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自分古文書(20)ファミリー山行(4)大丸山

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庭に小菊が咲き出した   2026.10.27 「 ファミリー山行 」の掲載を始めて、一番楽しんでいるのは自分だろうか。記憶の薄れた昔の山行を、思い出している。子供が小さくて、義父も元気で、今から思うと、幸せな時代だったと思う。昔は良かったは年寄りの繰り言であるが、20世紀後半、自分が生きた50年は、本当に平和で幸せな時代であった。 この21世紀は色々、ひしひしと、危うさが迫っていると感じるのは、自分だけではないと思う。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (4) 大丸山 572m ー  高原の草競馬場跡にオートバイ  ー 月 日   昭和58年1月9日(日) 天 候   晴れのち曇りのち晴れ 風弱し 同 行   長男 ・長女 行 程   金谷駅( 8:24 ) ➡ 蒲原駅( 9:35 ) ➡ 霊光禅院( 9:55 ) ➡    農道終点( 10:20 ) ➡ 草競馬場跡( 11:00 ) ➡  大丸山山頂( 11:40~12:05 ) ➡    大平山( 12:30 ) ➡  叙情の森( 13:05 ) ➡  中山( 13:50 ) ➡   小山【バス】(15:30~15:39) ➡  富士川駅( 15:50~16:06 ) ➡  金谷駅( 17:15 ) 感 想    金谷では晴れていたが、蒲原では雲が多くて、先を危ぶみながら登り 始める。東名のガードを潜り、霊光禅院へ一登り。境内は葬式の準備中 だった。農道をだらだら登ること小半時、途中、モトクロスに向かうオートバ イ3台に抜かれる。周りは蜜柑畑で薬かけの作業をあちこちに見る。 農道が切れ、山道になって一休みしていると、40歳位のおばさんが段 々になった田圃の畦を何かを探しながら登っている。子供が尋ねると、 『ふきのとう』だという。ざるに半分くらい採れている。言われて見れ ば、畦に蕗の葉が見え、注意して見ると可愛い『ふきのとう』が頭を出 している。日溜まりには、もう春がそこまで来ているのだ。 おばさんにさよならして先を行く。細い山道にオートバイの轍が見え る。山道は大丸山から西に続...

自分古文書(20)ファミリー山行(3)大尾山

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庭の生け垣の、その上に咲いたバラ バラは2.5メートル程の生け垣の中を枝を伸ばして その上に出て、ようやく花を咲かせた   2026.10.26 台風30号は温帯低気圧になったが、その影響で今日も雨、うんざりである。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行( 3)  大尾山 661m ー 『鳥居杉』の大洞に凩吹く ー 月 日   昭和57年12月12日(日) 天 候   晴れ、午後風強く冷え込む 同 行   長男(10才) 行 程   五和駅( 10:10 ) ➡ 金谷駅 ( 10:19~10:26 ) ➡       掛川駅バス( 10:42~10:50 ) ➡  居尻 ( 11:30 ) ➡   顕光寺( 12:30 ) ➡      大尾山山頂( 12:40~13:00 ) ➡ 田代( 14:00 ) ➡ 落合( 14:35 ) ➡      下田( 15:20 )バス  ➡  遠州森町( 15:40 ) ➡  戸綿( 16:15 ) ➡        掛川駅( 16:36~16:43 ) ➡ 金谷( 16:59 ) 感 想   掛川駅からバスで居尻へ。乗客は5人程。山へ向かうバスは皆な貸切 みたいに客が少ない。八高山で見かけた緑の トレーニングウエアの中年女性とま た同じバスに乗り合わせた。 居尻のバス停に『左大尾山』の石標がある。農道から右へ、大きな道 標としっかりした階段の山道に導かれて登る。林の中を15分、日の当た る斜面に出て、ススキの間を蛇行して高度を上げる。斜面が尽きると再 び林の中に入り、右へぐるりと巻いて尾根に出た。そこが駐車場でがっ かりさせられる。 そこから尾根を一登りで大尾山顕光寺、さらにもう一 登りで、杉の古木に囲まれた奥の院がある。 『鳥居杉』(県天然記念物)が天に向けて大きな洞を開けている。そ こが頂上なのだが、展望は全く利かなかった。風が出て梢を鳴らし、少 し休むと汗が冷えて寒い。昼食もそこそこに、お賽銭を上げ下る。顕光 寺では案内を乞い、森町への道を聞く。尾根伝いに行く道は子供連れで は無理...

自分古文書(20)ファミリー山行(2)八高山

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近所の共栄するススキとセイタカアワダチソウ 2026.10.25 近所で、仲良くススキとセイタカアワダチソウが共存している。一時はススキを駆逐すると思われていたセイタカアワダチソウも、 今では遠慮がちに、自慢の背(せい)もススキに負けている。 自然界はかくも平和なのに、21世紀の人間界は、国家エゴだけが際立って、争いが絶えない。人類には、進歩という言葉は無縁の様だ。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (2) 八高山 832.1m ー  杉林急斜面の苦闘、1時間  ー 月 日   昭和57年11月28日(日) 天 候   晴れ、大変おだやかな1日であった 同 行   義父・長男 (10才) 行 程   五和駅( 9:09 ) ➡ 福用駅( 9:20 ) ➡ 馬王平( 11:20 ) ➡       反射鏡( 11:40 ) ➡ 白光神社( 12:00 ) ➡   八高山( 12:10~13:10 ) ➡       前山部落( 15:10 ) ➡ 家山駅( 16:18 ) ➡ 五和駅( 16:39 ) 感 想   福用駅すぐの登り口から登ればよかったのだが、横岡の父が知り合い に聞いたというので、右手の谷へ回り込んだ所から登る。はじめこそし っかりした道があったが、杉林に入ったところからやや怪しくなり、と うとう杉林の中の足場がズルズルずれる急斜面を登ることになる。ただ 尾根だけを目指して、1時間の苦闘の末、尾根道へ出る。 それからは嘘 のようになだらかな杉林の間の山道となり、遠州ハイキングクラブの一行30人程 と、後になり、先になりして登る。白光神社は杉林の荒涼とした風景の中 にあった。周りに2、30本の太い杉が神域として伐り残されていて、 辺りを暗くしている。そこから程無く頂上。 山頂は狭く、ハイキングクラブに占拠された形の為、一段下の広場で食事。山 頂付近は雑木林で見晴らしは良く無い。東側に一ヶ所開けた所があり、 家山の町の上の川根筋の山々、その遙か向こうに飛び抜けて高く富士山 が見える。西側は逆光で、一面がサンシャインの中で光っている。掛川 市内だろうか、建物の屋根が...

自分古文書(20)ファミリー山行(1)高草山

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今夜はちらし寿司 2026.10.24 午後、金谷郷土史研究会の「竹下村誌稿」講座、第5回(最終回)が実施され これより、自分古文書「ファミリー山行」を載せる。30代から50歳で、気管支喘息を発症するまで、20年ほど、山登りを趣味にしていた。色々な山に登ったが、記録が残っているもの、そうでないものも、記憶には残っている。まずは、記録の残っているものをここに掲載する。ちなみに昭和57年は1982年、今から44年前になる。 「 ファミリー山行 」の掲載を始める。 ***********************************************************************   ファミリー山行 (1) 高草山 501.4m ー 初山行、カラス瓜採り、沢蟹も ー 月 日   昭和57年11月21日(日) 天 候   晴れ、小春日和、全体にかすみのかかったような天気なり 同 行   長男(10才)・長女(8才) 初めての山登り 行 程   金谷駅( 9:00 )➡ 焼津駅 ( 9:30 )➡ 石脇 ( 10:30 ) ➡        高草山 ( 12:30 ~ 13:30 )➡ 石脇 ( 14:30 )➡  焼津駅 ( 15:50 ) ➡       金谷駅 ( 16:30 ) 感 想 焼津駅から麓の石脇まで、片道約4.5kmを往復とも歩いた。子供に はややきつかったかもしれない。長女は帰りの焼津駅にもう少しの所で、足が痛 いとぐずる。自分は焼津駅の階段で、一瞬足が痛いと思っただけで済む。 麓の駐車場から、急な登りの雑木林を抜け、なるくなると茶畑になる ことを繰り返し、高度を高めて行く。今日は留守番だが、次女 (5才) より小さい子供も登ってい た。 頂上は静岡側半分が高草山中継所で占められて、眺望が遮られている。 焼津側にも大きな木があり、 180°視界がきかない。しかし、茶畑まで 下った所の展望は最高であった。また岡部側へは中継所へ資材を運ぶ道 路が付いていて、50mほど下った所から静岡側が良く見えた。雲の上に 雲と見紛う薄さで、雪をいただいた富士山が見えるのを長男が見つけた。 花沢山へ下る道は、小さい祠の裏手より続いているらしいが、ハッキリしな い。頂上は焼津の教育委員会主催の山登りの一団(約150~ 200...

解読依頼の、江戸駿府の狂歌より

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  静岡市南部生涯学習センター 2026.10.23 出来上がった狂歌の課題、午前中に静岡市南部生涯学習センターへ、USBと、そのプリント したものを渡して来た。 南部郷土史大学の記念誌を出すので、それに載せる原稿だと聞いている。 係り員が承知をしていて、 USBは先のパソコンにコピーして返してくれた。 江戸時代の後期、駿府では狂歌を趣味とする町人が多く、集まりも多く持たれたようで、今、読んでいる「硯屋日記」も筆者が狂歌好きで、日常生活を題材に、日記の中に、頻繁に狂歌が出て来る。ただ、単に語呂合わせのような狂歌が多く、決して上手とは思えない。 その駿府の狂歌の会で優秀とされた40首が、今回解読したものである。せっかくだから、三つ四つ、その狂歌を紹介しよう。   青柳 あおやぎ に 朝の 京 水 きょう すい   注 ぎ 足 して 長き夢みる  春近 はるちか の宿   暁 あかつき の  枕 まくら 時計に 今一度 かけてもみたき 夢の浮橋   秋風の 吹くたび/\に うなづいて 時知り顔の 萩が 花妻 はなづま     語らいし  連理 れんり の枝も 枯れ果てゝ 胸のほむらの  薪 たきぎ とぞなる これが当時流行した狂歌である。題材に色恋ものが多い。「枕時計」という言葉が出て来た。はて、この当時時計は、どの程度普及してなのだろう。S先生に電話で尋ねたところ、高価だったが、あるにはあったという。裕福な商人なら所持していたかも。 よく意味を考えると、狂歌の楽しみ方が分ると思う。

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(89)(遠州魚)

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  鱠残魚(しらうお) 毛利梅園著「梅園魚品図正」より(江戸、天保6年) 2026.10.22 狂歌の解読課題、昨日、今日、二日で終わる。明日、時間が取れたら届けよう。 今、懐中電灯を照らしながら、入力している。部屋の蛍光灯が切れてしまった。開けてみると、蛇がとぐろを巻いたような 蛍光 ランプが入っている。これは自分の手にはおえそうにない。明日、電気屋さんに電話しよう。 それにしても、パソコンは照明がないと使えないことが改めて知った。キーボードが見えないのだ。   「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) (遠州魚) 〇余在都下嗜春時比目魚、遠州無有也、赤鬃魚多、有、味減都下者、 且皮肉際有悪臭、土人以龍蝦為勝都下、信然、香魚産大堰川者佳、 遠而不得、香魚腐速也、余嗜膾残魚、遠州不産、波津海浜所網、 土人当之、然於真膾残魚 (解読) (遠州魚) 〇余、在都下に在り、春時、 比目魚 (ひもくぎょ) を嗜 (たしな) む。 遠州有ること無きなり。 赤鬃魚 (あこうだい) 多く有り。味都下より減 (げん) ずもの、 且 (か) つ、皮肉際 (ぎわ) に悪臭有り。 土 人 (どにん) 、龍蝦 (いせえび) を以って 都下に勝ると為す、 信然 (しんぜん) 。 香魚 (こうぎょ ) 、大堰 (井) 川に産するものは 佳 (よ) い。遠くて得ず。香魚は腐りが速いなり。 余、 鱠 残魚 (しらうお) を 嗜 (たしな) む。遠州には産せず。波津 (はつ) 海浜網する所、 土人、こ れに当る。 然 (しか) し、真の 鱠残魚 (しらうお) に非ず。 (語注) ※ 比目魚(ひもくぎょ)➔ ヒラメ・カレイの異名。 ※ 赤鬃魚(あこうだい)➔ フサカサゴ科の深海魚。アコウまたはメヌケ,メヌキなどともいわれる。 ※ 信然(しんぜん)➔ 信じるねうちのあること。また、そのさま。 ※ 香魚(こうぎょ)➔ アユの異名。 ※ 鱠残魚(しらうお)➔ シラウオ科の魚。全長十センチ。生きている時はほとんど無色透明、死ぬと白くなる。日本海全域と、太平洋側では本州中部以北に分布。汽水域にすみ、春、産卵のため川を遡る。( 波津のものは し...

「蕉園渉筆」(漢文)を読む(88)松魚

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松魚(鰹魚烏帽子)、つまり「かつお」 毛利梅園著「梅園魚品図正」より(江戸、天保6年) 字は細かくて読めないが、「松魚」の所は判る 2026.10.21 午後、金谷郷土史研究会の例会。Hさんに寄り、江戸初期、11年の東海道、その主に島田側の調査の報告がなされた。11年だけの東海道になかなか400年も経った現在、その痕跡を捜すのは大変である。その重要な痕跡は「一里塚」の存在なのだろうが、郷土史家の先輩たちが想像した径も、中々納得しがたいようであった。  「 蕉園渉筆」解読の続きを載せる。 *********************************************************************** (原文) 松魚 〇癸未歳自初夏至秋末、相良之海出松魚十倍於常年、余在江都不嗜松魚、 初来試喫之、味与江都別、作鱒紅色之鮮、最可賞也、 松魚江都所鬻産於相州、 三四月初出者購以数金、都人嘗新為栄、 貴家相競、貧者典衣而食、遠州掛川駅、 距相良一日程、逓送松魚嘗新為栄、 稍与都人似矣、一民典衣而食、余鱠少許、 夸餽諸隣人、喜謂、独嘗之不情也、 乃招其旧知、署案買酒、待弄紅鮮、 旧知来見其不多、以為主人既飽、 卒下箸一口喫二三臠、見之意頗忿、 傾杯已亦喫一臠、客又一口喫尽、 興趣索然、於是忿形色、切歯扼腕、大声成勢、 欧撃知旧然後快然忿解稍愧走入別室、 知旧始識其待、己不喫、自忍海窟辱去、 余泊駅時逆旅主人話之 (解読) 松魚 癸未 (文政六) 歳、初夏より秋末に至り、相良の海、 松魚 (しょうぎょ) 常年の十倍 出 (い) づ。 余 (よ) 、江都 (江戸) に在りて松魚を嗜 (たしな) まず。 初来 (しょらい) これを 試喫 ( しきつ) す。 味 (あじ) 江都 (江戸) と別して、鱒 (ます) の紅色の鮮 (あざや) かさを 作 (な) して、最も賞 (め) でるべきなり。 松魚 (鰹) 、江都 (江戸) で鬻 (ひさ) ぐ所、相州に産し、三、四月初出 (しょしゅつ) もの、 数金 (両) を以って購 (あがな) う。 都人、新しきを 嘗 (な) め 、 為栄 (いえい) す。 貴家相競 (きそ) い、貧者 典衣 (てんい) して食う。 遠州掛川駅、相良 に一日程 距 (へだ) つ。 遠州掛川駅、相良に一日程距 (へだ) つ。 逓送 (て...