自分古文書(6)「奇壁」6

 
北宋画といえばこんな掛け軸か
「木の葉のように舞う一艘の小舟」はいないが 
(ネットより写真拝借)

2025.8.28  

午後、会社の後輩、K氏が見えた。顔を合わすのは久しぶりである。いつもは会社関係者の訃報を小まめに連絡してくれている。「頭が薄くなったねえ」一声がこれでは失礼な話だが、第一印象で気付いてしまったから、申し訳ない。

K氏は現役を終えて、監査役として、まだ半日くらい出勤しているという。若いと思っていても、もうそんなに年が経ってしまったのだと改めて実感する。 

色々近況を話し、「竹下村誌稿」を会社関係の皆さんに紹介するように頼んだ。このブログ「かさぶた残日録」についても宣伝を忘れなかった。

自分の体験から、退職後に何か熱中できるものを持つべきだと、ついアドバイスをしていた。大きなお世話だったかもしれない。 

「奇壁」を続けよう。 

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 「学生さん、実は息子に歳恰好といゝ、あんまり似とるもんだしけいに、つい懐かしゅうなって、ほんであんたに『昼飯を』って言ったんですがな。あの親不孝もんが、今頃どこをほっつき歩いとんだか」

 「父ちゃん、悪いがな。そんなことお客さんの前で」

 富久子の母は爺さんを軽くたしなめた。その口調に夫婦の息の疎通を感じて仙作は箸の手を止めていた。

 「息子さんがどうかなさったんですか」

 富久子の母はそれみろと言わんばかりの視線を爺さんに送って、仙作の方に移した。

 「実はこの子と四つ違いの兄なんですけどな」

 彼女は富久子を顎で示して続けた。

 「さあもうかれこれ三年ほど前になるけぇな。高校を出てせっかくS市にえゝ就職口も出来たのに、一年も立たねぇ内に、あんたぁ。都会に出てぇなんて置き手紙して家を飛び出しちまったんだうぇな。あはぁたれが。何でも大阪の方で職を見つけたっちゅう電報みてぇな手紙を一通、寄越した切りで、それ以後便り一つくれまへんだぁで。都会ってそねぇ、えゝとこですけぇ」

 「え‥‥‥え、いやまあ」

 仙作は言葉を濁した。

 「お母ちゃん。久松さんは都会が嫌になって旅行に出て来んさったゞってぇ」

 今まで黙って聞いていた富久子が横から口を入れた。仙作はその心遣いが非常に嬉しかった。

 「えゝ、そうなんです。みな都会都会って言いますけど都会なんて人間の住む所じゃありませんね。僕は学校があるから仕方なしに都会に居ますけど、本当はもう逃げ出したいくらいなんです」

 「そんなとけぇ好んでおらんでもえゝのに。別に勘当した訳でもなし、帰ってくりゃぁえゝのに。ほんてぇばかな子だ」

 「婆さん、もうやめとけ。さっきわしにやめとけって言ったばかりだねぇけぇな」

 今度は立場が逆になった。富久子の母が口を閉ざすと、部屋に不自然な沈黙が流れた。仙作は重苦しい空気を避けるように川の方に眼を遣った。真夏のしかも真昼の太陽は細かく波立つ川面に木っ端微塵になって落ちて浮かんだ。牽牛を乗せて天の川を渡る舟のように、その光の波を一艘の小舟が船頭に操られて横切って行く。

 「あれが渡し舟だな」

 膳の上に視線を戻す途中、富久子の眼と合った。逆光線の所為もあろうか、富久子の美しい眼は心無しか暗かった。仙作はこの眼に明るい太陽の破片を入れてやることを自分の義務のように感じた。

 「やゝっ、これは蜆汁ですね。いやぁ、懐かしいなぁ。僕の故郷(くに)のことを思い出しますよ。僕はこれが好きでねぇ。よく母に作って貰ったなあ」

 「学生さんの故郷はどこですけぇな」

 爺さんが尋ねた。仙作は富久子の眼が好奇心に輝いて来たのを見届けておいて答えた。

 「岡山の郊外です。昔はそれでも蜆なんかゞ近くの川からとれるほど田舎だったんですが、今じゃ周囲に工場などが立ち並んじゃって見る影もありません」

 仙作は淋しそうに笑った。静寂が部屋を包むと箸と茶碗の音だけが妙に大きく響いた。

 食事が終わると富久子とその母は後片付けに立った。仙作は立ち上がって改めて室内を見回した。柱が黒光りした古い和室だった。畳は新鮮な香りを放っていた。美しく磨かれた床の間にはかなり年を経た、漆塗りの繊細な木彫の観音菩薩像が安置されていた。すべてを許すような柔和な慈悲深い笑顔、身に纏った衣の流れるような襞など、その像全体から迸り出る慈愛は仙作の心を柔らかく包むようだ。

 「これは誰の作品ですか」

 「さあ、銘も入ってぇへんし、何しろ先祖から伝わっとるのをそのまま置いとるだけだしけぇ、良う解れへんが、江戸時代の初めのものだとわしの祖父さんが言っとったけど」

 爺さんは爪楊枝を使いながら答えた。観音像の背後には掛け軸が掛かっている。北宋画の流れを汲んだ様式で、切り立った山岳、遙か下を流れる激流、木の葉のように舞う一艘の小舟といった情景が大胆なタッチで雄大に描かれていた。仙作はその中に大自然を感じた。仙作の関心は鴨居の上の掛け物に移った。『雖千萬人吾往矣』と右から左へ、その内容を示すがごとく決然たる筆の運びで力強く書かれている。確か、孟子の言葉だと思った。仙作は不可思議な予感が脊髄を走るのを覚えた。

 「良いお部屋ですね」

 胸一杯の感慨を吐き出すように呟いた。

 「そうですけぇ。わしもこの部屋が好きでな。特に夏はえゝ、涼しいて。この部屋は一番涼しいんですだぁで」

 仙作は自分の意するところが正しく爺さんに伝わっていないのに苦笑を洩らした。

 「今から玄武洞に行きんさるんか」

 「はい、そろそろ出掛けようと思っています。それはそうと、幾らお払いしたら宜しいですか」

 「ジュース代三十円だがな」

 「昼食の方は‥‥‥」

 「馬鹿言うもんじゃねぇ! だしけぇ、わしゃ都会の人が嫌ぇだ。人の好意をすぐ金に換算しんさるから」

 仙作は都会の人と言われて胸を針で刺されたような気がした。あれほど嫌悪し、敬遠し、逃避して来たにもかかわらず、やはり都会の悪臭に染まってしまっているのであろうか。仙作はそういう疑問を振り切るように明るく装って言った。

 「それじゃ、お言葉に甘えて三十円だけお払いします」

 「へっ確かに貰いましたで。こっちの方は商売ですしけぇなぁ。ハハハ‥‥‥。わしゃあんたが好きになったですうぇな」

 爺さんは三十円を受け取った手と額を近づけて確かに受け取ったという領収に変えた。

(つづく) 

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