自分古文書(2)「赤い発光体」4
2025.7.22
こんな夢を見たことはないだろうか。見始めから、自分は故郷の町を目指して歩いている。一人の時もあるし、他の誰かが同行の時もある。どのくらい離れたところから歩き始めたか。どうして電車に乗らずに歩き始めたのだろう。そんな事情は一切分からない。でもこの先に故郷があるという、確信に近いものはある。山道あり、川沿いの道あり、山里やお寺や森もいくつか過ぎた。何となく見たような景色もある。向こうの山は故郷の山ではないか。しかし行けども行けども故郷の町には着かない。そのうちに目が覚める。そんな夢を幾度も見て、いまだに故郷へ到着の夢には辿り着けない。
そんな夢が何を意味するのか。夢判断すればわかるのかもしれない。ともあれ、今は、自分古文書「赤い発行体」の第4回を載せる。
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赤い発光体 4
想像通りであった。そこには『ヤッチャン』と呼ばれていた女学生がその丸い顔を少しばかり青変させ、困り果てた様子で下を覗き込んでいる。そうすると『タカチャン』と呼ばれていた女学生が下に落ちたんだろうか。私は近づいて、出来るだけ冷静を装って言った。
「どうしました? 誰か落ちたんですか」
返事を待たずに下を覗いて続けた。
「三メートル位はあるな。上がれますか?」
言ってから、何と愚問を発したのだろうかと思った。それもそのはず、三メートル位の崖には草が疎らに生えている程度で手掛かりになりそうな物はほとんどなかった。女性には勿論自分でさえもとても登れそうにないことは一見して明らかであった。
下にうずくまっていた女学生は私が敵か味方か注意深く観察するような視線を送って来た。上から覗き込んでいる女学生よりはやや面長に見えるその顔には、よく整った目鼻があり、それらが顔を立体的に見せていた。彼女は私を信用したのか、あるいは早く上がりたいという気持に駆り立てられたのか、
「腰が」と助けを求めるように言った。
どこから降りようかと付近を見回すと、五、六メートル程向こうの崖の途中に、少し細いが手掛かりとなりそうな木が生えていた。その木と付近の草などを手掛かりにして急いで下に降りた。
降りてからはたと困った。次に何をすればいいのか。彼女を引き上げるということは解っていたが、どのようにして上げるのか少しも考えていなかった。しかし二人の女性が私の行動に注目していることを思うと、長い間そこにつっ立っていることも出来なかった。追い詰められた袋のねずみのように、私としては珍しく『当たって砕けろ』式の行動に出た。
彼女のうずくまっている地点に近づいた。
「立てないですか。まさか腰が抜けたんじゃないんでしょう?」
私の言った冗談を解しえなかったらしく、彼女は真剣な眼付をして、
「いいえ、少し腰を打っただけです」と少し向きになったように、顔を紅潮させて言った。
私は一つの試みをしてみた。
「立てるでしょう。さっ、立ってごらん」
私の言葉は病後初めて立とうとする患者に対する医師のような感じに響いた。
「ええ」
彼女があまりに従順に答えたのにいささか驚いていると、本当に立とうと努力しているようだ。三度、四度と試みたが立てないので諦めたように言った。
「立てないわ」
彼女は自己暗示にかかっていると思った。彼女は立とうと試みている間、少しも痛いという様子を見せない。どこかが痛んでいて立てないなら、こんな平気な顔は出来ない。自己暗示を取り除くには、強引に立たせて、立つ事が出来るという自信を持たせることだと思った。だが、私の小心が躊躇わせた。一呼吸あって、このままで捨てて置くわけにも行かない。乗り掛かった船であると思い直した。
「さあ、掴まって」
立つのを半分諦めかかっている彼女に向かって腕を突き出した。彼女は少し赤くなり、少し躊躇った後、掴まって身を預けた。力一杯引っ張り上げ立たしてやると、彼女はしばらく心許なげにしていたが、ようやく自信を持ち始めて、自己暗示を解いた。
「大丈夫、歩ける」
私は腕に柔らかい感触を感じながら、自己暗示から救う一連の作業に終止符を打つように念を押した。先程下りた場所まで導き、中間にある木にしっかりと掴まり、手を延ばして言った。
「さっ、手を出して」
彼女の手をしっかりと取り、力一杯引き上げた。
「この木に掴まって、そこの草の根に足を置いて」
そう指図して、その木を彼女に譲るため、自分は下に飛び降りた。
「あとは草を手掛かりにして登れば上がれる」
少し不安が無いではなかったが、意外にするすると登ってしまった。立てないと偽りを言っていたのではないかと疑うほどであった。続いて上がると彼女は足を投げ出して、擦り剥いた左足のふくらはぎの辺りを痛々しそうに見ていた。
(つづく)
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