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最後の同窓会に出席のハガキを出した

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ケヤキの緑いっぱいの静岡城北公園 (一昨日) 2026.5.17 四月の初めだったか、故郷から同窓会の案内が来た。6月の12日に行われる、母校豊岡高校の「17期傘寿同窓会」の案内である。もう最後の同窓会になると記されていた。月半ばは、毎月自分の実施講座や受講講座が立て込んでいて、出席できないだろうと、まだ先のことながら思っていた。 高校時代の親友ともいうべき友の多くが、鬼籍や施設に入ってしまって、同窓会では会えないから、もういいかなぁとも思っていた。 しばらく前に、明石在住のI氏から、自分が同窓会に出席することと、同窓会のあと、帰りに共通の友人KY氏の所へ見舞いに行こうと、誘われてもいた。少しその気になったが、脳梗塞のKY氏、向こうが見舞いを受ける状況かどうかもわからない。当日前後、講座受講の予定も2つばかりあり、そちらも断らねばならないから、出席は見送ろうと思っていた。 ところが、出席回答の期限が来て、主催側のKT氏から是非にと改めて勧誘の電話をいただいた。みんなに電話されているのかもしれないが、わざわざ電話をいただいたことに恐縮し、KY氏の見舞いはともかく、行ってみようかと思い直した。 そして、関連講座二、三に欠席の段取りをして、時間を作り、今朝KT氏に出席の電話をした。 そのあと、I氏へも出席のことを電話で話し、KY氏へは連絡してみて貰えることになった。本人がゆるせば、見舞いにも行って来ようと思う。 傘寿といえば、いつこの世におさらばしても不思議ではない年齢である。仲の良かった友達もいなくて、淋しい思いを確認する会になってしまうかもしれないが、 まあ、出席してみよう。 出席のハガキは二日遅れながら、今日出してきた。

「油〆」って何のこと

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これはすごい 静岡城北公園のサツキ(昨日) 2026.5.16   午前、午後と、金谷宿大学「古文書に親しむ」初心者講座、および、同経験者講座を実施した。昨夜、寝つきが悪くて、今日の2講座は今までになく疲れた。 昨日、駿河古文書会で、「油〆」という言葉が出て来た。江戸御三卿 の 田安家五代 慶頼と婚姻 する 閑院宮孝仁親王の三女 睦宮光子が江戸へ下向される時、駿府の町通過の際、物静かにするように 御触れが出た。その中に「 油〆 候儀、無用たるべき事」との言葉が出た。 自分は初めてみる言葉なので、事前にネットで時間をかけて調べた上で、「 油〆 」とは何のことかと質問した。答えられないようだったので、自分が調べたことを話した。 往時、油屋さんでは商談がなった時、手締めとして両者で「 シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン、シャン、シャン!」と、最後の「シャン」を二つ余分に打って祝った。最後の三つが「あ・ぶ・ら」を意味すると、手締めをやって見せて披露した。 それが騒々しいと、ここでは、通過されるまで「無用たるべきこと」とされたのであろうと説明した。 きっと、みんな面白がってくれるだろうとの思惑であった。 ところが、会長さんから、「『油〆』は油を搾る作業で、「 キュー 」というような不快な音がでるので、それを無用にしたのだ」との意見が出た。当会では会長さんの発言が絶対なので、話はそこで終わってしまった。反論すべきだったのだろうが、自分も黙ってしまった。 昨日帰宅後、今日の2講座の準備が終わってから、色々と調べてみた。まだ納得していなかったのである。会長さんの「キュー」という不快な音説、この説によれば、少なくとも駿府の町内で油が搾られていたことになるが、どんな油にせよ、消費地である駿府に材料(なたねなど)を持ち込んで油を搾る作業が行われていたとは思えない。どんな油でも生産地に近い場所で搾られ、油だけが消費地へ樽などに入れられて運ばれたはずである。つまりは駿府で 「キュー」などと不快な音が日常的に出ることは考えられないのではなかろうか。 一方、手締めが、商談がまとまる度に繰り返されていたとすれば、その習慣を色々な店がまねをして、手締めすることが駿府の町で流行っていたとすれば、御触れで触れたくなるであろう。 ちなみに、自分は御触れをいくつも見ているが、禁止...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(5)

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猪鼻瀬戸と 新瀬戸橋 2026.5.15 午後、駿河古文書会で静岡へ行く。今日は明日の準備で忙しく、書き込みはパスする。 その代り、静岡県海岸ウォーク三日目に入り続ける。 *********************************************************************** 静岡県海岸ウォーキング3   浜名湖周遊自転車道路ひた歩き 藤江 ➔ 洲ノ鼻 ➔ 新瀬戸橋 ➔ 三ヶ日 ➔ 猪ノ鼻 ➔ 佐久米 平成4年2月22日(土)晴れ時々曇り、風強く冷たし 7:45  自宅(万歩計    0 ) 昨夜は総務部・企画管理部合同のボーリング大会で、 “さがみ”で食事後、藤枝ボールへ行く。成績は 10 人中3位 (121-147) で気 を良くする。今朝、 アルベールビル冬季オリンピックで伊藤みどりの銀メダル の報を聞く。 自分も意欲がもりもりと湧いて来る。本日の目標は藤江から三ヶ日を通って 佐久米までである。女房に駅まで送って貰う。 8:04  金谷駅 ( 477 ) ➔ 8:42-8:46 浜松駅 ➔ 9:05   鷲津駅( 1,000 ) 9:37  藤江 ( 1,799 ) 寒 い中で時間があったので次のバス停まで歩き、西鷲津か らバスに乗る。藤江には今朝は水鳥がほとんどいない。 9:53    洲ノ鼻 ( 3,341)  前回対岸から見た洲ノ鼻の先端まで簡単に出れた。積ま れた牡蠣殻を一つ拾う。先端を回ると、赤い新瀬戸橋が見えてくる。ここで 松見ヶ浦ともお別れである。 10:23   新瀬戸橋( 6,706)  砂利の浜を歩いたり、海辺の道路に上がったりして、 ピッチを上げる。新瀬戸橋のたもとを横切り、もう一つ細い橋も横切って猪 鼻湖岸に入る。猪鼻湖は目の前の幅 200m 足らずの猪鼻瀬戸だけで浜名湖と通 じている。 10:45   尾奈駅( 9,332)  木造の学校のような建物で、階段を上がった所に改札が あるようだ。階段の途中まで上がり覗いたら、中年の女性が掃き掃除をして いた。缶コーヒーを買い、水辺で餌を採るカモメの飛び群れる浜で飲んだ。 11:40   三代 ( みよ ...

今年度最初の掛川古文書講座

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頂いた「石川依平学習会」の資料 金谷郷土史研究会も こんな活動を見習いたいものである  2026.5.14 午後、掛川図書館の古文書講座に出席した。北原先生とも長いお付き合いになる。館長さんの挨拶の中で、始まったのが2008年と聞いた。先生の挨拶でも、もう20年近くになると話された。自分も随分昔から同講座を受講しているが、、帰宅後自分の記録を調べてみると、受講を始めたのが2009年の7月だった。随分年月が経ったものである。おそらく一番古い受講者の一人であろう。 受講の間に親しくなった人も居たけれども、いつの間にか姿を見なくなってしまった。それだけ長い年月が経ったことになる。この間に自分も古文書解読の講師を始めて、それも10年近くになる。お互いに達者だからやれて来れたことだと、感謝しなければならない。 今年も60人の人達が受講名簿に載っているとか、人気の講座である。今日は初心者もいるのでやさしい課題であった。ほとんど疑問になる所はなかった。 今度の図書館の担当は、入館仕立ての女性で、古文書も読めるらしい。若い方が読めるのはすごい事である。講座が終わって少し話したところでは、山内一豊時代の武家の古文書を読んできたらしくて、村方の文書はまだ読んだことがないという。彼女が今からだと何十年も時間があるから、頼もしいし、うらやましい。自分たちは出来てもあと数年だから、などと話した。 講座後、講座内で案内のあった、同図書館の展示場に展示された、石川依平(よりひら)の展示を見学した。掛川古文書講座で顔見知りのH女史が主宰されている「東山口を知る会」で7人ほどの会員が学習された、石川依平についての、かなり突っ込んだ発表展示であった。 一年に5回ばかりの会で、これだけの発表をされたのはすごいというしかない。金谷郷土史研究会も毎月例会をしているが、これだけのパワーはない。若い人が積極的に動いてくれたからと、H女史からは聞いた。 H女史とは向こうから話しかけてくれて、古文書解読に関わる色んな話を立ち話であったがした。自分は古文書の解読そのものを楽しんでいて、この楽しさを若い人にも伝えたいと思うばかりであるが、H女史は仲間を作ってテーマを決めて、色々と調べて行く方らしい。次なるテーマを見つけるのに苦労しているようであった。 次回、自分の活動の一端の資料を、提供しようと思う。何かのヒン...

久しぶりに牧之原市史料館に行く

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今井伸郎像 (ネットより拝借) 旧邸宅跡に出来たことは最近知った あんまり嬉しそうではないな   2026.5.13 午後、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座で、榛原文化センターへ出かける。今年度2回目の講座である。今までの受講者で、仕事が入って来られなくなった人が一人、この春から新しく受講される方が二人で、今年度は12人の受講者となった。 この講座は自分が関係する講座で、受講者の発言が最も多く、活発な講座である。地元の郷土史について、蘊蓄をかたむけ、自主的に様々な資料を提供くれる方を始め、自分の得意とするところで、それぞれ発言していただける。それにつられるように、疑問に思った点、質問などが飛び交うわけである。皆さんの講座だから、発言は出来るだけ妨げないようにしている。ただ用意した教材がなかなか 進まないのが、少し困った状況なのだが、別にノルマがあるわけではなく、皆さんが楽しんで学んでいただけるのであれば、問題はない。 講座の後、久しぶりに牧之原市史料館に寄って、H氏に会ってきた。この処、忙しそうだったので、予約も取らず、ダメもとで資料館に行ってみた。突然の訪問にも関わらず、時間を取って頂き、お話をしてきた。この頃、係長に昇進 されて、仕事が増えたようで、道理で忙しそうだと思った。 クラウドファンディングで資金を集めて、田沼意次ゆかりの刀を購入した苦労話をとっかかりに、当方から聞きたかった二つの事を聞いた。   一つは今井伸郎氏が書いた地誌のこと。竹下村誌稿によれば、今井伸郎氏が書き残した地誌があって、相良の役場で読ませていただいたという。100年も前の話で、行政組織も大変わりしているから、どうかと思ったが、そのコピーを見せて頂けた。現物は今井伸郎氏の二女 しずさんが嫁に行った矢部家に、現在も保管されていると聞く。コピーからコピーをさらに取って、解読など利用させてもらうには、矢部家の了解がいるようであった。その時は交渉はお願い出来そうであった。地元に近い所は詳しく、離れたところは簡単に書かれているようであった。 今一つは前から気になっていた「蕉園渉筆」のことである。聞けばこれは漢文で書かれていて、相良町史や静岡県史にも全文載っているようで、いつでも読めそうである。ただ全文本格的な漢文で、読むにはかなり苦労がありそうであった。 ばたばたした半日であったが、...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(4)

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養鰻場の空に鳶が集まる 2026.5.12 金谷郷土史研究会の最高齢のK氏が亡くなられたと聞く。この一年ほどお 顔を拝見していないと思っていたが、ご冥福を祈ります。 静岡県海岸ウォーク二日目を続けよう。 ***********************************************************************   12:40    村社八幡諏訪神社( 17,772 ) 八幡さんと諏訪神社が重ねられた社名は珍し いのではないか。トイレを借りる。 13:30  郷社女河八幡宮( 23,285 ) 古くからの人家が密集した集落の縁の防波堤を 歩く。防波堤のすぐ内側の八幡宮の“郷社”がコンクリートで塗り潰されていたが、 その部分の色が変わってかえって目立っている。明治建立の鳥居と大正建立 の鳥居が重なってある。 14:05  入出( 26,888 ) 通れないかと思った浜を張り出した木や竹をはねのけ、潜 って抜ける。防波堤を入出の集落に向かって歩く途中に、ビニールハウス の養鰻場 があり、余り餌を狙う鳶か恐いほど集まっていた。 14:16  正太寺( 28,029 ) 宇津山に霊園があるようだ。岬が通れなければ宇津山を 越えねばならないと思いながら、ひたすら海岸を歩く。湖に入って牡蠣を採 る人達が数人。岩場をかまわず進む。進めなくなったら戻ればよい。 正太寺鼻 向こうに赤いアーチ橋の新瀬戸橋が見える 14:23  正太寺鼻( 28,676 ) 向こうに赤いアーチ橋の新瀬戸橋が遠望出来る。「正 太寺鼻」を回ると北風が急に吹き出した。振幅の短い波が打ち寄せる。対岸 の洲ノ鼻から浅瀬を示すブイが一列に並び、水路を狭めている。これより奥 側が「松見ヶ浦」である。 14:50  ヤマハマリーナ( 31,759 ) ヨットや モーターボートの中を歩くのは何となく気が引ける。 その先に何と、水鳥の群落が待っていた。急いで持参した双眼鏡を使う。 15:12  大知波入口( 33,240 ) 今日は知波田までと考え始めていたが、知波田に入 って、どおせバスに乗るなら歩ける所まで歩こうと先へ進む。バスは一時間 に一本。4時 20 分のバスに決めて先へ歩く。 16:07  藤江バス停( 36,652 ) 水辺には水鳥がびっしりである...

自分古文書(19)静岡県海岸ウォーク(3)

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  浜名漁協鷲津支所辺りより  ⇧          浜名湖の向こうに 富士山 が見える   2026.5.11 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座、明後日の準備。新入受講者二人のために、どこまで初歩的なことに触れればよいか、ベテランも多い中で、考えてしまう。まあ、最初は解らないことだらけと思うが、続けてみて下さい。だんだん分かるようになります。 静岡県海岸ウォーク二日目である。 *********************************************************************** 静岡県海岸ウォーク2  松見ヶ浦にホシハジロの群れ 新居町➔競艇場➔鷲津➔入出➔正太寺鼻➔藤江 平成4年2月10日(月)快晴 風弱し 8:40  自宅(万歩計    0 ) 今日は新居町駅から三ヶ日まで行きたいが、少し無理 であろう。湖岸沿いにたどるのは随分時間がかかるから。仕事に行く女房 に駅まで送らせる。 9:05  金谷駅 (    520 ) 年始めに「むらい」で買った山歩き用ズボンを初めては く。電車の来る間にホームを歩いて見る。動きやすそうだ。 10:02  新居町駅 ( 1,565 ) 今日は競艇通いの“おっちゃん”も少なく、電車は空 いていた。運転手の真後ろに立った。電車の運転も今日のように天気が良い 日は楽しそうだ。保線の人夫達に、注意と挨拶を兼ねた警笛を鳴らして、信 号や時間表を指差チェックしながら、軽快に走る。 10:18   競艇新大橋 ( 3,231)  前回、新幹線と東海道線に阻まれて行けなかった、 西浜名橋の北側まで足をのばす。完璧主義である。こちらの道路の橋を競艇 新大橋という。 10:42   浜名湖競艇場北西隅( 5,890)   少し戻って、車道橋に付属した歩道橋を競 艇場へ渡る。開催日ではなく、広大な駐車場には車が一台も無かった。ガラ ンとした場内には開催日の実況録音が小さく流れている。周遊道路を浜名湖 沿いに歩く。座骨神経痛は嘘のように良い。 10:48   競艇大橋( 6,589)  競艇大橋を渡って競艇場とも別れる。 11:27   浜名漁協鷲津支所( 10...