「竹下村誌稿(解読版)」拾い読み 3 斎藤島の墓

庭のデュランタ・タカラヅカ花盛り
花の少ない酷暑の夏
サルスベリと双璧である

2025.7.26 

竹下村始まりについて、解読版をみていると、「斎藤島の墓」の文があった。解読版158頁の記事である。これもあらすじで記してみよう。

掛川誌稿の竹下村の条に、「斎藤左衛門三郎の墓」として、村の東の斎藤島という所にあって、松の木を植えてしるしとされている、とある。

斎藤氏は竹下村の芝切り(最初の入植者)の一人という。同じく、芝切りの一人、下島氏が開基に関わった常安寺に墓地を築くことを避けて、この斎藤島に墓地を築いた 。明治の半ばまでは、斎藤松と称する松と共に、墓地もあったが、大正の当時は松も切られて、墓地はすでに田となっているという。

斎藤氏の出自は明らかではないが、大坂落城後来着せしものなりとの伝承もあれば、あるいは豊臣氏の遺臣なのかもしれないと記す。 

斎藤島は今のどこにあったのか。

島というのは大井川が瀬替えまえ、今より西側を流れていた時分、川の瀬となっていた部分で、その瀬に名前が付けられ、瀬替え後もその字名などに名を残している。日限地蔵で有名な島地区は、まさにその大きな中洲のあった所と考えられている。

斎藤島の場所ははっきりしているのではないかと思われるが、竹下村誌稿には詳しくは示されていない。何方か詳しい人に教えを請いたい。

また、斎藤氏は豊臣氏の遺臣なのかどうか。疑問は残る。 

竹下村の芝切りの一人、斎藤氏については、さらに色々の話が載っているが、詳しくは解読版をご覧いただきたい。

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A4判で423頁の本で、一冊2000円で販売しており  
ます。入手されたい方は、下記へご連絡ください。

 
    金谷郷土史研究会事務局(仲山設計内)
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コメント

  1. 斎藤島は、竹下字籾蒔島の地内です。
    現斎藤育子宅を頂点とする船形屋敷が斎藤家本家、現駐車場になっている
    斎藤しのぶ宅跡を頂点とする船形屋敷が分家(大井川鐵道開通により分断)。
    旧五和役場跡地から大井川鐵道東側、大岩石屋北水路、新道南までの間です。
    旧竹下13班と5班の範囲に含まれます。
    473号は東淵(竹下西と竹下東の境)に開通されました。

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