自分古文書(4)「『霧』発刊に際して」
2025.8.19
昭和40年春、大学生になって、全く知り合いのいない静岡の地に立った。唯一、野竿さんという開業医が、昔、教員だった伯父の教え子で、医者になるために色々面倒を見たことから、自分の下宿の世話などして頂いた。だから、大学のそばに、落着き先はあった。
入学後、囲碁部に入って、講義の合間、食堂の二階で囲碁を打って過ごした。無聊のまま、夏休みの帰郷の折りに、高校時代の仲間と同人誌を出そうと思いついた。早速友人たちにハガキで呼びかけ、しかし、応じてくれたのは自分を含めて3人のみ。言い出しっぺで、自分がガリ切りなど発行の手間一切を引き受けた。ガリ版印刷で36頁の同人誌はその12月に発刊された。誌名は、同人由利氏の発案で「霧」と名付けた。「『霧』発刊に際して
」と題して、編集子の名で、以下の文を載せている。
『霧』発刊に際して
『霧』と云う単語から諸君は何を連想されるだろうか。或人はロンドンを、或人は息苦しい都会のスモッグを、或人は山小屋の朝を、或人は霧笛を鳴らし蝸牛の様に航行する船を、又或人は霧の中に背を見せて去って行った恋人の事を、とそれぞれ連想されるだろう。私にとって、 『霧』は故郷の象徴である。兵庫県の北の果ての小さな町、そこでは秋になると毎日も様に霧が立つ。霧に霞む山々、霧に漂う屋並み、そして霧が晴れ始めた時、顔を出す青空の嬉しさ、それらが次ぎから次へと、『霧』という単語を媒介として眼底に鮮明に再現して来るのだ。
※
『霧』はさらに心の霧をも意味する。曽て私が、各々ラベルの貼られた沢山の瓶が無秩序に並べられている、『心の霧』という戸棚を眺めやった時、一本の瓶が特に私の注意を引いた。その瓶を手に取って、そのラベルを見ると『自己限定』と書かれてあった。私は大いに興味を懐いて、その瓶の蓋を開けてみると、一条の煙と共に人間の声が聞こえて来た。
「僕には文才が無いから投稿出来ないんだ。」
その声の何と悲しく、何と淋しく響いた事か。
ある程度の教育を受けた者なら、凡そ誰でも文章を書けない筈がない。それにも拘らず、多くの人は自らの能力を自身で限定してしまって、それが当然の様に、そこに安住してしまう。成程、そこに平穏はあろう。然し少くとも一毫の進歩も見出せない。
本誌発刊の目的は、正にその自己限定という瓶を開けたと同時に生じたと云って好い。文章が書けないと自己限定している人達に、その限定を破るチャンスとして、この誌上を利用してもらう事こそ本誌最大の目的なのだ。そしてその目的達成の為には、本誌は甚だ無責任でなければならない。だから名を伏せたい人は来島義礼というような苦し紛れに創ったペンネームを使っても好いし、ペンの跡でさえあれば何んだって掲載してしまおうという方針すらあるのだ。そういう訳だから、諸君等、紳士淑女の活発なる投稿を期待している。
終りに、こういう目的の『霧』だから、諸君の心の霧、少くとも自己限定という霧さえ無くなれば、本誌の存在価値は無に帰し、その暁には、本誌は速やかに廃刊されるべきだと私は思う、という事を付け加えておく。(編集子)
出したハガキに反応がなかったことに、落胆を隠せない言葉になった。創刊号が出て、早くもその霧が晴れたのだろうか、『霧』は創刊号で終わった。大学で友人も出来、身辺が騒がしくなって、『霧』のことは忘れられたのであろう。
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