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自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(11)

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  広重『夜の雪』記念碑 2026.3.6 夜、高熊のS氏から、解読版 「 大地震能記」と「 大井河源記」のお礼の電話があった。金谷へ出ると寄られる、S理髪店に、渡してもらえるように預けておいたものである。喜んで読んでくれそうな人に進呈しているが、ほめられると続けたくなる。まだまだ読んで貰いたいものがいくつもある。今、まとめているのは、五和の百姓一揆「薦被り騒動」と、松浦武四郎の「 東海道山すじ日記 」の二つである。これも興味をもってもらえるものだと思う。乞うご期待。 東海道ウォークも四日目に入る。 ********************************************************************************************** 「花粉症」うんがつかなかったのが運のつき 岩淵宿(間宿) → 蒲原宿 → 由比宿 → 興津宿 日時 平成7年3月11日(土) 晴れ、花粉非常に多し 昨年の夏の猛暑で、この春の杉花粉は昨年の10 倍飛ぶと言われている。しかも雨の翌日は花粉が非常に多いと言う。昨日の久し振りの雨でその条件通りの日となった。こんな時、花粉症の身としては家でおとなしくしておれば良いものを、持ち前のあまのじゃくで、敢えて火中に栗を拾いに行く気持ちで出かける。鈴さんが花粉よけの眼鏡を買ってきたと披露した。今日はそれがものを言いそうだ。 富士川駅下車。西へ向かって歩き始めて四日目、電車に乗る時間もだいぶ短くなってきた。富士川駅から前回降りてきた高台への道を登る。富士川郵便局は九時からで、開いていなかった。東名を潜る手前に中之郷のサインがあった。サインを背景に、入れ代わり写真を撮っている間に、鈴さん・臼さん・和さんの三人とも、まだ生々しい犬の糞を踏んでしまって大騒ぎになった。三人は靴の裏がかなり後々まで気になったようだ。しかし、『運がついた』三人は縁起が良い。唯一運が付かなかった自分には、このあとえらい災難が降って湧く。 吉原宿 7.2km   → 【富士川町 中之郷】 →  蒲原宿 2.5km 東名のガードを潜った所に、古い碑があった。『野田山不動明王』と書かれた、東京の三田講が立てた碑であった。昔、社内ハイキングにも来た野田山に、東京まで知れ渡るほど有名な不動尊があったとは知らなかった。 こ...

茶価が一番茶より秋番茶の方が高いとはどういうこと

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購入した「べにふうき」 花粉症にテキメン  島田市金谷栄町347-8 ㈱川崎園 TEL:0547-46-3550 2026.3.5 寒さが和らいで、いよいよ花粉症が厳しくなってきた。ここへ来て、自分の 『べにふうき』 の在庫が切れそうで、現役時代に関与していたK園に『べにふうき』を買いに行った。そして、久しぶりに担当に会社の様子を聞いた。 今、茶業界は大きく変化を遂げていて、抹茶とペットボトルが大きく伸びて、今年の相場は、一番茶よりも、秋番茶の方が高いという、かつては考えられなかった現象が起きているという。 静岡県はお茶の生産高で鹿児島県に追い越されたと聞いたのは、昨年だったか、一昨年だったか。いずれそういう事態になるだろうと予想はしていた。ただ、抜かれたのは、鹿児島県の生産量が増えたわけではなくて、静岡県が大きく減って、相対的に鹿児島県に抜かれたというのが実態のようで、それは予想外であった。 生産者が高齢化して、儲からない茶業に後継者がなくて、放棄茶園が増えているとは聞いていたが。 実際に、生産量が大きく減った中で、健康志向による 世界的な 緑茶需要に、追いついていないようだ。今年、ペットボトルのメーカーが増えて、一気に秋番茶の需要が伸びて、一番茶と相場が逆転することが起きたという。 真面目に茶業に取り組んできた農家は、今年は儲かったようで、それは何よりであった。 K園の親会社のK機工では、近年、製茶プラントの需要が減って大変だったようだが、このところ、抹茶の製造プラントが好調で、需要に生産が追い付かず、二年先までの受注を抱えていて、売り上げも久しぶりに100億越えになるという。そういえば、自分が現役のころ、一度だけ100億越えを経験したことがある。 会社を定年退職した時、金庫番として会社の金勘定を仕事にしていた関係で、もうこれからは金に関わることは一切しないと心に決めて、あれから十五年、旧勤め先には一切足を運んでいない。それでも、気にはなるもので、今日は、よい話を聞いた。 この景気がどこまで続くか分からないが、まずは目出度い。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(10)

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  富士川の赤富士 2026.3.4 東海道ウォーク三日目の続きである。 ************************************************************************************** 富士川の手前には『水神社』がある。『富士川渡船場の跡』との案内板もあった。境内に『富士山道』の大きな石碑や『富士川帰郷堤の碑』があった。これより上流側の堤防は遊水池を作って水勢を和らげるように工夫されていて、その形が雁が羽根を広げたように見える所から『雁堤』と呼ばる堤がある。江戸時代初期に造られた堤だという。 富士川に掛かる歩道橋の途中より、富士山の写真を取る。朝から見えていた富士山には必ず無粋な電線が入ってしまったが、ここで初めて邪魔のない無傷の富士山の写真が取れた。橋を渡った対岸の土手の10メートルほど川上に、『渡船場跡』の共通サインがあった。 吉原宿  5.2km   → 【富士川町岩淵宿 渡船場】  →  蒲原宿  4.5km 土手の下の河原に三角形のコンクリートの構築物があった。流木から堤防を保護するものだろう。河原には富士山を狙う数人のカメラマンが場所取りをしていた。低い堰があって、上流には広い水面が広がっている。そこに逆さ富士が映る。堰を越す水流と富士山、鴎が群れ翔ぶ姿など、シャッターチャンスには事欠かないのであろう。我々も次々とシャッターを押した。 土手を更に川上に上った所に、渡船『上り場』常夜燈がある。旧東海道ではここで渡し船を降りたのであろう。またここは、富士川を船で下ってきた信州、甲州の物資が荷揚げされ、東海道に引き継がれる交通の要所であった。京都の豪商の『角倉了以』がここの舟運を開設したことを記した、紀功碑があった。 東海道はここから坂を上って岡の上を行く。現在の街は下にあるが、そこは昔はおそらく河原だったのだろう。旧街道に『間の宿 岩淵宿』の『常磐本陣』があった。黒い塀の屋敷内に『本陣のマキ』と呼ばれる古木が見えた。また、常夜燈がさり気なく立っているなど、旧東海道の雰囲気が色濃く残っていた。『岩淵の一里塚』は役場のそばに残っていた。一里塚の榎の巨木は『静岡県の巨木』に数えられている。そばに東海道の共通サインを見つけた。 吉原宿  6.2km   → ...

新居の旅館「あさしお」に一泊

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「あさしお」の窓から浜名湖 養殖青のりの棚が並ぶ 2026.3.3 一晩、 浜名湖湖畔、「活魚の店あさしお」に宿泊してきた。息子が浜名湖サイクリングで、抽選に当たったペア宿泊券で、 来ることはまずない、こんな旅館に宿泊することになった。 昨日、午後三時チェックインを目指して、午後一時頃に出かけた。国道一号線のバイパスを行くと一時間半は掛からなかった。早く着いたので、新居関所でも見学しようと、行ったが、今日は定休日。そうか今日は月曜日か。他の旧旅籠の資料館なども休みであった。月曜日だったことを忘れていた。予約が簡単に取れたわけである。 それでも時間はつぶせて、3時過ぎに 「活魚の店あさしお」に入った。他に宿泊客は居そうになかったので、「今日は貸し切りかねえ」と聞けば、部屋に案内してくれた女性は「後で二組来られます」と答える。 部屋は二階の和室二部屋の仕切りを外して、一部屋になっていて、12畳ほどの広さか。トイレ、洗面、風呂は別で、共用になっている。窓を開けて眺めると、すぐ直下に散策道があって、すぐに浜名湖である。直下から緑の養殖棚が広がっていて、青のりの養殖場であった。浜名湖の向こうに浜名バイパスの浜名大橋が見える。左手の湖中に赤い鳥居が見えるが、ここから見えるのは真横からの鳥居である。今日はどんより曇っているが、天気が良ければ夕景は美しいようだ。 夕食は魚尽くしの会席料理で、あまり食べたことのない魚が出た。献立表から拾うと、マグロ、マゴチ、イサキ、紋甲烏賊、白魚、メヒカリ、浜名湖産カキ、結構お腹いっぱいになった。 どういう人が泊まりに来るのか聞かなかったが、釣り客などが多いのかもしれない。会席料理だけを食べにくるお客も多いと聞いた。 「これで二組目です」とは、当たりくじが三本あって、一組目の客もやはり息子さんが、 当てたくじだったという。いずれも当たったくじで親孝行か、と思う。 今朝は大雨になってしまい、どこへも寄らずにまっすぐ帰宅した。ゆっくり休めたような気がしていたが、疲れがのこったように思う。帰宅して一寝入りした。 ネットで見ると、この店はまだ若い夫婦で経営しているようで、見覚えのある夫婦の写真が出ていた。そういえば帰りがけに、丸刈り小太りの男性が挨拶に出ていた。あの亭主が料理担当なのだろう。この宿の料金は一泊一人、平日は9000円だとあった。このくじはペアだ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(9)

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名勝左富士 2026.3.2 今夜は、浜名湖湖畔の宿で、女房と旨い料理を食している予定なので、ブログは前夜用意して、時間指定しておいたので、あしからず。 東海道ウォーク三日目の続きである。 ************************************* 昭和放水路を渡った松林の中に、増田平四郎翁とスイホシの記念碑があり、翁の像が建てられていた。この辺り一帯は駿河湾から押し寄せて来る砂に阻まれて、排出されない水が浮島沼に代表される湿地帯を形成していた。翁は明治二年、排水路を造って大干拓(スイホシ)に成功した。しかし、その後排水路は津波で埋もれてしまった。昭和放水路はその排水路とほぼ同じ位置に造られている。今でも放置すれば埋まってしまうのであろう、以前『海岸歩き』の時も放水路は工事中だった。 『沼田新田の一里塚』は見当たらず、少し先の道端に自然石の道しるべを見つけた。『春耕道しるべ 第一号』と木柱が立っていた。石の表面に薄く文字が彫られ、富士山や旅人の姿などが彫りつけてあった。仁藤春耕という人が建てたものらしい。 旧東海道にはもう一人、排水のために一生をかけた男がいる。高橋勇吉翁は、水はけが悪いうえに、海から塩水が逆流して度々作物を枯らすのに心を痛めて、その排水工事を手掛け、嘉永三年、ようやく『天文堀』として完成した。しかし今ではその堀も残っておらず、ただ街道沿いに功績を記した碑が一面残っているだけである。 『吉原の毘沙門様』から富士山 『吉原の毘沙門様』で有名な香具山妙法寺は大祭が二月四日~六日にあり、ダルマ市で賑わう。往路の電車で吉原駅にすでに毘沙門天の大祭の看板がホームの柱毎に取りつけてあった。妙法寺は中国風の極彩色の香炉場や丸い帽子を被ったような建物があり、一風変わった寺院である。鈴さんが代表で上がって御朱印を頂いてくれた。大祭前で忙しいらしく、初めは朱印だけだと言っていたが、結局筆で書いて頂いた。本堂側から富士山を入れた写真を撮るのに、向かいの大昭和製紙の高い塔が入って邪魔になった。境内では大祭に備えて古いダルマの納所の準備が進んでいた。 声高に昼食の場所に付いて話して歩いていたところ、道行く人が駅まで行けばあると教えてくれた。吉原駅の駅前食堂の『松新』で、ラーメンに小焼飯のAセットを頼む。デザートまで付いていて、かつ丼を頼んだ和さんと臼さんに、鈴...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(8)

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阪神淡路大震災で最も驚かされてのはこんな画像であった 今読み返すと、我ら「東海道ウォーク」はこんな時代だった この地震を皮切り に、日本全国に大地震が続発して、現在に至っている 2026.3.1 東海道ウォークも三日目である。 ************************************ 富士山三昧、仕上げは富士川赤富士 原宿 → 吉原宿 → 岩淵宿(間宿) 日時 平成7年1月29日(日) 快晴 東海道ウォーキングの第二回を終えた次の日の早朝、淡路島を震源地とした直下型の大地震が発生した。その後、日本をひっくり返すような大騒ぎとなった阪神大震災の幕開きであった。神戸や西宮ではどんな地震にも壊れないと言われていた高速道路が、新幹線が、ビルが次々と脆くも潰れてしまった。百数十ヶ所から火が出て、倒壊した家屋が次々と燃えていった。道路が寸断されて消防車は火災現場まで行けず、やっと到着しても消火栓が潰れて放水出来ず、燃えるまま見ているしかなかった。 地震とその後に起こった火災による犠牲者は5000人を越えた。倒壊したビルや家屋や、一面の焼け野原は戦災の跡を思わせた。日本の西と東を結ぶ大動脈の全てがズタズタに切断されてしまった。その日から人々は二本の足で歩くことを始めた。買い出しに行く人、被災した知人を避難所に見舞う人、五時間も六時間もかけてひたすら歩く人の列が蟻の、行列のように続いた。皮肉にも酔狂な我々のようなウォーキング族が、毎日テレビに映っていた。 こんな時に非生産的なウォーキングで申し訳なくもあるが、気分の乗った時に行ける所まで行こうと出かけた。今朝は寒いと思い、ジャンバーに背当てを着けてきた。随分温かい。富士山は愛鷹山の西側に移っていた。 原駅から少し北へ歩いて旧東海道へ戻る。高嶋酒造前に富士の霊水が出ていて自由に飲むことが出来た。酒造りに使っているだけあり、何やら旨い気がする。因みに高嶋酒造の銘柄は『白隠正宗』という。 原の一里塚は『一里山』という店の屋号に唯一残っていると書かれていたが見つからなかった。海岸にあるという『要石』にも何の標識もなく、『原宿以西の松並木』も見当たらず、ひたすら真っ直ぐの道の狭い歩道を歩く。和さんは甍が何重にも重なる大きな住宅に感嘆の声を上げる。とにかく立派な家が多い。『桃里』という集落がある。かつてはこの地を開墾した鈴木助平...

ワードのフリガナ入力で、ひらかな変換が出来ない!

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庭のシュモクレンが一斉に咲き始めた 2026.2.28 パソコンが新しくなって、とまどうことばかりだが、ここまで何とか凌いできた。今日、ワードを使っていて、漢字にフリガナを振ろうとしたが、入力がすべてアルファベットになって、ひらかなに変換できない事態が発生した。これでは満足に古文書の資料が作れないではないか。 色々とパソコン上で、あれこれと試みてみたが、どうにもならず、仕方なく購入した店に聞こうと電話をした。 電話に出たのは女性で、原因がわからない。ここでは何とも答えられないという。今までのパソコンでもワードで普通に出来ていたのだからというが、反応は「わからない」というだけ。最初にこの電話は録音させてもらうと断られている。 これ以上言うとクレーマーになると思った。 質問を変えて、これまでもそんな質問を受けていないかと聞けば、そんな質問を受けたことはあるという。その時は、別の場所でフリガナを書いて、コピーを取って貼り付ければできると話した。それでは作業が大変だが、というと、そのお客様はその後パソコンを立ち上げたら直っていたと聞いたという。やってみるしかないかと、電話を切った。 早速、作業中のワード画面の空いたところへフリガナを書いて、コピーアンドペーストで入力し たが、フリガナを振るたびにこの作業は大変だと思った。 作業を続けようと、フリガナを書いてみると、何と仮名変換が出来るではないか。何度か試したが、今まで通りに使える。まるで。コピーアンドペーストでひらかなをコピーしたことで、パソコンのこの機能が途端に目覚めたように感じた。 先ほどは少しきつく言ったかと思ったので、再度電話して、一度 コピーアンドペーストしたら変換機能が目覚めたみたいで、支障なく使えるようになったと、経緯を説明して、礼を言って電話を切った。今後、同じ問題が起きたら、その担当は処置として、一度 コピーアンドペーストを勧めることになるだろうと思う。 午後一番で散髪屋に行く。店主が歴史に興味を持っていると聞いていたので、解読版の「大地震の記」を進呈した。散髪をしながら店主の話に、ネットでつながる仲間から、近江と遠江は京都に近い方が近江、遠い方が遠江というと聞いた。今まで江戸に近い方を遠江、遠い方を近江と、どうして反対なんだろうと不思議に思っていた。そう、「江」は江戸のことだと思っていたから、真逆だったと...