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震災15年目に、大地震の古文書を読む

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解読冊子「大地震記録」と「大地震能記」 2026.3.10 午後、今年度最後のまきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座を実施した。 この時間、仕事を始めてしまった受講者一人を除いて、10人、前回に続いて出席があり、出席者は全員来年度の継続をしてくれそうで、 新年度にはこれに新しく三名加わることになる。 さて、今日の「面白古文書」は西郷隆盛の手紙であった。先日「何でも鑑定団」で取り上げられたものを、写真に撮って解読した。番組を見ていた人もいたようであった。西郷隆盛の直筆を解読するのは初めてであった。西郷の人となりをあらわすように、親しい人への手紙であっても、しっかりと書かれていたが、教材作成には六時間かかったと、皆さんに話した。 今日のメインの課題は、前回まで手掛けていたものは、途中であるがそこまでとして、この頃、 解読を小冊子にまとめた「大地震記録」を影本と 照合しながら読むことにした。以前、小冊子化した掛川の山崎久麻呂著の「大地震能記」とは、同じ安政大地震を記録しているが、別のものである。出来れば二つの記録を比較しながら読んでほしいと話して進めた。この 「大地震記録」は御前崎市新野のお医者さんが書いたものと思われるが、筆者の名前がどこにもない。 後で皆さんとの話で、新野には鈴木東洋という、新野左馬之助の研究で有名なお医者さんがいたが、鈴木家は代々医者だというから、筆者はその御宅のご先祖ではないか、との話が出た。そういえば鈴木東洋氏の医院跡は今、新野左馬之助の記念館になっているとは聞いたことがある。どこかで確認しなければなるまい。 今日の講座もあと15分になって、サイレンが鳴りだした。それが1分ほど続いた。そう、今日は東日本大震災のあった日で、震災発生が午後2時16分だった。もう15年になる。ここ榛原文化センターは牧之原市静波にあって、海にも近いから、サイレンを鳴らしたようだ。だから地震を記録した古文書を扱ったわけではないのだが、偶然の一致というのも芸がなく、震災の日だから、わざわざ 「大地震記録」を選んだ、ということにしようと思った。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(13)

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  清見寺門前 2026.3.10 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座、明日が今年度最後の講座である。連絡があって、新しい受講者が3人入ると聞く。少しにぎやかになるであろうか。早いもので、まきのはらで講座を始めて7年目に入る。今回、受講料が上がるというから、満足を頂けるように、がんばらねばなるまい。 東海道ウォークも五日目に入り、いよいよ駿府の町までたどりつくことになる。 ******************************************************************************** 創業三百年『追分羊羹』だけが街道に残る 興津宿 → 江尻宿 → 府中宿 日時 平成7年6月10日(土) 曇りのち時々晴れ 今年から気象庁は入梅日を発表せず、事後におよその入梅時期を言うに止めるという。ともあれ今日は入梅近し、雨の予報であったが、北の高気圧の勢力がまだ強くて、梅雨前線が南海上に下がったため曇りとなった。皆の予定がやっと合って、三ヶ月ぶりの『東海道』となる。この期間、日本列島はオウムに明け暮れた。このカルト教団事件も教祖の逮捕でようやく峠を越えた。 興津駅のホームに下り立って開口一番、三ヶ月も立つと興津駅の記憶もないと和さんが言う。けれども、下りと上りではホームが違い、記憶に無いのも当然である。 現在の東海道興津宿は、道は広いが何もない町並みだった。元興津町役場が興津公民館になっていた。木製の巣箱型のスタンドに『東海道』スタンプ『興津宿』があった。また傍らに興津宿のサインもあった。 東海道スタンプ「清見寺」 由比宿 7.2km   → 【清水市 興津宿】 →  江尻宿 2.5km 興津宿東本陣址の石柱に彫られた文字が、なぜか黄色く塗られていた。一方、興津宿西本陣址の石柱は東本陣址と同時期に造られた石柱であるが、こちらは黄色に塗られていなかった。 清見寺門前の道路を隔てた向こう側に、『大正天皇在東宮海水浴御成道』との記念石柱がある。往時は海水浴も出来た名勝の地だったのだろうが、開発された現在からはうかがい知れない。 階段を上がって『東海名区』の額の掛かった門を抜け、JR東海道線を高架橋で渡って境内に入る。最初に目に入った碑は咸臨丸乗組員殉難碑であった。「食人之食者死人之事」の碑文に一見、(人食い人種の碑文み...

運転免許の認知機能検査に行ってきた

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認知機能検査の会場、島田自動車学校   2026.3.9 免許更新で75歳以上の人に義務付けられた、認知機能検査に、今朝行ってきた。 あらかじめ予約してあったのだが、土曜日に島田自動車学校から予約確認の電話をもらうまでは、すっかり忘れていた。何といっても認知機能検査だから、学校側も心得たものである。 昨夜はいつもより早く、11時ごろには寝た。ところが、二時間ほどで目が覚めて、気になっていたわけではないのだが、もんもんと二時間以上寝られなかった。その分、明け方に寝たようで、目が覚めたら8時前であった。慌てて朝食もそこそこに島田自動車学校の会場に出かける。 窓口で、検査と講習費用に1万円支払い(高すぎる)手続きを済ませる。まわりは若い人ばかりで、こんな検査がなければ、年寄りには縁のない場所である。始まるまで40分ほど待たされた。こんなことなら、朝、ゆっくりして来るのだった。 認知機能検査にカンニングする人がいるらしく、実例を挙げた注意が手厳しい。人生の大先輩の高齢者に、もっと尊敬の心を持って貰いたいものだ。 認知機能検査ももう三回目で、 似たような問題が出る。 「絵を覚えさせて、後刻その名前を書かせる」「羅列の数字から指示された数字を素早く消す」「今日の年月日と、推定の今の時間を書かせる」の三つであった。何とか答えを書いたが、何も苦にしていないつもりでも、幾つになっても「試験」は苦である。 結局、参加者9人、その全員が「『認知症のおそれがある』基準には該当しなかった」と報告があり、検査結果の通知書をいただいた。随分持って回った言い方だ。この検査に合格した人が、事故を起こした時の言い逃れを考えるから、こんな表現になる。この通知書を持参すれば、免許の更新は簡単に出来るようだ。 あとは、運転実技講習と、目の検査(視野、動体視力、夜間視力)で、午前中いっぱい掛かった。 今日は花粉症もひどく、気疲れもあって、帰宅、昼食後、2時間ほど昼寝をした。

古文書解読に悪戦苦闘

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  こんな古文書に悪戦苦闘 2026.3.8 道楽で始めたはずの古文書解読に、今、悪戦苦闘している。 20年近く古文書の解読をやってきて、誰よりも時間をかけて古文書を読み、どんな古文書でも読んでやろうと、意欲はあるのだが、3月最後の、駿河古文書会の当番で、読み始めた課題が何とも読めない。たった3ページなのだが、悪戦苦闘している。 内容は、藤枝の青島で東海道の道端に捨てられた品々が、大問題を引き起こしたという話で、内容はそんなに難しくはないはずであった。 解読を困難にしている理由は、   1 印刷された影本の字が小さくて細かい。   2 虫食いのような傷で肝心な部分が読めない。   3 影本をきれいにしたために、肝心のかすれ部分などが消えてしまっている。   4 筆者の書き癖が尋常ではない。日本の文字とは到底思えないものもある。   5 固有名詞が多い。ここはいい加減な解読にならざるをえない。 自分なら絶対に課題文書にはしないだろうと思う。読むうちに嫌になって、ついつい自分が趣味でやっている、興味を呼びそうな古文書を 読める化して、 小冊子に作成する作業に逃げている。こちらの作業は自分としては読み返しになるのであるが、色々発見があって楽しい。 古文書で読めない部分は□□で残せはよいともいわれるが、 □□だらけでは文意もつかめなくなる。この頃は読めない部分は、前後関係で、自分ならこう書くと作文してしまう時もある。邪道かもしれないが、そうしないと先へ進めないからである。 さて解読中の文書、3ページの内、2ページまでは、一か所の除いて何とか曲りなりにも読んだ。3ページ目で、字がさらに細かくなって、固有名詞だらけになった。字が小さくなると文字がさらに省略されるから、読めなくなる道理である。 提出までにあと十日、毎日毎日その文字を眺めて暮らすことになる。何度も見るうちには何とかなるだろうか。こんな思いは20年で初めてである。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(12)

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薩埵峠より富士山 2026.3.7 東海道ウォークも四日目の続きである。 ************************************************************************************   駅前の水飲み場で花粉がいっぱい付いた目を洗おうと思った。ところがこれが大間違いだった。サングラスである程度避けられ、付いた花粉もおとなしくしていた所に、中途半端に水をくれたものだから、花粉が瞼で爆ぜてしまった。そして猛烈に痒くなった。擦れば余計に痒くなることは承知していながら擦らずにはいられなかった。眼が開けられないほどで、段々酷くなった。一人だけ『うん』が付かなかったための災難だった。そこからはひたすら薬屋を探して歩くはめになった。蒲原宿西木戸は長い蒲原宿の西の外れでサインもあり、写真を撮ったりしたのだが、痒みで楽しむどころではなかった。 富士川町  1.9km   → 【蒲原宿 西木戸】  →  由比宿  3.1km 蒲原駅の手前でやっと薬屋を見つけ目薬を買った。薬剤師の主人の説明もそこそこに、その場で目薬を差して漸く人心地ついた。蒲原駅で駅スタンプを貰い改めて町並みを眺めると、この辺りの家は町屋で間口は狭く奥行きの長い家である。二階の軒下に太い垂木が数十センチ間隔に出ていて、家の軒がその分高くなり、大変建物を立派に見せていた。古い家に多い建て方であるが、新築の家でもそういう造りが見え、現代にも受け継がれた建築方法なのだと思った。こういう建物は由比の町にも多く見られた。東名を潜り抜けて由比の町に入った所にサインがあった。 蒲原宿  2.8km   → 【由比町 由比】  →  由比宿  0.3km 由比宿を入った所に由比の一里塚の石柱があった。昨年十二月に和さん、臼さんと三人で広重美術館から薩埵峠へ歩いた時には、手前で引き返し、ここまでは足を延ばしていなかった。 東海道スタンプ「由比本陣」 広重美術館は二度目である。前回は本陣記念館にも入りお茶を戴いたりしたが、今日は鈴さんに付き合って美術館だけに入った。美術館を出て、本陣の門で『東海道』スタンプ『由比宿』を押した。そして向かい側の由比正雪の生家といわれる『正雪紺屋』に入った。店に残る古い藍瓶は今は使用...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(11)

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  広重『夜の雪』記念碑 2026.3.6 夜、高熊のS氏から、解読版 「 大地震能記」と「 大井河源記」のお礼の電話があった。金谷へ出ると寄られる、S理髪店に、渡してもらえるように預けておいたものである。喜んで読んでくれそうな人に進呈しているが、ほめられると続けたくなる。まだまだ読んで貰いたいものがいくつもある。今、まとめているのは、五和の百姓一揆「薦被り騒動」と、松浦武四郎の「 東海道山すじ日記 」の二つである。これも興味をもってもらえるものだと思う。乞うご期待。 東海道ウォークも四日目に入る。 ********************************************************************************************** 「花粉症」うんがつかなかったのが運のつき 岩淵宿(間宿) → 蒲原宿 → 由比宿 → 興津宿 日時 平成7年3月11日(土) 晴れ、花粉非常に多し 昨年の夏の猛暑で、この春の杉花粉は昨年の10 倍飛ぶと言われている。しかも雨の翌日は花粉が非常に多いと言う。昨日の久し振りの雨でその条件通りの日となった。こんな時、花粉症の身としては家でおとなしくしておれば良いものを、持ち前のあまのじゃくで、敢えて火中に栗を拾いに行く気持ちで出かける。鈴さんが花粉よけの眼鏡を買ってきたと披露した。今日はそれがものを言いそうだ。 富士川駅下車。西へ向かって歩き始めて四日目、電車に乗る時間もだいぶ短くなってきた。富士川駅から前回降りてきた高台への道を登る。富士川郵便局は九時からで、開いていなかった。東名を潜る手前に中之郷のサインがあった。サインを背景に、入れ代わり写真を撮っている間に、鈴さん・臼さん・和さんの三人とも、まだ生々しい犬の糞を踏んでしまって大騒ぎになった。三人は靴の裏がかなり後々まで気になったようだ。しかし、『運がついた』三人は縁起が良い。唯一運が付かなかった自分には、このあとえらい災難が降って湧く。 吉原宿 7.2km   → 【富士川町 中之郷】 →  蒲原宿 2.5km 東名のガードを潜った所に、古い碑があった。『野田山不動明王』と書かれた、東京の三田講が立てた碑であった。昔、社内ハイキングにも来た野田山に、東京まで知れ渡るほど有名な不動尊があったとは知らなかった。 こ...

茶価が一番茶より秋番茶の方が高いとはどういうこと

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購入した「べにふうき」 花粉症にテキメン  島田市金谷栄町347-8 ㈱川崎園 TEL:0547-46-3550 2026.3.5 寒さが和らいで、いよいよ花粉症が厳しくなってきた。ここへ来て、自分の 『べにふうき』 の在庫が切れそうで、現役時代に関与していたK園に『べにふうき』を買いに行った。そして、久しぶりに担当に会社の様子を聞いた。 今、茶業界は大きく変化を遂げていて、抹茶とペットボトルが大きく伸びて、今年の相場は、一番茶よりも、秋番茶の方が高いという、かつては考えられなかった現象が起きているという。 静岡県はお茶の生産高で鹿児島県に追い越されたと聞いたのは、昨年だったか、一昨年だったか。いずれそういう事態になるだろうと予想はしていた。ただ、抜かれたのは、鹿児島県の生産量が増えたわけではなくて、静岡県が大きく減って、相対的に鹿児島県に抜かれたというのが実態のようで、それは予想外であった。 生産者が高齢化して、儲からない茶業に後継者がなくて、放棄茶園が増えているとは聞いていたが。 実際に、生産量が大きく減った中で、健康志向による 世界的な 緑茶需要に、追いついていないようだ。今年、ペットボトルのメーカーが増えて、一気に秋番茶の需要が伸びて、一番茶と相場が逆転することが起きたという。 真面目に茶業に取り組んできた農家は、今年は儲かったようで、それは何よりであった。 K園の親会社のK機工では、近年、製茶プラントの需要が減って大変だったようだが、このところ、抹茶の製造プラントが好調で、需要に生産が追い付かず、二年先までの受注を抱えていて、売り上げも久しぶりに100億越えになるという。そういえば、自分が現役のころ、一度だけ100億越えを経験したことがある。 会社を定年退職した時、金庫番として会社の金勘定を仕事にしていた関係で、もうこれからは金に関わることは一切しないと心に決めて、あれから十五年、旧勤め先には一切足を運んでいない。それでも、気にはなるもので、今日は、よい話を聞いた。 この景気がどこまで続くか分からないが、まずは目出度い。