自分古文書(1)小説「八個の活字」

 
暑いねぇ、金次郎さん!
今日、掛川市中央図書館前

2025.7. 

お昼、掛川図書館に行く。展示中の「大庭家文書」の内、「一寸高の役」の文書2通を、今月の「面白古文書」取り上げようと、「一寸高の役」の意味を調べにいった。展示場に大庭氏もいらっしゃり、話を聞くが、わからない。館内で参考資料を見たけれども、解らなかった。この文書については、後日、このブログでも取り上げようと思う。

いよいよ「自分古文書」を始める。60年前のもので、色々問題もあるかもしれないが、ここでは、「てにをは」まで一切触らないことにする。何しろ古文書なのだから。さあ、始めよう。 

*********************************** 

八個の活字

          まえがき

 春の或る日だった。私は江戸川乱歩の『蟲』を読んだ。それはある変質者が殺人を犯す物語であった。その変質者が私にこの小説を書かせたと言ってよい。書き出したら止まらなかった。五日位の間で書き終えてしまった。読み返すと無理に難しい言葉や漢字を使っている場所が多く、筋も大したことはない。しかしこれは私の作品の第一作目であるから仕方あるまい。ヒントとなったのは『鶴見の二重衝突事故』であった。ある平凡な男が、あるきっかけで気が狂い、そのため8人の人間の命が奪われるという筋である。これを私は悪い事ばかりを取り上げるマスコミに対するわずかながらの批判のつもりで書いたのだが、読み直してみてもどうもピンと来ない。これも第一作目なのだから無理も言えない。

      昭和39年8月某日             自宅にて

 

  細長い箱。それが一つ、二つ、三つ、‥‥‥‥‥、全部で八個連なっている。芋虫。そうそれは芋虫。いや芋虫とは一つの相違を発見出来る。速い! しかし止まった? 穴。人が入る。間断無く次から次へと吸い込まれる。穴の中は雑踏。人人人‥‥‥ある衛星都市のターミナルの朝のラッシュアワー。止まった芋虫は人類運搬車。乗り込む人、割り込む人、押し込む人、人と人との間にはわずかな空間さえも認知し難い。無関係な手と手が無関心に絡み合っている。無関係な背と背が密着している。

 一人の男。名は有っても無い。手を僅かに釣り革に触れ、足は漸く床に達している。周囲からの圧力が彼を宙に保持して居る。車の動向に伴って動く身体。それはもはや彼の身体では無い。眼は無心に週刊誌の活字を追って居る。突如、その眼がピタリと止まった。そこに有った八個の活字が彼の脳髄を攪乱した。それを境に彼は彼でなくなり、彼の脳髄は彼の物でなくなった。週刊誌は彼の手を離れ僅かな空間を縫って床に落下した。

   『S駅二重衝突事故』

 (この列車が衝突したらどうなるのだろう)疑問は発せられた。彼の脳髄はこの疑問の増幅器であった。しかも既に狂ってしまって居た。それ故に疑問は横道へ増幅された。到頭それは極度に可能性を増し、既定の事実であるかのように彼の脳髄に宿ってしまった。

 (早くどうにかせねばこの列車は衝突してしまう)死の恐怖が襲って来たのだ。その恐怖はいよいよ彼の脳髄を狂わせた。彼は空間に手をこじ入れた。そして肩を、頭を、胴体を入れ、足がその後を追った。やっとの思いで非常口にたどり着いた。しかしながら死の恐怖はいよいよ募って行くばかりであった。あげくの果てに彼は釣り革と手すりをしっかりとつかみ、来たるべき衝突のショックに耐えようと謀った。一秒、二秒、三秒、‥‥も起こらなかった。列車は依然として満員であった。ビルの群れだけが忙しく通り過ぎて行った。明らかに彼の顔には焦燥が表れて来た。

 列車はホームに無事に滑り込んだ。緊張は解れ、焦燥は消滅した。しかし彼の狂った脳髄は到頭元へは戻らなかった。間もなく第二の妄想に取り就かれた。ターミナルを出るとビルの谷間であった。歩道には人が溢れ、車道には車が流れていた。雑踏の中に居るとすべてが敵に見えた。戦国時代であった。彼は敵軍へ一番に切り込んだ。敵兵は皆、彼を恐れた。彼は得意満面であった。が、次の瞬間、サッと顔色が変わった。敵兵はなるほど自分を恐れていた。しかし一人として倒れる者はなかった。焦燥と不安が彼を襲って来た。しかもいよいよ強くなり、彼の脳髄は各所で落盤を起こした。そしてついに死の恐怖へと変化して行った。雑踏がすべて自分の暗殺者と化して居るのに気がついたのだった。彼は鞄を左脇に抱えた。それが彼に出来る唯一の防衛であった。眼は血走り、手には力が入った。足は速さを増し、額には脂汗がにじみ出た。肌は彼の妄想の手に成った暗殺者の殺気をひしひしと感じていた。それらは彼が自分の事務所であるビルに入るまで持続した。

 彼は椅子に坐り肩肘をついて書類に眼を通して居た。いや眼を通していたと言うよりは寧ろ無意識に繰って居るだけだった。その単調な動作が何時間続いたであろうか。その時サイレンが鳴った。時計は丁度12時を示していた。彼は書類を置いて立ち上がると、五階の食堂に降りて行った。毎日食堂で昼食として、カレーライスを食べるのが常であった。そのカレーライスが運ばれて来て、その黄色が眼に映った時、第三の妄想が襲い、彼はそれに屈せざるをえなかった。暗殺者は到頭食堂にまでも入って来た。それを察知した彼は容易にカレーライスに手を付けることが出来なかった。しかし空腹が恐怖に追い着き追い越した時、彼の頭脳で微妙に譲歩が成された。カレーライスはスプーンと共に口へと行進して行った。カレーライスが喉を通るにつれて、彼は喉に渇きを覚え、手はコップに延びた。ところがその手は、コップに触れるか触れないうちに、スプーンに戻ってきて、残ったカレーライスを眼にも止まらぬ速さで口に注ぎ込んでしまった。彼は直ぐに逃げるように立ち上がった。水道口で彼は水をラッパ飲みにした。喉を水が通る度に喉仏は上下運動を繰り返した。

 (つづく)

コメント

このブログの人気の投稿

「かさぶた日録」改め「かさぶた残日録」開始

竹下村誌稿の事

金谷郷土史研究会ー”べらぼう見学会”(10日)