自分古文書(5)「囲碁談議」(『霧』穴埋め用原稿)
2025.8.20
写真は、昔、囲碁好きの伯父が、静岡の開業医、野竿氏から頂いた碁盤。今は伯父の遺品として我が家にある。自分が親族中、唯一の碁打ちだったからである。裏返すと、載せるには少し小さいが、伝統に乗っ取って首台が刻まれている。
大学入学後、全く未経験者ながら、囲碁部に入って、一から教えてもらい、時間がある限り、大学の生協食堂二階でひたすら囲碁を打って過ごした。囲碁部には町で打てば、四、五段の実力の猛者も先輩にいた。一年間、所属して揉まれ、一級位にはなれたと思う。だから、この頃、埋め草に囲碁を扱ったことはよく理解できる。2年になると。色々と忙しくなり、囲碁部に顔を出せなくて、やがて退部となった。
『霧』の埋め草として、『囲碁談議』は書かれた。『楽天』は自分の雅号として、この頃から使っていたようだ。内容は駄洒落で書かれているが、当時、仲間内、駄洒落は生活の一部で、四六時中ネタを考えていたような気がする。記憶にある、ありふれた駄洒落一つ。
電話が掛かってきたと呼ばれ、「電話にゃ出んわ」
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世の碁を知らない族(やから)に物申す。諸君は我々棋士に対して、「彼等は道楽者だ」と決め付ける。何故と尋ねて見れば、満足にその理由を答える者は皆無に等しい。中に大脳の皺が猿より三本位しか多くない奴が、問い詰められ、プレパラート上の微生物程の知識を総動員して、ずう/\しくも威厳を込め答えた。
「なんとなればだ。碁は五であって六でない。つまりろくでなしだからだ。」
なんという軽薄な、笑止な。彼は碁の正式の名が囲碁である事を少しも知らないのだ。囲碁は一と五だから(ここで算数を講議するつもりはないが)六になる。そして彼の理論でいけばろくでなしではなくて、六でありとなり、なんとまぁ、彼は批難するつもりが逆に弁護してくれている。つまり彼等はろくでなしではないと。
囲碁は立派な芸術ですぞ!そんなにビックリする程の事もない。囲碁は白と黒の二色しか用いない、実に日本的な、サロンパスの様にすっきりした(別に宣伝費をもらっている訳ではない)抽象芸術なのだ。然もこれまた芸術としては珍しい、二人で行うかけ合い芸術である。最もその例は連歌等にみられるが。
作品がうまく行かないと、芸術家達がそうである様に、途中で放り出してしまう。これを投げという。芸術の世界はどこでも厳しい。囲碁においても、おかめ八目どもが変に口出しをすれば、たちまち碁盤はひっくり返され、そこに彫り込まれた首台に、口出しした者の首が晒されるというから、見物するのさえ命がけなのだ。
諸君、お解りかな。囲碁が芸術だと解ったら、今後は棋士を道楽者などと言わず。芸術家と言い、先生と言って崇め奉るがよかろう。
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