自分古文書(2)「赤い発光体」3
2025.7.18
午後、駿河古文書会で静岡へ行く。今日は会長さんも欠席、責任を感じて発言をいくつもしたが、ピント外れの意見もあったかと思う。しかし、黙って聞いているだけでは古文書会にならない。黙ってやり過ごす方が楽とは思うけれども、やっぱり今後も、出席すれば何か発言するだろう。
自分古文書「赤い発行体」の第3回を載せる。
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赤い発光体 3
ふと眼を落とすと先程登って来た道を二人の女学生が登ってくる。予想していたにもかかわらず、姿を現実に見た時、極端に狼狽している自分に気が付いた。彼女たちも私を見つけたらしく、指差して何か話しながら登ってくる。私はその話題が臆病で卑怯な私の行為についてであるという妄想に再び取りつかれた。妄想に何の疑いも抱かないばかりか、その冷酷で厳しい視線に晒されていることに耐え切れなくなり、慌てて櫓から降りかけた。
その時、彼女たちの一人の姿が掻き消すように見えなくなった。妙に胸騒ぎを感じて急いで櫓を降りた。あの辺を登って来る時、危うい崖のあったことを思い出したのだ。櫓は躊躇なく降りたが、この後自分はどうすればいいのか迷った。想像が当たっているとすれば彼女たちが困っていることは確かである。悪くすれば大怪我をしている可能性もある。きっと私の助けを必要としているに違いない。だがすぐには足が前へ出なかった。もし想像が間違っていたなら、彼女たちの軽蔑に満ちた視線を受け、嘲笑を浴びるであろう。どうしよう、行くか、向こう側の道から下ってしまおうか、それが問題だ。
迷ったけれども私の心は助けに行く方に傾いて来た。あの時の記憶がはっきりと焼き付けられており、後悔と自己嫌悪に苦しめられ続けている時だけに、間違っていたときの恥の恐怖より、このまま見過ごしてしまったときの後悔の方が恐ろしかった。やっと決心して足を前へ踏み出した。この一歩が私を大きく変えようとは、その時は思いもよらなかった。こうなると、自分でも不思議なほど糞度胸がついて、それと思われる所を目指して駆け降りて行った。
(つづく)
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