自分古文書(6)「奇壁」5
2025.8.27
子供の頃、故郷では、ウナギは一般家庭では食べることはなかった。料理屋に行けば食べることが出来たのだろうが、そんな機会があろう筈もなく、代わりに我が家では、たまにナマズを食べた。
郊外の川で取ったナマズを、行商の小父さんがよく売りに来た。お袋が思いついて、小父さんに声をかけると、門口でナマズをさばいて、骨やあらを外してくれる。料理は、うなぎの蒲焼紛いのもので、味は淡白だったように思う。生臭さを感じたことが無かった。我が家では滅多にない御馳走だったと記憶する。
ナマズをさばくのはかなり技術を要するから、誰にでも出来るということでもなさそうだ。爺さんが手を出さねばならなかったはずである。
「奇壁」を続けよう。
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「気の利かんやつだ。それにあんたぁ、不器量もんで。誰に似たんか知らんけど。嫁に貰い手があるかどうか心配しとるんですがな。あれでも本人は自分で見つけるなんて言っとるんですだぁで」
富久子は爺さんとあまり似ていないから、富久子の母が容易に想像出来るような気がした。またこういう種の謙遜をどう処理すべきか、仙作は知らなかった。しかし沈黙がその場に適当でないことは知っていたので無理をして話題を他に取った。
「小父さん、あの玄武洞ですけど、何時頃天然記念物に指定されたんですか」
「さぁあれは何時だったか、大正時代だったけぇなぁ。何でも東京からえれぇ博士とかいう人が来なってな。何だか調べよんなったけど、その後間もなくあそこに『天然記念物玄武洞』って看板が立ったことを覚えとる」
「ほう、そうすると随分昔なんですね」
「そうだなぁ。あの頃はわしも若かったもんなあ」
爺さんは眼をしょぼしょぼさせて昔は良かったと言わんばかりの懐古的な顔付きになって話を続けた。
「天然記念物になるまでは、あの石が石垣や沢庵石にいゝなんて言いよって、このあたりも石切場としてよう賑わったもんだけど、それ以後は取ったらいけんということになってすっかり寂れちまったんだがな」
「そうするとこゝの茶店はその頃からやっていたんですか」
「そうだぁ。その頃は客が減っちゃって、わしも腹を立てたもんだけど、お国の宝になっちゃったんだもん、仕方がねぇと諦めてな。ほんのちょびっとの田んぼと川から取れる魚で生活して来たんですがな。けどな、この頃観光とかいうやつで少し賑やかになって来たんだけど、それも春と秋のシーズンだけでな。夏や冬はほんの数えるぐれぇしか来れへんだがな。でもあんたぁ、この頃は自家用車で乗り付ける人もありますだぁで。ほんて日本も発達したもんですなぁ。それそれあれは何んて言ったっけなぁ。マイ‥‥‥マイカー族か? ほんてぇ変わったもんだ」
仙作は爺さんの口から『シーズン』だとか『マイカー族』などという言葉の飛び出すのをまるでプラスチック製の墓でも見るように異様に感じた。そして個人的な定義にその源を発した不快感が流れ星のように心に過るのを感じた。
〈この爺さんはこのように現代的な、都会的な言葉を用いるべきではない。もっと牧歌的で原始的であるべきだ。なぜなら自分はそれを求めて来たのだから。富久子の標準語といゝ、爺さんの言葉といゝ、こんな片田舎まで都会化され画一化されていく兆候なのだ。いったい画一化の原動力は何だろうか。マスコミ、そうだ、マスコミという怪物だ。その怪物は山あり谷ありという変化に富んだ日本を、巨大なブルドーザーのように山を削り谷を埋め、すべてを平々凡々とした平地にしてしまうのだ。そして人工物という癌細胞はみるみるうちにその平地を犯して行く。白々しいビルの林が乱立し始める。死に絶えた自然に群がる蛆虫のようにビルの間を車が彷徨う。あゝ!俺にはそれが解る。しかし俺に何が出来るというのだ。俺は山の奥へ奥へと逃げて行く小鳥にすぎないではないか。日本列島で自然が文明に無条件降伏するとき、俺は富久子やこの爺さんのように、あるいは雀や鼠やゴキブリがそうしたように、自分の思想を捨て文明に媚びわずかに居候として卑屈にその汁を吸う。何という恥辱であろうか。しかし俺はどうすれば良いのだ。この怪物は戦うには余りにも大きすぎる。そして癌細胞は余りにも強力だ。それに反して俺は何とちっぽけで非力なのだ〉
仙作の苦悩に近い思索は老人の言葉という石で出来た池の波紋のように時間と共に広がった。
「どねぇしただぁ」
爺さんの心配そうな顔に仙作は気付いた。それは純朴な一人の老人の顔だった。そこにはまだ自然がなみなみと有った。自分の考えの先走りに気付くと心の波紋は消えて行った。しかし仙作の心にはまたいつ波紋を起こすかもしれない水面が残っていた。
「いや、少し考えることが有って」
仙作はばつの悪さを笑いで誤魔化した。
「用意出来たしけいにこっちに来てもらってぇな」
暖簾から顔が出て明るい声が響いた。爺さんに案内されて暖簾を潜るとみしみしと軋む廊下に導かれて、落ち着いた八畳の離れが有った。部屋の一方には縁側があり、その向かうに川が見える。爽やかな風が川面を渡って来て仙作の頬を撫でた。黒塗りの卓袱台には山海の珍味が並んでいる。仙作は客扱いで床の間の前に坐らされた。川を背にして富久子、仙作の向かい側に爺さん、そして入口に近い側には富久子の母が坐った。部屋に入ったとき、馬鹿丁寧に挨拶をした富久子の母は意外に若く感じた。富久子の残り物の顔や美しい眼はやはり母親譲りだった。仙作は母親を四十ぐらいかと思ったが、本当は五十近かった。四人が卓袱台を囲むと食事が始まった。仙作はまずグロテスクな形をした魚の焼き物に攻撃を加えた。
「うまい! これはうなぎですか」
「それゃぁ、あんたぁ。なまずですがな。このすぐ裏の川で取れましたんだで」
人の良さそうな富久子の母は箸を持ったまま川の方を指して言った。
「えっ! あの髭の生えた、お玉杓子の親分みたいなやつですか」
家族の間に笑いが共鳴し合った。中でも最も高らかなのは富久子の笑いだった。いつの間にか仙作にも笑いが伝染していた。
「少し気味が悪いけど、しかし美味いですね。僕は初めてです」
笑いが収まってから、仙作は舌鼓を打って言った。
(つづく)
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