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「蕉園渉筆」(漢文)を読む(53)冷酒清兵衛

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出世城と呼ばれる浜松城 だが、三方ヶ原の戦いで敗れた家康には 幾つか、みっともない話が、英雄譚のように残っている 2026.9.8 秋雨前線に台風24号くずれの熱低が乗っかって、日本列島、今日も雨ざかり、東京も名古屋も街が川のようになって、車が波を蹴立てて走っている。各地に線状降水帯が生じる、この天候は今週いっぱい続くらしい。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 冷酒清兵衛 神祖某役、戦敗従数騎遁帰於浜松城、途上患渇、 適一民牽馬伏拝于道傍、 腰着一瓢、大久保彦左衛門問之、 酒也、乃命奉之曰、走所口奈其不喫、強奉之、 後召曰腰下冷酒久不報、乃有賞賜々姓称冷酒清兵衛、 許酤戸不課、 由此子孫致富、住于浜松、近時有故破産、 官賜黄金若干再興其家 (解読) 冷酒清兵衛 神祖 (しんそ) 某役 (ぼうえき) 、戦いに敗れ、数騎を従え。 浜松城に遁 (のが) れ帰る 途上 、 患渇 (かんかつ) 、適 (たまたま) 、馬を牽 (ひ) く一人の民 (たみ) 、 道傍 (どうぼう) に 伏し拝む。腰に 一瓢 (いっぴょう) を着ける。 大久保彦左衛門、これを問う。 「酒なり」、乃 (すなわ) ちこれを奉じることを命じて曰く、 「走りて、口に 奈 (いかんぞ) 。 それ 喫 (きっ) せ ざる所、強いて、これを奉ぜよ。」 後に召して曰く、「腰下 (こしもと) 冷酒、久しく報 (むく) いず。乃ち、 賞賜 (しょうし) 有り。 冷酒清兵衛と称す姓を賜 (たま) い、課税なき 酤戸 (ここ) を許す。」 これにより、子孫 致富 (ちふ) 、浜松に住み、近時、故 (ゆえ) ありて破産、 官 (かん) 、黄金 (こがね) を若干 (じゃっかん) 賜 (たま) い、その家を再興す。 (語注) ※ 神祖(しんそ)➔ 徳川家康の尊称。神君。 ※ 某役(ぼうえき)➔ 信玄との三方ヶ原の戦いを指す。 ※ 患渇(かんかつ)➔ 喉が渇くこと。 ※ 道傍(どうぼう)➔ みちばた。路傍。 ※ 一瓢(いっぴょう)➔ 一つのひょうたん。一つのひさご。 ※ 奈(いかんぞ)➔ ある動作が不可能であることを表す。できない。 ※ 喫す(きっす)➔ 食う。...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(52)大沢寺

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  牧之原市波津、大沢寺 2026.9.7 大雨が続き、関東や東北は大変なようだ。当地は雨は降っているが、降ったりやんだりで、危険な降り方ではない。幸いと云うべきであろう。一日、水曜日(まきのはら塾)、木曜日(掛川古文書講座)の準備に掛り、ほぼ終えた。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 大沢寺 波津大沢寺火宅僧也、現住好吟詩、屡相往来、 寺父祖以来無男子、以義子嗣焉、 現住挙一男児、喜甚、 令余名之、作其説後寄文稿於東都諸友乞正、中有此説、 白藤批曰、惜哉名冒、 儲宮之諱、余大愧、告現住請更名、 曰所賜高作既已裱飾、 不欲改作、彼方外之士、 余亦不強言、現住名祐賢、字曰義誉 (解読) 大沢寺 波津の大沢寺、 火宅 (かたく) の僧なり。 現住 (げんじゅう) 、 吟詩 (ぎんし) を好み、 屡 (しばしば) 、相 (あい) 往 (ゆ) き来 (き) す。 寺 父祖 (ふそ) 以来、男子なく、 義子 (ぎし) を 以って嗣 (つ) ぐ。 現住 一男児を挙 (あ) ぐ。甚だ喜び、 余 にこの子の名を 令 (れい) す 。 その 説 (せつ) を作 (な) した後、 文稿 (ぶんこう) を東都 (江戸) の諸友に寄せて、 正 (ただ) す を乞う。中にこの説あり。白藤 (しらふじ) 批 (ひ) して曰く、「惜 (お) しき哉 (かな) 、 名を冒 (おか) す、   儲宮 (もうけのみや) の 諱 (いみな) 。 」余 (よ ) 大いに愧 (はじ) る。 現住 に告げ、 更名 (こうめい) を請 (こ) う。 曰く、「賜わる所、 高作 (こうさく) に して、既已 (すで) に 裱飾 (ひょうしょく) す。改作を欲せず。 彼方 (あちら) は外 (ほか) の 士 (ひと) 。」 余 (よ) また強いて言わず。 現住 の名、祐賢、 字 (あざな) 義誉と曰 (い) う。 (語注) ※ 火宅(かたく)➔ 煩悩や苦しみに満ちた、この世のたとえ。 ※ 現住(げんじゅう)➔ 現在の住職。 ※ 吟詩(ぎんし)➔ 詩を吟詠すること。 ※ 父祖(ふそ)➔ 代々の先祖。 ※ 義子(ぎし)➔ 義理の子。養子や、息子・娘の...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(51)応正院/新井薬師

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  菊川市中内田、 応声教院山門 2026.9.6 漸く涼しくなったと思ったら、今夜から雨。線状降水帯などに掛からないように願いたいが、秋雨前線は長引くようだ。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 応正院 内田応正院、什器有一杖一笠、伝云永空阿沙黎赴佐倉邑、 投池中所寄頓也、 或曰源空欲見永空来所託云、 源空蓋永空徒弟也 (解読) 応正院 内田応正 (声) 院 、 什器 (じゅうき) に、一杖 (じょう) 一笠 (りゅう) 有り。伝 (でん) に云う、 永空 (皇円) 阿沙黎 (阿闍梨) 、佐倉邑 (むら) に赴 (おもむ) き、 (身を) 池中に投じ、 寄頓 (きとん) する所なり。 或 (ある) 曰 (いわ) く、 「 源空 (げんくう) 、永空 (皇円) を見んと 欲し、 託 (かこつ) け 来たる所と云う。」 源空 (げんくう) 、蓋 (けだ) し永空 (皇円) の徒弟 (でし) なり。 (語注) ※ 内田応声院(うちだおうせいいん)➔ 現、菊川市中内田の応声教院。 ※ 什器(じゅうき)➔ 什物。代々伝わる宝物。秘蔵の宝。 ※ 永空阿闍梨(えいくうあじゃり)➔ 応声教院の伝では、「皇円阿闍梨」と言い、 源空(法然)はその弟子である。 ※ 寄頓(きとん)➔ 預ける。 ※ 源空(げんくう)➔ 法然上人の僧としての正式名。 (原文) 新井薬師 新井有薬師如来堂前小石、尽有孔、其数千枚拾帰者必矢所在、 石帰于堂前、但帰有遅速、盈千為祭祀之度石、石称飛神云 (解読) 新井薬師 新井、薬師如来堂前に小石有り。尽 (ことごと) く孔 (あな) 有り。その数 (かず) 、千枚。 拾い帰る者、必ず 矢所 (やどころ) 在 (あ) り。石、堂前に帰る。 但し、帰るに遅速 (ちそく) 有り。 祭祀 (さいし) これを為す度、石、千に盈 (みつ) る。 石を 飛び神 と称すと云う。 (語注) ※ 矢所(やどころ)➔ 矢を射当てる所。的(まと)。矢壺(やつぼ)。(願立て、立願のことを指すか) (続く)

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(50)相良領主

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裏の雑木林(元畑)次郎柿がたくさん赤らむ、但し小さい 裏の 雑木林(元畑)渋柿もたくさん実る これは干し柿作りで忙しくなりそう 2026.9.5 もう柿の季節になった。金谷宿大学もまきのはら塾も年度末の発表会の準備が始まっている。季節の移りは飛ぶように早い。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 相良領主 相良之郷不詳上代、慶長之末為公邑、為紀侯或駿河亜槐封邑、 寛永中又為公邑、 自正保元年為松平豆州采地、 慶安二年至天和元年井伊伯州、天和二年為土屋相州、 貞享二年為太田備州、宝永二年三年内藤紀州、 四年至延享三年凡三十有七年、 本多越州四年、 太田摂州、後不詳年、為本多城州、宝暦年坐金森氏之事国除、 為公邑者四歳而為田沼氏采邑、至天明六年有罪国除、 又為公邑、寛政六年収 一橋邸、 甲之封邑三万石換賜於相良、 文政六年収今田沼侯、所新賜奥越一万石、 相良旧封賜邸以摂州之一万石、(所)余猶二万石云 (解読) 相良領主 相良の郷 (ごう) 、上代詳 (つまび) らかならず。  慶長の末、 公邑 (こうゆう) になり、 紀侯 (きこう) 、或は、 駿河 亜槐 (大納言)    封邑 (ほうゆう) になり、 寛永中、また 公邑(幕領) になる。   正保元 (1644) 年より 松平豆州 (ずしゅう) の 采地 (さいち) 、  慶安二 (1649) 年より天和元 (1681) 年に至り、 井伊伯州 (いいはくしゅう) 、  天和二 (1682) 年に 土屋相州 (つちやそうしゅう) になる。  貞享二 (1685) 年 太田備州 (おおたびしゅう) になる。  宝永二 (1705) 年三年 内藤紀州 (ないとうきしゅう) 、   (宝永) 四 (1707) 年 より延享三 (1746) 年に至り凡そ三十有七年、    本多越州 (ほんだえっしゅう) 四年、 太田摂州 (おおたせっしゅう) 、  後不詳年 (寛延二年 (1749) ) 、本多城州 (ほんだじょうしゅう ) になる。  宝暦年 (宝暦八年 (1758) ) 、 金森氏の事 に連座し 国除 (くによけ) 、公邑 (幕領) と   な るもの四歳 (年) にして、...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(49)甘草

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  甘草(かんぞう) (ネットより) 2026.9.4 午前中にまた訃報があった。大代のYT氏、享年78歳、会社では、サービス部門で機械の設置などに携わっていた。ご冥福を祈ります、合掌。しかし、逝くのが早過ぎる。 午後、駿河古文書会に出席した。この所、古文書会に欠席者が多いのが気になる。出席が20人を切るなど、心配である。基礎コースにはあんなに出席者がいて、熱心なのに、どういうわけだろう。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 甘草 昔仕田邸令甲陽日、閑地樹甘草、按国史上古 甲陽貢甘草故也、 当時邸献十数本於 太公 公種諸遠州采地、寄頓于相良邑正家、 余来覧之不得培方、 地亦不応之、凡甘草二三年一洗根、 製為薬品、更取新根種之、不然旧根尽腐朽、 新根亦不蕃殖、邑正不識之、欲閲年其大、 十数年未一穿云、甘草有二種、 南京所産大如煙管、 福州之産大可三四倍而南京之種為上品、 余所種即南京産、 欲其大豈可得哉、  太公聞地不応、客歳移於関東封内、不知能応否 (解読) 甘草 (かんぞう) 昔、 田 (安) 邸 に仕え、邸より 甲陽 に令 (れい) じられた日、 閑地 (かんち) に 甘草 を 樹 (う) えた。按 (あん) じるに、国史 上古 (じょうこ) 、 甲陽 (甲州) 、 甘草 (かんぞう) を 貢 (こう) ずる故なり。 当時、邸 (田安邸) 、十数本を太公に献ず。 公、諸 (もろもろ) を遠州の 采地 (さいち) に 種 (う) える。 頓 (とみ) に 、相良の 邑正 (むらおさ) 家 (け) に 寄せる。 余 (よ) 来り、 これを覧 (み) るに 培方 (ばいかた) を得ず。地 (ち) またこれに応ぜ ず。 二、三年に一度、根を洗い、薬品として製し、 更 (さら) に新根 (しんね) を取り 、 これを種える。 然 (しか) らざれば 、旧根 (きゅうこん) 腐朽 (ふきゅう) 尽くし、 新根また 蕃殖 (はんしょく) せず。 邑正 (むらおさ) これを識 (し) らず。年をへて、 その大なるを欲す。 十数年、未だ一度も穿 (うが) たずと云う。 甘草 、二種有り。南京産する所、 大きさ煙管の如し。...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(48)御前崎難船/金谷原

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裏の雑木林(元畑)のオハグロトンボ おそらく10匹以上生息しているようだ 2026.9.3 少し涼しくなって、裏の元畑、今雑木林の出てみたらオハグロトンボが何匹も飛んでいた。この暑い夏、外へ出ることも少なくて、久しぶりに昆虫に出会った感じがする。いつもおなじみのゴキブリも、この春、夏は出会ったのが二桁には届かないのではないのか。この暑さにゴキブリも参っているなんてことはないか。 今朝、新聞の訃報欄に、元会社のOSさんの名前を見つけた。湯日だから間違いないと思っていたら、やがて、いつも訃報連絡をくれるK氏から、その電話があった。 思い出すのは、入社したばかりの頃、配属が決まるまで、何かと面倒を見て貰ったことである。 OSさんは 当時セールスの役職だったと思う。その後、部門は違ったが、裏表のない人だったと記憶する。享年90歳、冥福をお祈りします、合掌。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 御前崎難船 〇厩崎急灘、毎歳覆没之殃不知其数也、近年其最多矣者、 天明中一時覆七十五艘、享和中覆二十余艘、実諸州之患也 (解読) 御前崎難船 〇厩崎 (御前崎) 急灘 (きゅうだん) 、毎歳 (年) 覆没 (ふくぼつ) の 殃 (わざわい) その数知れざるなり。近年その最多なるは、 天明中、一時 (いっとき) 、 七十五艘覆 (ふく) す。 享和中、二十余艘覆す。実に諸州の患 (うれ) いなり。 (語注) ※ 急灘(きゅうだん)➔ 流れの速い瀬。早瀬。急湍。 ※ 覆没(ふくぼつ)➔ 船などが転覆して沈むこと。 (原文) 金谷原 金谷原周数十里、不宜樹芸、古来為閑地、諸州有牛馬市、 遠州無有焉、 余以原請之開地莫便焉、便買牛馬一也、 通財交易有無二也、諸国人馬、 馬輻湊澆糞不乏三也、 売秣飲食及宿人馬民得利四也、民由此成家開田圃五也、 立撲買課諸国来者六也、然而未得稟准 (解読) 金谷原 金谷原周 (まわ) り数十里、 樹芸 (じゅげい) に宜しからず。古来、 閑地 (かんち) たり。 諸州に牛馬市有り。 遠州には 無有 (むう) なり。余、原を以ってこれを請け、 地を開く、 便 (べん) なきや。   牛馬を買う便、この一なり。 ...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(47)半左衛門善行

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  「蕉園涉筆(解読版)上」の表紙 2026.9.2 夕方、 河村泰子先生のお通夜に行ってきた。御主人は金谷郷土史研の前会長で、「現在、自分があるのは河村先生のおかげです」と話した。 さて、今日、 「 蕉園渉筆(解読版)(上)」の冊子化が完成した。ブログで紹介したものの大部分が収まることになるが、冊子化までには、あちこち訂正を加えた。このあと、 (中)、(下)と三冊で終わる。およそ3分の1くらい終わったことになる。 「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 半左衛門善行 波津邑、半左衛門家世里正、邑額三百余石、 皆其所有也、民家僅三十戸、 無尺寸之田、 寛政年、半左衛門留二百石余、分与於三十戸、 由此民挙励農事、 為部下第一之富邑、歴三十年 今戸数二百余家、男女九百余口云、 半左衛門死已数年、 子繁左衛門亦能教諭邑民、甲申冬具父子及邑民之状、 聞于 太公、公大感行賞賜、各有差、以励各邑 (解読) 半左衛門善行 波津邑 (むら) 、半左衛門、 家世 (かせい) 里正 (庄屋) 、邑 (むら) 額三百余石、 皆その所有なり。民家僅か三十戸、 尺寸 (せきすん) も無きの田、 寛政年、半左衛門、 二百石余を留どめ、三十戸に分け与え、 これにより、民 挙 (こぞ) って農事に励む。 部下 (ぶか) として第一の富む邑 (むら) 、三十年を歴 (へ) て、 今、戸数二百余家、 男女九百余 口 (くち) と云う。半左衛門死に已 (すで) に数年、 子、繁左衛門、 また能 (よ) く 邑 (村) 民を教え諭 (さと) す。甲申 (文政七年) 冬、父子具 (そろ) って 邑 (村) 民の状 (書状) に及び、 太公に聞こえ、公、大いに感じ 賞賜 (しょうし) を行う。 各 (おのおの) 差あり、以って各 (おのおの) 邑を励 (はげ) ます。 (語注) ※ 家世(かせい)➔ 代々続いてきた家柄。 ※ 尺寸(せきすん)➔ ほんのわずかの長さや広さであること。 ※ 部下(ぶか)➔ 支配、管轄下の地域の内部。部内。 ※ 口(くち)➔ 人数。人口。 ※ 賞賜(しょうし)➔ 功績などを賞して物を与えること。 (続く)