磐田市歴史文書館のN氏を訪ねる
2025.7.28
今朝9時前、磐田市歴史文書館に電話して、N氏と10時に文書館でお会いする約束をした。そして、続けて磐田のO氏に電話して、10時に文書館で落ち合うと連絡した。
昨日、磐田のO氏から電話があり、その折り、明日N氏の出勤日で、朝連絡してOKなら文書館に行くので、帰りにでも寄らせて頂くと話すと、文書館のN氏ならよく知っているから、文書館に出向き、そちらで会おうとの話になり、今朝の電話で、O氏も同席すると了解を得ていた。
1時間弱で旧竜洋町役場だった磐田市歴史文書館に到着した。ちょうど、ほぼ同時に到着したO氏と共に文書館に入った。
まず、今日の主目的の「竹下村誌稿(解読版)」を、N氏、O氏それぞれへ進呈した。そして、竹下村誌稿の紹介と、解読版作成に至った経緯を説明した。400頁を越す嵩張る本だから、用が無くなったら、文書館などに入れていただければありがたいと話す。
さらに、解読版出版に至った、金谷郷土史研究会についても説明した。会員が減って細々と活動していた郷土史研に、仲間と入会して活性化しようと思ったこと。その手始めが「竹下村誌稿(解読版)」の発行だったこと。次のテーマの「天正の瀬替え」についても、通説を否定する状況証拠はたくさんあるのだが、決定的な証拠が見つからないなどと、詳しく説明した。
60歳定年の頃から、後の人生をどう生きるのかと、考える中で、自分は伊能忠敬の後半生が参考になった。伊能忠敬は商家の婿養子になったが、50歳までは家業に没頭し、50歳で息子に家業を譲り隠居した。それからは、趣味の天文の世界に入り、地球の一周(4万キロ)を計算する手段として始めた、日本地図作りが後半生の仕事となった。17年掛かって完成させた日本地図は、大正時代まで日本地図の基本とされてきたという。彼の二度楽しむ人生が自分でも目標となった。
自分の後半生はブログの発信、最終お遍路になった結実したテーマウォーク、さらに、古文書解読へと進展して行った。76歳のN氏、73歳のO氏と比べて、79歳の自分が一番活動的だと感心された。
放っておけばいつまでも話が弾んだところだが、午後、用があるというO氏が止めてくれて、都合1時間半で、文書館をお暇した。
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