「蕉園渉筆」(漢文)を読む(7)河東、駿遠界/川崎、川崎名
我が家ではおなじみの花、サフランモドキ 植えた訳でもないのに 環境が決して良いとはいえない場所で 増えもしないが無くなることもない 花は一斉に咲いて消える それを何度も繰り返してい る 2026.7.2 午前中、伊勢の長兄より電話。長兄は御歳91歳、一人暮らしだが、歳に似合わず元気である。電話魔で、あちこちに電話をしまくっていたが、最近、同年配の友人、知り合いが次々に連絡が取れなくなって、寂しい限りだと嘆く。その年齢なら多くは人生を終えているだろうから、無理はない。毎日一時間の散歩は欠かさず、月に何度かゴルフもやっている。まだまだ十年ぐらいは頑張れそうな感じである。 「蕉園渉筆」解読の続きを載せる。今日は短い。 ******************************************************************** (原文) 河東、駿遠界 余在江都日、嘗聞之、大堰河、為駿遠之界、 来問河以東、 駿之島田駅、而背隔河、遠之十 七邑攙入于駿中、 上下小杉、上新田、余部下 也 (解読) 河東、駿遠界 余、江都 (江戸) に在りし日、嘗 (かっ) てこれを聞く、大堰河 (大井川) 、 駿遠の堺のため、 来て、河の東を問う。駿 (駿河) 島田駅、 而 (しか) して背 (うしろ)、 河 (かわ) を隔へだて、遠 (遠江) の十 七邑 (むら) 、 駿中に攙入 (ざんにゅう) す。 上下小杉、上新田、余 (よ) 、部下 (ぶか) なり。 (語注) ※ 攙入(ざんにゅう) ➔ 入り込むこと。 ※ 部下 ( ぶか ) ➔ 支配、管轄下の地域の内部。 (原文) 川崎、川崎名 川崎街、在大堰河西六里、八十年前、河流此地、故有川崎之名云。 (解読) 川崎、川崎名 川崎街 (町) 、大堰河 (大井川) 西六里に在り。八十年前、 河 (かわ) この地に流る。故、川崎の名有りと云う。 (続く)