「自分古文書」の発掘
2025.7. 7
「かさぶた残日録」に切り替えるに当たって、古文書の解読を載せて、ブログを埋めるのはやめようと思った。決して古文書解読を辞めると考えたわけではなく、まだ日々古文書の解読は行っている。
この頃、古い書き物を整理していて、高校から大学時代に、自分が書いた「小説」類を見つけた。人生80年近くも生き延びてくると、自分の若かりし頃に書いたものは、私にとって、それはもう古文書以外の何物でもない。それを残日録に載せてみようかと思った。その前に、書いた時代背景や当時の心境などを思い出して、解題のように書く。「自分古文書」の発掘も、残日録の一つの役割かもしれない。
今から60年前、高校の頃、文壇には、谷崎潤一郎、川端康成、井上靖、大岡昇平、安岡章太郎、遠藤周作、等々、綺羅星のごとく輝いており、若手にも、三島由紀夫、大江健三郎、石原慎太郎、安部公房、開高健など、錚々たる文学青年を輩出していた。高校生の理科系進学クラスの中でも、ひそかに自分の愛読の作家を持っていた者がいた。その内、大江健三郎を愛読するY君と競うように、自分は三島由紀夫を愛読した。三島由紀夫の独特な比喩に魅了されていた。
子供のころ、江戸川乱歩の子供向けの「少年探偵団」シリーズを何冊も読んで育っていたので、乱歩の大人向けの小説も当時読んでいたのだろう。触発されて、人生初めて、小説なるものを書いた。発表など思いもよらない稚拙な小説「八個の活字」が生まれた。
子供の頃、親父は幼馴染から郊外に畑を借りて、日曜百姓に励んでいた。自分もよく畑に連れて行かれて、どこまで役に立ったか、手伝いをした。すぐそばに総合病院の精神病棟があり、鉄格子の向こうから偶に「おじさん」などと、声が掛かることがあった。親父は構うなと、無視するように言った。どういう人たちが入っているのだろうと、想像することはあった。
そんな経験がこんな小説を書かせたのかもしれない。(次回、紹介する)
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