「助兵衛」と「コロナ」と「八紘一宇」と
2025.8.18
15日、駿河古文書会があって、静岡に行った。講師は前回に引き続き、N会長である。誰もが認める、古文書解読の第一人者で、どんな講師の話よりも、初心者でもよく理解できる講義である。自分は古文書解読の講師を始めて以来、そのすべてを見習いたいと努力を続けているが、まだまだN会長には遠く及ばない。
この日の題材は、江戸時代、駿府の町方の年行事が残した萬留帳であった。その中に、駿府の商人で町方運営にも随分貢献した「助兵衛」さんの名前が度々出てくる。講師が解読をして行く中で、「すけべえ」と度々口にすることになる。ご本人「助兵衛」さんの所為ではないのだが、名前が現代では汚れてしまっているので、聞いている人たちも、十分承知のことながら、その度に心が揺らぐ。
N会長はそれを気にされたのであろう、始めから「助兵衛」を「すけひょうえ」と読まれ、最後までその読みを続けられた。「兵衛」は「ひょうえ」とも読む。
明治の海軍大将にして、その後、内閣総理大臣も務めた、山本権兵衛は「ごんのひょうえ」と名乗っていた。清廉潔白な大臣で、その後、日本海軍の気風の基を作ったと言われている。おそらく「名無しのごんべえ(権兵衛)」などと軽く扱われるのを嫌ったための名乗りだと思われる。
N会長の名前の読み替えは、そんなことを踏まえての機転だと気付いた。
言葉は元の意味とは関係なく、後の事件などによって汚されるものだと、この頃つくづく思う。まだ記憶に新しい、猛威を振るった「コロナ禍」のあと、同じコロナの名を使っていた会社などが、どれだけの迷惑を蒙っただろうことは、察するに余りある。
戦中、国威掲揚と国民鼓舞のため、様々な事柄が使われた、「日の丸」、「君が代」などをはじめ、16日に取り上げた「八紘一宇」の言葉も利用された。それらは、敗戦とともに一転して、敗戦の象徴となって、マイナスイメージの言葉になった。「日の丸」「君が代」はオリンピックなどの選手の活躍もあって、ようやくマイナスイメージは払拭されたようだが、「八紘一宇」はマイナスイメージのまま、打ち捨てられている。まあ、何しろ板で覆って隠されていたのだから。
「八紘一宇」は神武天皇の建国の理念で、『日本書紀』に、「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さむ」という記述があり、これから「八紘一宇」の言葉が明治時代の学者によって作られたといわれる。それが先の大戦の「大東亜共栄圏」というスローガンに結びつけられたものである。
聖徳太子は「和をもって尊しとなす(以和為尊)」と、十七条憲法の第一条に挙げている。「和をもって尊しとなす」という言葉は、調和や協調を重んじる日本文化の根幹を表す言葉として今でも重んじられ、聖徳太子は戦後日本のお札にも登場している。
「以和為尊」も「八紘一宇」も、日本の精神を現した立派な言葉と思う。しかし、「八紘一宇」は先の戦争の正当化に利用されたため、戦後80年経った、今でも封印されたままである。
言葉というものは、どんなに立派な意味を持っていたとしても、簡単に汚される。一度汚れた言葉の、その汚れを払拭するためには、大変な努力と根気が必要である。「八紘一宇」の言葉がたどった道は、言葉のレベルこそ差があるが、「助兵衛」や「コロナ」の言葉がたどった道と同じだと思う。
コメント
コメントを投稿