母校の豊岡小学校が無くなる?! 4 「奉安殿」と国旗掲揚塔の「八紘一宇」
2025.8.16
60年前、豊岡小学校の南東隅、講堂の脇には、「弥栄(いやさか)園」と呼ばれた庭園があった。東から西へ、少し傾斜があって、色々な樹木が植えられ、小学校の歴史を示して、樹木もそれぞれ大木になっていた。一番低いところはグラウンドに面していて、池があった。
ここを子供たちは「ほうあんでん」とも呼んでいた。「奉安殿」のことで、戦前の日本において、天皇皇后(明治天皇と昭憲皇太后、大正天皇と貞明皇后、昭和天皇と香淳皇后)の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物のことで、弥栄園の一角にその基礎部分が残っていたような記憶があるが、建物はすでになかった。
弥栄園の南東隅には屋根と柱だけの土間の建物があって、「御旅所」と呼ばれていた。お祭りのときにお神輿が休まれる場所だと思った。秋祭りにお神輿が安置されている風景が記憶にある。
弥栄園の北東隅には、国旗掲揚塔があった。3メートル立法のコンクリート製の大きな土台に、一本の高いポールが立っていたと思う。土台部分のグラウンド側の壁面には、石の縦長の額がはめ込まれ、なぜかその上をブリキ板でしっかりとふさがれていた。子供たちは中がどうなっているのか、疑問を持ったが、大人に聞くのははばかられた。後年、ブリキ板が外され、そこには石板に「八紘一宇」 の文字が彫りこまれていたのを知った。このブリキ板も、戦後教科書を墨で黒く塗ったのと同じ行動だったのだろうか。
弥栄園は我々の遊び場だった。真ん中辺りに、樹液を出していて、いつも虫たちが集まる一本の木があった。幹回りが1メートルもあっただろうか。樫の木だったように思う。大人の目の高さほどの所から、樹液が出ていて、夏には子供たちがよく立ち寄った。カナブン、タテハチョウ、スズメバチ、たまにクワガタムシもそこで捕まえた。ただ一番人気のカブトムシは、そこでは見たことがなかった。夜中とか早朝に行けば居たのかもしれないが、当時の子供たちには、そのような知恵はなかっただろうし、そんな時間に大人たちが付き合ってくれるはずはなかった。
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