自分古文書(2)「赤い発光体」2
2025.7.17
午後、金谷郷土史研究会に出席。8月に岡部英一氏の講演を依頼することになった。来週に頼みに伺おうと思う。「竹下村誌稿」の宣伝のとして、当ブログで、「竹下村誌稿」の内容を少しずつ紹介してみてはどうか、との提案があった。気が付かなかったが、それは良い考えなので、さっそくやってみようと思う。今日、明日という訳にはゆかないが、準備の出来次第、やってみよう。
自分古文書「赤い発行体」の第2回を載せる。
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赤い発光体 2
我に返った時には、苦痛と疲労はすでにすっかり消え去っていた。苦痛が去った時、思い出すのを最も恐れていたあの時のことが再現してきた。思い出すまい、思い出すまいとすればするほど、あの記憶は火にかざされたあぶり出しのように、益々はっきりとしてきた。私はそれをどうすることも出来ず、唯その責め苦に耐え忍んでいただけであった。
「おれは貴様を見損なった。貴様のような奴とはもう絶交だ」
生来内向的で、友人をほとんど持たなかった私にとって、唯一の親友と思っていた彼から、このような言葉を聞いた時は、死刑宣告を言い渡された被告のように、しばらく瞬きもせずつっ立っていた。こんな暴言を吐く彼に対して、腹を立てることが出来れば、こんな辛苦は嘗めなかっただろう。私は彼にではなく自分に腹を立てていたのだ。
あの時、なぜ飛び出せなかったんだろう。あれは私の不注意から起こったんだ。それを彼は自分の不注意からだと言って買って出た。一発、二発、彼は歯を食い縛って耐えた。
「ぼくなんだ。僕の不注意だったんだ。彼は何も知らないんだ」
この言葉が何度、喉元まで出て来たことだろう。しかし、そのたびに臆病者の私はその言葉を呑み込んでしまった。回りを取り囲んでいる野次馬の中でぐっと耐えている彼の歪んだ顔を、唯、呆然と傍観しているだけであった。
彼の暴言とも等しき言葉が当然に思えた。すべては親友を裏切った臆病で卑劣で男の風上にも置けない自分が悪いのだ。
その後、毎日毎日自己嫌悪という怪物に苦しめられ続けた。厳しく責める彼の視線と合った時、いつも居たたまれなくて、眼を伏せこそこそとその場を逃げ出すのであった。自己嫌悪は寄せては返す浜の波のように何度となく襲ってきた。その度に自己嫌悪は雪だるま的に大きくなっていった。もちろんそれを吹き飛ばす力があろうはずがなかった。出来たのはただそれから逃避することだけであった。今日も少しは気が紛れるだろうと思ってこの山に登ってきたのだった。
「わぁ、きれい。たかちゃん見てごらん」
「ほんとに。さっき降りた駅はあそこね」
「そうらしいわ。まるで箱庭みたい」
「やっちゃん、ほら汽車よ」
いつの間に来たのか、二人の女学生が涼しい風を一杯に受け、美しい光景に歓声を上げていた。身につけている制服や年恰好から、一見して高校生であることが解った。彼女たちは気が付いたらしく、こちらを見やって何が可笑しいのかクスクス笑い始めた。自信を失って病的なまでに神経質な私の頭脳はその笑いが臆病な私に対する嘲笑であるという錯覚に陥った。そこに居たたまれなくなり、背に嘲笑の視線を痛いほど感じながら、熊笹の間の小道を頂上に向かって登り始めた。
熊笹が身体を隠してくれた時、やっと我に返ったような気がした。道は依然として険しい。熊笹が今までより一層道を狭くしているので、掻き分け掻き分け進まねばならない。よく注意しないと、押しやった熊笹が跳ね返りついでにぴしゃりと頬を打つ危険性がある。しかし、こういうことに気を使っている時が最も楽な時であった。残念なことには、しばらく行くうち熊笹は減り、気を使わなくてもよくなってしまった。
今までの草の臭いに若い木脂の臭いが混じってきた。辺り一面に杉か檜か、若い木が一定の間隔を空けて行儀よく植えられている。道はその中を緩い坂となって続いていた。私は隙を見せるとすぐ現れてくるあの記憶を振り切ろうとして、ひた走りに登って行った。間もなく大小様々な木々が不規則に立ち並んでいる林に入り、そこを通過すると急に険しくなった。その急坂も夢中で駆け登った。
登り切った所が山頂であった。山頂の真ん中には三角点があり、十五センチメートル四方位の標柱が頭を僅かに出して埋めてある。その上には何に用いるのか、四メートルほどの高さの四角錐の櫓が組んであった。
櫓の下で大きな握り飯の昼食を食べた後、その櫓によじ登ってみた。視界が大きく広がって、山や海は中腹の台地で眺めた時より遠く小さく見えたのに反して、空は一歩近づいて来たように感じた。海に流れ込んでいる川を眼で遡って行くと、ちょうどこの山を挟んで海とは反対側に、私の住んでいる町が川に沿って広がっている。周囲山にかこまれた盆地の中に発達した町であることが一目で解る。人口三万人のその町も、ここから見れば箱庭の中のおもちゃの町にすぎなくなる。
(つづく)
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