(漢文)を読む(1)

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静岡城北公園のあじさい (19日撮影) 2026.6.22 「自分古文書」も随分と色々掲載してきた。まだまだ載せたいものもある。ただ、この辺で少し志向を代えて、漢文を読んでみたいと思う。といっても、自分は学校で数時間だけ、漢文を学んだ経験があるだけで、どこまで読めるか分からないが、幸いと古文書の解読の中で、擬漢文と呼ばれる漢文的に後ろから読むような文書をたくさん読んできた。また、古文書中にも、頻繁に漢文がそのまま引用される部分もあって、否応なく漢文も解読してきた。今回は全編漢文で、ハードルは高いが、ぜひとも読んでみたいものがあって、チャレンジする気になった。 その漢文は、小島蕉園著「蕉園渉筆」という書物である。その全文が「静岡県史」と「相良町史」のそれぞれ資料編に載っている。但し漢文で読める人は少ないと思う。その解読したものはどこかにあると思うのだが、その極一部をネットなどで散見するだけで、未だ見つけられていない。ならば自分で解読版を作れば、誰でも内容を知ることが出来る。これがこのチャレンジの動機である。 小島蕉園著「蕉園渉筆」は、漢文といえども日本人の書いたものだから、そんなに複雑な構文にはなっていない。おそらく、漢文を解読する立場で書かれているから、意外とやさしいのではないかと思う。読み方はかなり我流になると思うけれども、ご容赦願いたい。 小島蕉園(こじましょうえん)は、 江戸時代後期の旗本で、昌平坂学問所にて学んだ。晩年、田沼意次失脚後、一橋徳川家の管轄になったが、赴任した代官が問題を起こし、かって甲斐国田中代官として善政を布き、評判の良かった蕉園が、遠江国波津陣屋代官に抜擢された。三年の約束の代官であったが、蕉園は三年目に入ったころ、現地(相良)で病死した。 蕉園 は 「蕉園渉筆」の冒頭にこんな風に書き始めている。 (以下茶色文字は、原漢文、「静岡県史」及び「相良町史」を参照す) (表紙) 蕉園遠州奇談 此書世に伝ふる稀也 蕉園渉筆 文政六年癸未四月、余之始入遠州也、爾来三歳、其所見聞、 不論雅俗、不問信(真)偽、任筆而「記」(訂語)。積成冊子、官暇浄 謄、以為帰日談柄云、乙酉(文政八年)八月二十八日、藤彝公倫識 (以下、黒文字は読み下し、紫文字は読みと注。太文字は語注あり。) 蕉園 渉筆 文政六年 (一八二三) 癸未 (みずのとひつじ) 四月、 余 (よ)...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(29)

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  大崩海岸より、富士山と日本平 2026.6.21 午後、サッカーワールドカップ、予選第二戦、チュニジア戦の中継をテレビ観戦した。結果は4対0で勝った。相手に一本もシュートを打たせない、完勝であった。日本も強くなったものだと思う。 静岡県海岸ウォーク、十三日目を続ける。 *********************************************************************** 13:27   用宗海岸 (28,529 ) 初めて砂浜に降りる。幸い足に痛い所はない。ユリカ モメが群れをなして、近づいても飛び立って逃げない。 13:50   用宗漁港〔始〕 (30,713) 用宗漁港の防波堤まで砂浜を歩く。土曜日の午下 がりを子供と波打ち際で過ごす母と子を何組か見た。 14:03   用宗漁港〔終〕 (31,995) 四角い袋状になった用宗漁港を一周りする。かな り年月を経た松林が続いていたが、用宗港で切れ対岸ですぐに続く。この港 は築造される前は小さな川(小坂川)の河口にすぎなかったのだろう。松は その頃からこの辺りの変貌をずっと見ていたに違いない。 14:35  安倍川河口西端 (35,120)  『桃と潮風の散歩道』と名付けられた道があっ た。松林の間に桃の木の畑が続いていたが、狭い道がダンプ街道になって、 とても散歩どころではなかった。その先に、コンクリート廃棄物の再生工場があっ て、石、砂、鉄筋などに粉砕仕分けをしていたのである。松林のある土塁が 終わり、防潮堤が始まったので上がる。安倍川河口までの途中には各種産業 廃棄物の処理工場が続いていた。 14:45  南安倍川橋 (36,218)  丸子川水門を渡り、1km弱遡って南安倍川橋(昭 45.8 完成 ) を渡る。この辺までと思ったが、久能山から来るバスを掴まえる 方が良いと判断して、大浜公園の向こうまで足を延ばそうと考える。 15:06   安倍川河口東端 (38,401) 太平洋岸自転車道を歩く。側に高校があって、 緑のトレーニングウェア の高校生が時折駆けて過ぎる。河口にはカモメと鴨類が流れ に羽を休めていた。 15:20   大...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(28)

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そそり立つ 崖の側まで行くと、向こうに富士山が見えた 2026.6.20 午前、金谷宿大学「古文書に親しむ」(初心者)講座、及び、午後 「古文書に親しむ」(経験者)講座を実施した。 静岡県海岸ウォーク、十二日目を続ける。 *********************************************************************** 10:25   焼津港験潮場 (12,207)  験潮場とは潮の高低を計る施設であろうか。地図 にも記載がある。一坪程の小さな建物だった。近くの公園に『海に念ずる』 と銘打った焼津港のシンボル像があった。高さが台とも 10 mはある巨大な彫 刻である。肩に焼津市の鳥のユリカモメを載せて、二人の若者が海に向かっ て跳ぼうとしている。細谷泰茲作で本人は『蒼海行』と命名して3年の歳月 をかけて制作した像だと説明板にあった。 『海に念ずる』 と銘打った焼津港のシンボル像 10:44  宗像神社 (14,088)  瀬戸川沿いに遡る途中もう一つ神社に寄る。宗像神社 は海の神様として有名である。 10:51   瀬戸川 (14,661) 当目大橋(昭 43.9 完成 ) を渡り、再び海辺へ出て、砂浜の 突き当りの、卵を半切りにして立てたような形の虚空蔵山に向かう。 11:09  虚空蔵山直下海岸 (16,609)  虚空蔵山にも赤く変色した杉の木があちこち に見え、今まで感じないできた杉の花粉を感じる。海岸に降りてそそり立つ 崖の側まで行くと、向こうに富士山が見えた。 虚空蔵山より焼津港を望む 11:31  虚空蔵山山頂 (17,980)  山を西に回り込んだ所に、虚空蔵山の登り口があ った。虚空蔵山 126 m。海岸歩きを始めて、初めて山へ登った。低い山だか ら一息に登るつもりが、胸が苦しくて2度3度と休まねばならなかった。気 管支喘息が充分回復していないのか、杉の花粉でまた始まったのか。虚空蔵 尊を祀ったお堂は柱を赤く壁を黒く彩色し、軒下に金色の彫刻をあしらった 立派な建物であった。元は当目山香集寺といい、山頂にお寺が有ったようだ が、今はお堂と鐘つき堂、仁王門が残っている。寺跡にピラミッド型の『船 舶無線電信発祥の地記念塔』が...