駿河古文書会に出席して思う
2025.7.4
午後、駿河古文書会で静岡へ行った。N会長に「硯屋日記3」の解読版を渡す。また、先日頼まれたO氏には「硯屋日記1、2、3」のそれぞれ解読版を渡した。「硯屋日記」も残るところあと一冊で解読を終える。
駿河古文書会のN会長は体調を崩されてから、講座内容について、その発言がずいぶん減ったと思う。今までは、会長の一言で、みんな納得して解読が進んだ。それだけ長い経験に基づく当を得た発言だった。今は、他の会員もほとんど発言しないので、その分、自分が発言しようと心がけている。今日も五、六回発言した。
的を外れた発言でもよいから、どんどん発言してほしい。古文書の解読について、色々な意見を戦わすのが、この古文書会の、他の古文書講座と違うところだと思っている。それがなくなってしまえば、町の古文書講座と何も変わらないものになってしまう。
当番会員の講師は、それぞれの発言に真摯に耳を傾け、受講者の疑問や意見を引き出し、議論を活発にし、間違ってもよいから出来るだけその場で結論を出してもらいたい。
こんなことを思うのは、会では自分が高齢者になったからだろうか。コロナ禍を過ぎて、多くの先輩たちが会を辞めて行かれた。古文書に興味のあるひとは、たくさんいるはずなのだが、駿河古文書会は敷居が高いのか、新しく入る人は少なく、会員数をずいぶん減らしてしまった。先行きが大変不安である。真剣に考えなければならないと思う。
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