自分古文書(6)「奇壁」1

奇壁『玄武洞』(ネットより写真拝借)

2025.8.22

昭和40年12月1日発行の同人誌『霧』には、22頁にわたって小説『奇壁』が掲載されている。「来島義礼」なるペンネームは、どんな名前にしようかと、思い悩んだ末に「苦しまぎれ」に付けた、自分のペンネームである。舞台は豊岡市の観光スポット「玄武洞」。かつては柱状節理が表れている玄武岩を、石垣や庭石、漬物石などに利用するため採掘していた場所で、「玄武洞」と命名さて天然記念物に指定を受けたため、採掘を中止したままの壁である。洞窟は採掘しながら掘り進んでいた場所である。

今はすぐ近くまで車が入るようだが、かっては対岸の山陰線玄武洞駅で下車して、目の前の円山川を船で渡った。舟もはじめは船頭が竿を差しながら進む舟だったが、やがてエンジンがついた船となった。今も、渡し船を遊覧船として運航しているようだ。

前置きはこれ位にして、さあ、小説「奇壁」の始まりである。

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                奇  壁

                        来島義礼

 川口に近いのであろうか。川幅がかなり広くなって来ている。川向こうの老化した山並みは柔らかな起伏をなしている。川の左岸に沿って狭いアスファルト道路が続き、その山側には単線の鉄道が平行している。仙作は鄙びた列車の数少ない乗客の一人であった。車内には、魚の臭いと傍若無人な会話を充満させている行商人のおばあさんたち、だらしなく舟を漕いでいる会社員風の青年、無賃乗車の子供を三人も連れた生活の疲れの色を見せる母親、そして一つ手前の駅で乗り込んで仙作と通路を挟んだ向かい側へ慌たゞしく座を占めた女子高校生たちなどが、それぞれ無関係に同乗していた。

 仙作は三度ばかり斜向かいの女子高校生と視線を合わせた。髪をお下げにして瞳がどきっとするほど澄んでいた。ところが何という神の悪戯であろう。顔の他のあらゆる部分は、仕事に疲れて横着になった神様が残り物を寄せ集めて造ったかのように、不統一で不整合だった。仙作は思わず吹き出しそうになってやっと我慢した。列車は一揺れして小さな駅に止まった。仙作は我に返り目的の駅であることに気付いて慌てゝ通路に出た。その瞬間、勢い余って向かい側から通路に出かけていた彼女にぶつかってしまった。

 「あっ」

 小さい叫びに仙作が唖然としている間に、彼女はもうデッキに出ていた。列車は、仙作の下車するのを待っていたかのように、その小駅を悲鳴を上げて離れて行った。慣れた足取りで改札口へ急ぐ彼女の姿を眼で追いながら、その田舎駅の長閑な雰囲気を味わうようにゆったりと歩いた。改札口では駅員がのんびりと仙作を待っていた。

 「一ト駅乗り越しですね。二十円頂きます」

 仙作はポケットからじゃらついていた銅貨を二枚探り出した。昼前の待合室は人っ子一人いなかった。背後でがたんと木の改札口が閉まる音が聞こえた。壁には種々の広告物が掲示されている。どこの駅でもありそうな『××温泉へ』とか『○○ロープウェイ』という様な観光宣伝が主であった。待合室の四方を詮索する眼がふと一枚の額に止まった。

 「ほう。これだな」

 仙作は一人呟いた。そこには沢庵石を無数に積み上げて造ったような奇壁が描かれていた。これこそ目指してきた『玄武洞』なのだ。待合室を出ると石段が十数段、下のアスファルト道路まで降りていた。駅の向かい側には船着場に通じる細道を挟んで、一時代昔の茶店が二軒、ぼんやりと客を待っている。茶店のすぐ裏手まで川が迫り、玄武洞はその川の向かい側にあるらしい。アスファルト道路に降りるとむっとした熱気が頬を撫でた。急に喉の渇きを覚えて、折りよく奥から人の好さそうな爺さんが出て来た右側の茶店へ、入って行った。

 「コーラ、下さい」

 爺さんは顔を皺くちゃにして愛想笑いを浮かべた。

 「玄武洞に行きんさるんけぇな? まあそこに坐ってちょっと待っとくれんせぇ」

 仙作は時代を感じさせる風化した床几に腰を下ろした。アスファルト道路の熱気が立てかけられた簀をものともせず追って来た。こめかみから頬にかけて汗の流れるのを感じてポケットから手巾を出そうとしたとき、手に触れた本があった。仙作は汗を拭いながら『山陰の旅』という本をパラパラと捲ってみた。たった百頁ほどのちっぽけな本が仙作をこの旅に出させたのだった。今やその本は手の中でその大業に満足して眠っている。

 「さあどうぞ。まんだ、よう冷えてぇへんかもしらんけど」

 「あゝ、どうも」

 ごくりと喉を鳴らして飲むと、喉から胃にかけて氷柱が立ったように感じた。木魂のように胃から跳ね返って来た炭酸ガスの圧力が喉を爽やかに突き破った。

 「いやぁ良く冷えてます。本当に生き返るようだ」

 「そうですけぇ。そりゃ良かった」

 爺さんは皺の中に微笑を作りながら本当に嬉しそうに笑った。

 (つづく)

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