大学の友人たちとの二日間
2025.8.3
昨日、今日と大学の友人O氏とM氏との交流の始終を記しておく。
昨日午後、大学の先輩で永年の友人である静岡O氏宅を訪問した。金谷で車に乗るとき、外気温は38度、我が家ではこの夏、最高温度であった。静岡O氏宅(丸子の南)では34度で、4度の差に再び驚いた。
会うのは一年ぶりだろうか。いつも元気なO氏にしては、少し元気がないと感じながら、応接に誘われて、開口一番、肺ガンが見つかったという。御年81歳、何があっても不思議はない歳ではあるが、タバコも吸わない、趣味の登山で鍛えて、肺機能は誰よりも高いはずのO氏に、似つかわない病名だと思った。
ガンが肺にばらついて、手術が出来ない状態で、今は薬と点滴でガン細胞だけを駆逐する治療をしている。新しい治療法で、薬代は嵩むが、保険で多くを賄われるのでやっていける。がん細胞が整理されて来たら、除去手術も出来るようになるらしい。御本人は、表面的にはそれほど深刻には考えてはいないように見えたが、内心では深刻なものがあったと思う。
目的である「竹下村誌稿(解読版)」を進呈して、解読版の出版に至った経緯を説明した。
何時であったか、大学に入った翌年だったか、同級の友人M氏と「御陵巡拝」と銘打って、春の大和路を旅したことがあり、50年経った今、今一度旅をしたいと皆んなの前でしたことがある。その話がO氏から出て、当時の先輩、O氏、M氏、同級K氏と自分の、出来たら同窓生四人で、ゆっくりと大和路を歩きたいとの望みを聞いた。
今朝、「竹下村誌稿(解読版)」進呈のこともあり、M氏に電話してみたところ、何と、奥さんから、関西からの帰りで、今日、森の実家の墓参り寄ると言って出ていると聞き、携帯の電話番号を聞いて電話をしたところ、森町に向かって新幹線に乗車中であった。車で迎えに行って、森町の実家前で午後2時に待ち合わせることにした。
M氏の実家へは50年ほど前、一晩泊めてもらったこともあり、間違いなく車で行けると思っていたが、この五十年で辺りはすっかり様変わりしていて、どうやら行き過ぎたらしく、携帯へ連絡して、やっとたどり着けた。
我が家まで向かう途中に、M氏も前立腺と食道のガンを二度、手術で除去した経験があるという。今やガンは「致死の病」では無くなっているのだろうと、自分の認識不足に気付き、少し安心した。
50年前のM氏との「御陵巡拝」の旅、実は自分の記録があり、整理してあったので、共に旅したM氏に、「竹下村誌稿(解読版)」と一緒に、そのコピーを進呈した。M氏はその旅の記録に大変興味を持ったようで、しばらくは当時の思い出に浸った。
我が家に立ち寄り、この後、せっかくだからO氏を訪ねようと、今日は日帰り登山の、O氏の携帯へ連絡を取るが、通じなかった。どうせ静岡駅まで送ると出かけて、途中O氏宅へ立ち寄ってみることにした。O氏はちょうど山から帰ったばかりであった。しばらく話をして、埼玉へ帰るO氏を静岡駅まで送り帰宅した。
何とも忙しく、右往左往した二日間であった。
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