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自分古文書(20)ファミリー山行(9)石谷山

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山名由来の「びく石」、ちなみに「びく」は  「出家得度して具足戒ぐそくかいを受けた男子。修行僧。」 尼さんを比丘尼(びくに)というが 尼さんをびくと誤用することが多いという。 午後は雨、静岡の「大道芸」も雨にたたられているのだろうか。女房が雨戸を早く閉めてしまったので、当家は随分夜の訪れが早い。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (9) 石谷山 (びく石) 527m ー  次女、初山行に少し愚図る   ー 月 日    昭和58年10月23日(日) 天 候   くもりのち晴れ。 同 行   妻・長女・次女 行 程   金谷( 9:35 )マイカー  ➡ 市之瀬( 10:40 ) ➡    石谷山山頂( 12:00~13:20 ) ➡  市之瀬( 14:30)マイカー  ➡   金谷自宅( 16:00 )   感 想    妻、次女(5歳)とは初の山登りである。長男はサッカーで同行出来ない。僕自身、7月の白馬岳以来の山登りである。8月の氷ノ山は台風、 9月の倶留尊山も雨、10月の山伏も雨、といずれも雨にたたられ中止し ている。今日は来週予定の山伏の足慣らしである。びく石はダイラボウ 伝説のある山で、一度登ってみたいと思っていた山である。 車を市之瀬の茶工場の側へ駐車、吊り橋を渡って山道に入る。沢に沿 った林間の道、沢を渡る度に小さな木の橋がある。次女は恐いとその 度に立ち止まる。這いずって渡ったり、なだめすかして渡らせたり、前 途多難である。疲れを感じるあたりに木のベンチがあり、その度に休憩 しながら、次女のペースに合わせて登る。長女は高草山に続いて、山 道から外れ、花摘みに行く。暗い杉林を抜け水場を通りススキを分けて行 くと、右手に見上げるような大岩が3つも4つも聳えている。どの岩に も苔と蔦がびっしり生えている。その鼻を廻るとすぐ頂上だ。 山頂は広いが大岩がごろごろしていて、ダイダラボッチが琵琶湖から富士山 に運ぶ途中に落とした岩だとの伝説がある。山頂には子供を含めて20~ 30人の登山者がいた。岩と遊び、ゆっくり昼食後、カクレンボをする。妻...

【活動の記録】と【読了図書】10月1日~10月31日

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庭のサルスベリも落葉  先日まで白い花をいっぱい付けていた サルスベリ早くも落葉と 季節が飛ぶように過ぎてい く 2026.11.1 11月、今年も残す所2ヶ月である。10月もあわただしく過ぎて行く。 女房が別の冷蔵庫に入れていたご飯があって、堅くなってしまったというので、それでは粥にしようと、鍋に入れ、水を加え、サツマイモと塩昆布を細かくして入れ、堅くなったご飯を砕きながら、温めて粥にしようと、人生で初めての粥造りをした。ご飯は砕くと米粒が周りに飛び散るほど固くなっていた。作り方がこれで良かったかどうか。 仕上げに味が塩昆布だけでは薄いので、塩を少し加えて完成である。まあ、何とか食べられるくらいにはなって、夕飯に食べた。 お米は高くなって無駄には出来ない。ちなみに、今日夕方、買ってきた米は、5キロで、2590円だったか。それでも随分値下がりした。 10月の【活動の記録】と【読了図書】を記しておこう。  *******************************************************   【活動の記録】 10月2日    午後、 駿河古文書会出席。 10月10日   午後、「静岡の考古学と歴史」講座受講。 10月14日   午後、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座(講師)。 10月16日   午後、 駿河古文書会出席。   10月17日   午前、金谷宿大学「古文書に親しむ(初心者)」講座教授。         午後、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」講座教授。 10月21日   午後、金谷郷土史研定例会。 10月24日   午後、金谷郷土史研、 「竹下村誌稿」講演会、第5回(終)。 【読了図書】 読書:「 御林守河村家の歴史 」  河村隆夫  著 読書:「 明鏡 東京湾臨海署安積班 」  今野敏  著

自分古文書(20)ファミリー山行(8)経塚山

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裏の畑のピラカンサスの実 植えたわけでもないのに、大きく育ち 我が物顔に実を付けている   2026.10.30 先日、吉田の古本屋Tさんから借りて来た書簡を、漸くコピーし始めた。一通でB4に二段で2ページになった。画像の加工をし始めたが、慣れた加工ソフトは、前のパソコンとともになくなってしまったので、新しいやり方を見つけ、更にそれに慣れるために半日かかって、漸く一通だけ加工出来た。 早速解読をしてみるが、駿河の田中城から千葉までどのように移動して行ったのか、知れて大変興味深い。これは歴史に1ページを加える価値があるかもしれない。ただ10数通ある書簡を同様の処理をするかと思うと気が遠くなる。まあ、コツコツとがんばろう。   「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (8) 経塚山  669.9m ー  4時間、単独、スピード山行   ー 月 日   昭和58年2月27日(日) 天 候   快晴、風はなく春近しの感あり。 同 行   なし、単独 行 程   五和駅( 7:47 ) ➡ 神尾駅( 7:54 ) ➡  地蔵峠( 8:10 ) ➡   神尾山との分岐( 8:55) ➡  福用との分岐( 9:05) ➡    経塚山山頂( 9:25~9:40) ➡  福用分岐( 9:50 ) ➡ 神尾山分岐( 10:05 ) ➡   神尾山(10:23) ➡  神尾山下鉄塔( 10:30) ➡ 林道( 10:45) ➡   長者ヶ原( 11:15 ) ➡  自宅( 11:50) 感 想    O さんが午後来るので、午前中で行って来れる経塚山へ挑戦する。 神尾の駅から登って、長者ヶ原経由、自宅まで4時間で歩こうと思う。 スピードを要するので、初めて単独行とし、三脚を持った。 神尾駅のすぐそばから地蔵峠への登りに入る。登り始めて間もなく、 崖崩れで道が無くなっていた。そのまま急斜面の杉林を直登する。15分 で県道へ出る。地蔵峠の少し手前で切り割り道路が出来、登り口はその 北側にコンクリートの石段から始まった。 急登にややへばりが来る。先程の道な...

自分古文書(20)ファミリー山行(7)千葉山

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ファミリー山行の千葉山、道端で出会った 小さな黄色い花、キジムシロ   2026.10.30 明石在住のいとこの一人息子、家族はおらず、一人暮らしで、今日の電話では頸椎がゆがんで、しびれが出るようになり、老人施設の空き待ちをしていると聞いた。自分より8才も若いのに、つらいことだと思った。 いつからか、自分より若い人との付き合いを、心がけているつもりだけれども、自分より若い人たちが、先に人生のゴールを迎えるのを見るのは、これも辛いものである。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (7) 千葉山  478m ー  『千葉の十本杉』揃い踏み   ー 月 日   昭和58年2月20日(日) 天 候   晴れ、風強く寒し。 同 行   義父・ 長男 行 程   金谷( 9:25 )【マイカー】 ➡ 天徳寺登り口(丁仏参道)( 10:08 ) ➡   千葉山門前( 11:20 ) ➡  智満寺( 11:45~12:45 ) ➡ 千葉山山頂( 13:04 ) ➡   智満寺( 13:30 ) ➡  後畑分岐( 13:50 ) ➡  どうだん原(14:06~14:20) ➡   柏 原( 15:00~15:10) ➡  千葉山ハイキングコース登り口( 15:30) ➡    横岡( 16:30) 感 想    第1級寒気団がやって来ているため、妻・長女・次女はリタイ ヤー。その代わり、天徳寺まで車で送ってくれる。義父の覚えで天徳寺 よりいきなり尾根へ、急な登りである。風邪気味で全身がだるくきつい。 尾根へ出た所で丁仏参道に合流する。一丁毎に地蔵仏が続く。『天保』 年号も見えるから古い千葉山への参道である。気持の良い尾根道が農道 に合流し、さらに尾川からの舗装道路と合流すると、間もなく千葉山智 満寺の門前に出る。地蔵仏は33番まで続いた。 門前の岩本商店で甘酒をいただき、しばし休憩。古い急な石段を一息 に登る。茅葺きの仁王門・中門をくぐり、本堂をカメラに収める。お寺 の法事で千手観音などの見学は出来なかったが、歴史を感じさせるお寺 だ。庫裏へ行く途中に天然記念物の大銀杏...

自分古文書(20)ファミリー山行(6)湖西連峰

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神石山から浜名湖の風景 もっとも最近の写真(ネットより) 2026.10.29 この約一年に制作した「解読一般向け冊子」11冊を、大学の時の友人二人、及び明石在住のいとこ(故人)の息子に、レターパックで今日送付した。いずれも古文書解読の経験のない、ただ歴史には興味がありそうな人たちである。読んでくれるだろうか。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (6) 湖西連峰 426.9m ー  おわりは藤蔓の輪で汽車ごっこ   ー 月 日    昭和58年2月6日(日) 天 候   午前中快晴、午後やや雲が出る、風が少しあるが当たらねば暖かし。 同 行   義父・ 長男・長女 行 程   金谷駅 ( 8:18 ) ➡  新所原駅 ( 9:37~9:40 ) ➡  湖西連峰入口 ( 10:00 ) ➡     嵩山(169m) ( 10:40 ) ➡  梅田峠 ( 11:00 ) ➡  仏岩 ( 11:20 ) ➡   第2鉄塔 ( 11:35 ) ➡  神石山(324m) ( 12:00~12:45 ) ➡    多米峠 ( 13:35~13:40 ) ➡  400m ピーク ( 14:05 ) ➡  石巻分岐 ( 14:25 ) ➡    富士見台(415m) ( 14:50 ) ➡  割れ岩 ( 15:10 ) ➡  426.9mピーク ( 15:20 ) ➡    浅間神社 ( 15:35 ) ➡  本坂峠 ( 15:45 ) ➡  本坂バス停 【バス】( 16:20 ) ➡   三ヶ日車庫前 【バス】 ( 16:40 ) ➡  浜松駅( 18:05~18:20 ) ➡    金谷駅( 19:05 ) 感 想   今日は愛知県との県境の山、湖西連峰に挑む。快晴だが霞のかかった ような天候であまり展望は期待出来ない。新所原駅の駅頭から見ると、 それほど高くない山並みが続いている。 一番手前の鞍部に向けて雑木の道を登る。林道を横切って踏み跡を辿 るうちに不明になる。沢の方へ下...

自分古文書(20)ファミリー山行(5)粟ヶ岳

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  今の粟ヶ岳 茶の字は松くい虫にやられて松が枯れ 今はヒノキになっている   2026.10.28 ニュースをみていると、日本全国、一気に冬になった様子である。当地は天気も良く、秋も深まったイメージである。今夜は一枚、掛け毛布を増やすかと思う。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (5) 粟ヶ岳 514m ー  禅師像台座に義父の刻印発見   ー 月 日   昭和58年1月23日(日) 天 候   快晴、冷込むが風弱く、日向はあたたか。 同 行   義父・ 長男 行 程   自宅( 9:30 ) ➡ 西原( 10:00 ) ➡ 安田( 10:55 ) ➡    粟ヶ岳山頂( 11:50~12:45 ) ➡  阿波々神社( 12:55 ) ➡  南平広場( 13:10 ) ➡     中山( 13:50 ) ➡ 初馬バス停 【バス】(15:40~15:53) ➡  掛川駅( 16:13) ➡    金谷駅( 16:29) 感 想    自宅から歩いての山登りは初めて。天気は良く風はなし。水が涸れて 水溜まりに氷が張っている大代川の河床を真っ直ぐ横切って西原に向か う。西原までは昨年11月20日に美貴子と晶子を連れて登った。今日は出 来るだけ舗装道路を避け山道を選んで登る。振り返ると富士山・南アル プス・千葉山・高山などの山が素晴らしい。高草山から伊豆半島の山々 まで見える。 西原に登り切ると茶畑の間の舗装道路をひたすら歩く。富士山は長者 ヶ原の上に鎮座し、おなじみの神尾山・経塚山・八高山、さらに・ ”たけ山 ” ・粟ヶ岳と見え隠れする。茶畑造成中の原を突っ切るような広い道路が 突然消えて、安田部落への下りとなる。安田では県天然記念物の樹齢千 年といわれる大椎を見る。 粟ヶ岳へは中腹位から取りつく。先週の日曜日、下見に車で登った自 動車道は避けて山道を登る。途中『茶』の字の原を横切る。字は松の木 で20~30年たっているようだ。義父が24年前、この麓の小学校へ校長で 来たときの話を聞きながら登る。30分位で頂上に着く。 栄西禅師...

自分古文書(20)ファミリー山行(4)大丸山

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庭に小菊が咲き出した   2026.10.27 「 ファミリー山行 」の掲載を始めて、一番楽しんでいるのは自分だろうか。記憶の薄れた昔の山行を、思い出している。子供が小さくて、義父も元気で、今から思うと、幸せな時代だったと思う。昔は良かったは年寄りの繰り言であるが、20世紀後半、自分が生きた50年は、本当に平和で幸せな時代であった。 この21世紀は色々、ひしひしと、危うさが迫っていると感じるのは、自分だけではないと思う。 「 ファミリー山行 」の続きを載せる。 *********************************************************************** ファミリー山行  (4) 大丸山 572m ー  高原の草競馬場跡にオートバイ  ー 月 日   昭和58年1月9日(日) 天 候   晴れのち曇りのち晴れ 風弱し 同 行   長男 ・長女 行 程   金谷駅( 8:24 ) ➡ 蒲原駅( 9:35 ) ➡ 霊光禅院( 9:55 ) ➡    農道終点( 10:20 ) ➡ 草競馬場跡( 11:00 ) ➡  大丸山山頂( 11:40~12:05 ) ➡    大平山( 12:30 ) ➡  叙情の森( 13:05 ) ➡  中山( 13:50 ) ➡   小山【バス】(15:30~15:39) ➡  富士川駅( 15:50~16:06 ) ➡  金谷駅( 17:15 ) 感 想    金谷では晴れていたが、蒲原では雲が多くて、先を危ぶみながら登り 始める。東名のガードを潜り、霊光禅院へ一登り。境内は葬式の準備中 だった。農道をだらだら登ること小半時、途中、モトクロスに向かうオートバ イ3台に抜かれる。周りは蜜柑畑で薬かけの作業をあちこちに見る。 農道が切れ、山道になって一休みしていると、40歳位のおばさんが段 々になった田圃の畦を何かを探しながら登っている。子供が尋ねると、 『ふきのとう』だという。ざるに半分くらい採れている。言われて見れ ば、畦に蕗の葉が見え、注意して見ると可愛い『ふきのとう』が頭を出 している。日溜まりには、もう春がそこまで来ているのだ。 おばさんにさよならして先を行く。細い山道にオートバイの轍が見え る。山道は大丸山から西に続...