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自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(8)

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東海道ウォーク、終りに豊川稲荷へ初詣 2026.4.28 今日より5月1日の駿河古文書会の予習に入る。当番ではないが、予習は必ずやって行く。自分でも感心だと思う。もちろん学生時代にはなかったことである。 東海道ウォーク 番外姫街道3日目を続ける。長くお付き合い願った 「 東海道ウォーク」も今日で終わりとなる。明日からはまた別の自分古文書を載せよう。 ************************************* 家並をはずれて坂を登り、車道に出てすぐに駐車場があった。小さな祠に二体の弘法大師の石像が祀られてあり、『大師堂』と標識があった。そこにワゴンを止めたハイカー姿の中年男性がいて、本坂道が荒れているという。静岡のユースホステル協会の人で、近くここでハイキングを行うので下見をして来たと話す。楽しみにしていた本坂峠の椿の原生林は、花はおろか蕾さえ見当たらなかったという。去年の夏の水不足で、花も付けれないほどに木が弱っているのであろうか。 峠へ至る登山道を少し登ったところで、臼さんがキジ打ちに行く。ついでに我々も休憩をとり、お握りならぬ餡まんと肉まんで昼食に代える。道は言われたほど荒れているとは見えず、ユースホステル協会ともあろう団体が、これ位の道を荒れているというのはおかしいと話す。さらに石畳が始まって歩きやすくなる。十年も前になろうか、ここを子供たちと下ったはずだが、もっと狭い山道だったような気がする。幼い子供たちが藤つるを輪に繋いで、汽車ごっこをしながら下った。一度、本坂峠の旧車道に出てさらに山道は続く。 道端に巨大な岩があった。かってはこの街道を行き来する女性たちが、この岩に自分の姿を写して化粧を直したといわれ、『鏡岩』の名が付いている。岩質は『チャート』だとあったが、固い堆積岩でいかにも磨けば顔でも映りそうである。伝説には後日談があるもので、ある盗人がこの前に立ったときから、現在のように曇ってしまったのだと伝わっている。大きさは長さ十メートル、高さ三メートルだという。 もう一度旧車道に出た所に『椿の原生林』の標識があり、確かに遊歩道の両側に椿の太い木が群生している。樹齢は200年という。しかしどこを探しても椿の花も蕾も見当たらず、葉色が悪くて樹勢もなかった。 杉の木立の中に『本坂峠』はあった。南は尾根つたいに湖西連峰を辿って新所原へ、北は坊ヶ峰へ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(7)

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本坂一里塚 2026.4.27 解読版の冊子化で、次は鈴木牧之の「上越秋山紀行」を選んだ。読んで面白そうなものと考えると、どうしても紀行ものを選んでしまう。今回はかなり遠方のものであるが、読んで面白かったので選んでみた。 東海道ウォーク 番外姫街道も、3日目である。「 東海道ウォーク」もここで終わりとなる。 *************************************   終わりは本坂峠を越えて豊川稲荷へ初詣 姫街道( 三ヶ日宿 → 豊川稲荷 ) 日時 平成8年1月27日(土) 快晴、後時々くもり いま巷では、昨年末のWindows95のフィーバーに続いて、インターネットブームが起きている。体験してみないと話にならないと、先週から自分でもインターネットに加入し接続に取り組んできた。苦労してやっと日曜の朝四時に繋がった。しかし、まだ不安定でスムースに繋がることが少なく、繋がってもすぐに切れてしまうなど問題は多い。とにかくこの一週間インターネット疲れでぐったりだと皆んなに話した。ボケ防止にパソコンをやっている熟年も多いという話に、鈴さんがどのくらいの費用がかかるのかと聞いていた。今は本当に安くなっているから買ったらどうかと勧める。 和さんは先日大札山に登ったが、そこで会ったおじさんが、そこから浜松のアクトタワーが見えると話していた。それらしき物が確かに見えたが、大札山から浜松が見えるはずはないと思ったという。アクトタワーに上がって大札山が見えたら、きっと大札山からも見えるはずだとは、答えにならない答えであった。 浜松駅のバス停でバスを待つ間に、白いジャンパーのおじさんが話しかけてきた。やはり姫街道を歩いているという。磐田から歩いて来て、今日は我々と同じ三ヶ日から本坂峠を越えるのだという。我々以上に道草が多いらしく、今日も浜名湖岸のマンサクの名所に足を延ばすという。後日調べて見ると、三ヶ日町鵺代の『 乎那 の峰』に、およそ三百株のマンサクが群落をつくり、静岡県の天然記念物になっている。ところが、なぜか白いジャンパーのおじさんは我々の乗るバスには乗らなかった。 運転手に尋ねるとバスは三ヶ日駅には寄らないという。前回のコースと繋ぐために、姫街道上の三ヶ日バス停で下りる。 前回と踏み跡を繋ぐために、三ヶ日郵便局まで戻る。実は前回取れなかった風景印の期待をし...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(6)

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慈眼寺庚申堂 手前に梅の古木が見えている 2026.4.26 桑原藤泰著の「安倍記」、解読版の冊子化が出来た。これで8冊目になる。桑原藤泰著に「浜かづら 安倍紀行」という書があるが、「 安倍記 」は、 本人がその要をまとめ、読みやすくしたものだという。旅日記風に書かれていて、確かに読みやすい。途中、日が一日ずれているように思うが、細かいことは言うまい。これも希望者に分けようと考えている。特に静岡の人は読んでみて貰いたい。 以下へ8冊の冊子を挙げる。   1 歳代記(幕末編)       松浦幸蔵著   2 歳代記( 明治編)         〃      3 安政 大地震能記         山崎久麻呂著    4 大井河源記(前編)      桑原藤泰著   5  大井河源記(後編)         〃      6 安政大地震記録         松下良伯著    7  薦被り騒動(五和の百姓一揆)  山田家文書   8  安倍記              桑原藤泰著                   東海道ウォーク 番外姫街道、2日目を続けよう。 ************************************* 再び街道に戻り、慈眼寺に立ち寄る。ここの庚申堂は、明治になって佐久米から買い取り、移築したものだという。一見して古いものに見える。堂前に梅の古木があった。 姫街道は東名高速によってここで寸断されて昔とは随分変わってしまっている。現在の道は迂回して東名を潜り、向こう側の東名に沿った道を大里峠へ登る。旧の大里峠が地元民により整備されているという立て札につられて道を逸れて山へ登ってみたが、行き止まりで引き返した。ついて来なかった川さんは懸命だった。東名を高架で渡り返して三ヶ日の町へ下る。 雨が再び降り始め、今度の雲行きでは容易に止みそうに見えなかった。皆んなの足がさらに急ぎ足になる。高札場跡の標識も横目に通り過ぎた。 三ヶ日の町に入ると、道が改修されて地図とうまく照合出来ずに、自分のいる位置を見失ってしまった。多分この方向で良いだろうと進んで行くと、三ヶ日一里塚の石碑があった。位置は確認出来たはずであったが、自信なさそうなナビゲーターに心配して、和さんが近くでゲートボールをする人に聞いて来てくれた。...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(5)

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姫街道 姫岩(平石) 2026.4.25 東海道ウォーク 番外姫街道、2日目の続きである。 ************************************* すぐに引佐峠が始まり、復元されたらしい石畳が始まる。金谷の石畳ほどの幅は無いが、使われた石が丸石ではなく、お城の石垣をねかせたように、割った石の平らな面を使っていて、気持ち歩き易い。 金谷の石畳ほどの高低差を登りきった所に、『平石御休憩所』がある。『姫岩(平石)』の説明板があった。往時には、大名行列が通るときなどに、気賀の近藤家の家臣がここまで出迎え、湯茶の接待をしたという。見回すと、すぐ側に畳十畳敷ほどの一枚岩があった。道面とほぼ同じのため目立たなかったが、少し傾斜があって、かっては旅人の絶好の休憩場所になっていたのだろう。江戸時代以来、幾多の旅人が座ったと思うと感慨がひとしおである。 和さんは、今朝出掛けに折り畳みの傘を持ってきたから、きっと雨が降ると不吉な予想を立てていたが、休んでいる間に雲行きが怪しくなり、雨の心配が出てきた。お天気が続いていたし、午後になって降水確率がやっと20%の予報だったから、まさかと思っていたのだが、合羽も家に置いて来たという鈴さんもおり、何となく気忙しくなってきた。 浜名湖もちらちら見える緩やかな登りの山道を行く。道が時々別れるが、標識がしっかりしているから安心である。地図によると、遙か山の上を通る車道と合流する辺りが峠のようだ。引佐峠は切り割りになった車道には出ないで、山道を登った所にあった。 南へ行くと天浜線浜名湖佐久米駅へ下る。北へ行くと道路で切断されているが尉ヶ峰へ登るハイキングコースである。姫街道は東から来て西へ下る。引佐峠はその十字路にあった。 登りよりも急な下り坂が続き、中でも急なジグザク道に『象鳴き坂』という名前が付けられていた。清の商人が広南国より朝廷に献上した牡の象を、京から江戸へ送るのに、今切を舟で渡ることが出来ず姫街道を通った。その折りこの長い急な坂道に、さしもの象も悲鳴を上げたということからの命名である。 少し下ると左手に大きな岩があった。『石投げ岩』である。岩の上に小石がたくさんのっていた。案内板によると峠を登り下りする旅人が、その岩に石を投げると無事に峠が越えられるという。早速石を探すが舗装された道には容易に石が見つからない。全員来た道を...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(4)

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我が家に似合わない胡蝶蘭 2026.4.24 何日か前、まーくんの父親の勤める会社で新社屋の落成式があったようで、胡蝶蘭の鉢をいただいたと言い、その内一鉢を我家へ持ってきてくれた。どこへ飾ろうと考えるも、大きすぎて飾る所もない。結局玄関に飾ってみたが、大きすぎて、我が家には似合わない代物である。買えば数万円はすると聞き、粗末にはできないが、胡蝶蘭の花はどのくらい持つのであろうか。花が終わったらどうすれば良いのか。来年も花を咲かせる方法があるのだろうか。疑問だらけで、今日もこの花を眺めている。 東海道ウォーク 番外姫街道、2日目を載せる。 ************************************* 時雨に追われて素通りの三ヶ日宿 姫街道( 気賀宿 → 三ヶ日宿 ) 日時 平成七年十二年二十四日(日) 晴れ後しぐれ 先週末に引き続き、姫街道の二回目を歩く。この慌ただしい年末に街道歩きを行うとは、非常識かもしれないけれども、そんなグループがあっても世の中楽しいではないか。東海道スタンプも三ヶ日宿を残すのみとなった。 昨日、社内のボーリング大会の帰りにコージツへ寄り、毛糸の帽子を買う。前回寒くて、鈴さんの耳の隠れる帽子が羨ましかったからだ。カナダ製で1800円ほどかかった。 浜松駅のロータリー型のバス乗り場から気賀駅行に乗る。客は少なく、我らの5人合わせて 3000円の運賃は大きな収入だろう。下車時のボタンが前の座席の背に付いているのは大変楽である。お年寄りには何よりのサービスだと思う。 バスは前回歩いた所をたどるように走る。苦労して歩いた所を次々と確認する。見過ごしたサインを見つけて、どうして見逃したのか不思議に思う。終点の気賀駅で下車。駅前の道路上で写真を撮り歩き始める。お天気は上々でこのあと時雨れるとは思いもしなかった。 姫街道に戻るとすぐに気賀宿の本陣(中村家)跡があった。また地元の細江仏教会の僧侶数人が、墨染めの衣と笠を被って、読経を唱えながら、家々を托鉢してくるのに出会った。胸には『義援托鉢』と掛かれた袋を下げていた。案内書にも出ていた古い家並の一軒に、『名倉屋』と出ていた。 『犬くぐり道』は、地元の人が気賀関を避けて通った山道である。 莚 ( むしろ ) を一枚垂らして、その下をくぐり抜けさせたという。地元民だけには目こぼしされていたのであろう...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(3)

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姫様道中の大きな絵看板 2026.4.23 解読冊子は、現在8冊目「安倍記」を手掛けている。桑原黙斎には「濱つづら安倍紀行」と 「 安倍記 」があるが、内容は似ているが、 「安倍記」の方が旅紀行として、まとめられているので、そちらを手掛けることにした。 それはさて置き、東海道ウォーク姫街道1日目を続けよう。 ************************************* 今日初めて、メイン道路から外れて、少し進んだ四つ角に『六地蔵』が祀られていた。傍の竹藪はかって刑場であったと言い、刑死者を供養したものだという。そして六地蔵のサインがあった。 浜松宿  11.5km   → 【細江町六地蔵】  →  気賀宿  2.7km 見る人が見れば、その竹藪にはきっと霊がうようよしているのだろうと誰か言う。だから、その部分だけは未だに土地利用されず、竹藪で取り残されているのだろう。 姫街道は道から逸れてさらに細い道になる。その分岐の角に秋葉常夜燈があった。姫街道の道しるべもあったのだが、川さんは一人なら知らずに行き過ぎてしまうところだと語る。 槇囲いの中の道を少し行くと千日堂に至る。ここでゆっくりと休憩する。千日堂は最近建て直されて新しくなっていた。代々気賀関所の管理者だった近藤家の下屋敷にあった観音様を移して祀ったのが始まりだというが、宝永年間に阿弥陀如来を祀って、千日念仏が行われてから千日堂と呼ばれるようになった。椎の古木が何本かあった。臼さんからミカンを頂く。 老ヶ谷の一里塚には気がつかずに過ぎ、姫街道の面影の残る長坂も平行する車道の方を下ってしまった。そして細江の入口の落合橋を渡る。この橋の直前で都田川に井伊谷川が合流する。だからこの橋を落合橋と呼ぶのであろう。江戸時代には渡し舟で渡ったという。 細江の町に入った所で『みそまん』の看板を見つける。細江の名物だと話しながら通り過ぎようとすると、和さんが表にいた奥さんに呼び込まれてしまった。そしてついつい連れ買いをしてしまう。しかし帰宅してから評判良くて、すぐになくなってしまった。天浜線のガードを抜けた角に、姫様道中の大きな絵看板のある小公園があった。そして気賀宿のサインもあった。 浜松宿  14.2km   → 【気賀宿】  →  三ヶ日宿  10.8k...

SY氏の通夜で思う

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  散歩の途中で、オオデマリの花 2026.4.22 夕方、SY氏のお通夜に行く。当地域では、この頃のお葬式はお通夜だけで、 それも 御香典を納め、御焼香して、故人の顔を拝んで来るだけの味気ないものになってしまった。 SY氏、お母さんが亡くなって4か月、追うように逝ってしまった。薬のない奇病で、本人も驚くほどの早逝だったと聞いたが、何なのだろう。今、日本でも増えているというが。故人の顔は思わぬ早逝の悔しさを含んでいるように見えた。いつも温和な表情がなくて、別の人のように見えた。 葬儀場では参会者が、病院に来たみたいに、皆マスクをしている。自分はマスクをしてこなかったけれども、今はマスク着用が常識なのであろうか。葬場にいた女性たちから声を掛けられても、誰だか判らない。「マスクで判らない」というと、マスクを下げてくれて、昔の部下たちだと分かった。毎日顔を見ているならとにかく、もう十年以上も、顔を見たこともなければ、マスクをされると全く分からなくなるものだ。 SY氏の弟さんにお悔やみの挨拶をした。「二人とも時間が取れるようになったので、講座を受講して見ようと話していたんですが」と聞く。確かの何年か前に彼に講座の話をしたことがあった。お世辞にもそう言ってもらって、嬉しいとともに悔しいと思った。 その間20分ほど、そそくさと葬儀場を後にした。これからはどんなに親しくしていた人でも、死んでしまえば、こんなすげない別れとなってしまうのか。