人口減少問題を考える(2)狩猟民族と農耕民族
世界の民族を大きく分けて、狩猟民族と農耕民族に区分すると、日本は農耕民族だとされる。広い国土と少ない人口で、獲物がなくなれば別の地へ移ればよい国では、狩猟をして暮らすことが可能であろうが、日本のように限られた土地の中で多くの人が生きてゆくには、土地に定住し、土地を耕し、作物を育てて、食べてゆくしかなかった。幸い日本は温暖な気候に恵まれて、農耕に最適であった。(最近はそうとも言えなくなっているが)
狩猟民族の間では、人の評価は獲物を捕らえて来たかどうかで決まる。事は単純である。それが人の評価基準となり、成果第一主義に繋がることは理解できる。
一方、農耕民族では、一朝一夕には成果は判断できない。地道に日々の農作業を繰り返し、作物を育て収穫して、ようやく評価ができる。それも一人の成果ではなくて、多くの人がともに農作業にたずさわった結果である。また年々耕地を少しずつ増やしてゆくことが成果であって、それは短期間に判断できることではない。だから、年功序列の方式に馴染みやすかった。
江戸の商家では、小僧 → 丁稚 → 手代 → 番頭 → 暖簾分け、と年功で地位と収入が上がっていくのが一般的で、明治になっても各企業にその伝統が受け継がれ、日本の年功序列制度の基となってきた。この年功序列の制度こそが、明治以降、先進西欧列強諸国のただ中にあって、アジアのどの国にも先駆けて、日本が発展を遂げてきた原動力であったと言っても過言ではないと思う。
何百年も続く日本の年功序列制度は、日本文化の特殊性を培ってきた。いま、ジャポニズムと世界が憧れる日本文化も、その基に年功序列制度があったように思う。いくら欧米諸国から強いられたとは言え、よくもまあ、考えも無しに、気軽く捨ててしまったものである。これは、幕末の開国と、敗戦に伴う開国に続く、第三の開国ともいうべきもので、しかも最悪の開国だったと思う。日本を日本たらしめてきたものをすてたのだから。また、それを易々と許してしまった労働界も、無策であったといわざるを得ない。
農耕民族として築き上げてきた年功序列制度を、いきなり、これからは成果第一主義だと言われても、訳が分からない。結局企業は、成果第一主義の、年々昇級をしなくてよい利だけをとらえて、社員の成果をまじめに捉えることを怠ってきた。
欧米ではそれぞれの仕事は厳格に分けられているから、その成果を計ることは容易であろう。日本では仕事がはっきり分かれておらず、若者ほど、修行の名のもとに、色々な仕事をこなしていかねばならない。まあ、日本的な企業の中で、社員の本来業務を見据え、成果を捉えることは、至難の業ではある。成果第一主義に楽々と移行できたのは、日本に進出した外資系企業だけだったと思う。話は余談になるが、罪を問われて逃亡したゴーン氏は、おそらくそういう背景をひしひしと感じていたに違いない。
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