自分古文書(6)「奇壁」2
2025.8.23
最近、数独にはまっている。再難問をやっていて、睡眠時間を減らした。これでは数独ではなく、「数毒」だ。今朝、掛川の講演を聞きに行き、そのまま、駿遠の考古学と歴史講座を受講の予定。家に帰っている時間がないから、おむすびを持って出かける。その報告は明日になるだろう。
JR山陰線の玄武洞駅はこんなだったかなぁ。何しろ50年前だから随分変わったと思うが。ともあれ、「奇壁」の続きを掲載する。当時書いたままで、一切触ってないので、表現に問題があるかもしれないが、悪しからず。
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「随分お元気そうですが、お爺さんはお幾つになられます?」
「なんぼぐれぇに見えますいな。これでもあんたぁ、あんたぐれぇな息子が一人と、今高校へ行っとる娘がありますんだぁで」
「ほう。それじゃ、まだお若いんじゃありませんか」
「そうですがな。これでもあんたぁ、まだ七十前ですんだぁで」
「それじゃお爺さんはいけないな。何と言うかな? 小父さん‥‥‥小父さんはずっとこゝに住んでいらっしゃるんですか」
「小父さんはよかった。ハハハ‥‥‥」
仙作は突然、去年の暮れに脳溢血で他界した父を思い出した。父はよく肥えていたから、この爺さんほど皺は無かった。話し方も全く違い、この爺さんのどこを捜しても父の面影を見出すことは出来なかった。しかし爺さんが声を上げて笑ったとき、あの何の屈託もない晴れやかな笑い声と幼児のように爽やかな笑顔に父の面影を見たのであった。
「わしゃあんたぁ、こゝで生まれて裏の川の水で産湯を使ったぐれぇだしけいに死に水もこの川の水にしようと思っとるぐれぇですがな」
遠くから夏の重い空気を押しのけ押しのけ走って来た汽車は茶店より一段高い駅のホームに入って止まり、すぐに慌たゞしく発車して行った。
「十一時四十五分の上りだな。学生さん、昼はどうしんさる。見たところ弁当持って来とんなれへんようだし」
「おや? 僕が学生だって良く解りましたね」
「それゃぁ解りますうぇな。今頃あんた、ぶらぶら出来るのは夏休みの学生さんぐれぇなもんだがな」
「いやぁ、ぶらぶらとは手厳しい」
仙作は爺さんと話しながら田舎の親類へでも来ているような錯覚に陥っていた。
「昼は家で食べて行きんさらんか。何にも出来れへんけど」
「いやぁ、それゃ願ってもないことです。実はどこかでパンでも買って済まそうと思っていたんです。初対面の人に厚かましいようですけどお願い出来ますか」
その言葉には学生らしい率直さに加えて、仙作に不足がちだった明朗さがあった。
「なんの、なんの。食事は賑やかなほどえゝし、それにあんたぁ、袖摺り合うも他生の縁って言いますだぁねぇか」
仙作は都会には絶対にありえない底抜けの親切という宝石を見つけた。それはけばけばしいネオンから遠く離れた片田舎でひっそりと光を放っていた。
仙作は残っていたコーラを一息に飲んだ。罎を床几に置くと、その期を狙っていたかのごとく、一匹の蠅が罎の口へ止まり丹念に手を擦り擦り物色し始めた。その蠅には不思議にも都会の蠅の不潔感が無かった。仙作には蠅の戯けた動作が可愛らしくさえ感じるのだった。蠅は仙作の感情をよそに、気の済むだけ舐め回すと軽い羽音を立てゝ飛び去った。
「お父ちゃん」
声を低めて暖簾の陰から呼んだ鈴虫のような声があった。
「何だぁ、ふく、お客さんに失礼じゃねぇか。こっちに出て来んせぇ」
「こんにちは」
谷川の水音のように爽やかな、清らかな、しかも生き生きとした声が流れた。
「やぁ、君はさっきの汽車で」
「えゝ」
「何だ、さっきの汽車で一緒だったんけぇな」
「お父ちゃん、お母ちゃんが『魚を』って言っとりんさったで」
「おゝそうそう忘れとった。そんなら一寸料理してくるしけいに、ふく、学生さんのお相手をしとりんせぇ」
「わしゃ恥ずかしいがな」
「何を言っとるだ。おめえらしくもねぇ」
小声で交わされる父と娘の会話は筒抜けであった。仙作はこの素朴な親子に思わず微笑を浮かべていた。
「そんならえゝな」
「うん」
(つづく)
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