自分古文書(6)「奇壁」10
2025.9.7
豊岡市では、数少ない観光名所「玄武洞」を取り上げた、ゆるキャラ「玄武洞の玄さん」が活躍している。ゆるキャラ界では珍しいおっさんキャラで、大変ユニークなゆるキャラである。もっとも、豊岡市には、他にも、市の鳥、コウノトリから生れたキャラクター「コーちゃん」と、市の両生類、オオサンショウウオから生れたキャラクター「オーちゃん」がいる。それにしても、日本人はゆるキャラが好きだねえ。
「奇壁」を続ける。
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周囲は全くの暗黒だった。ところが不思議にも奇壁だけは無数の夜光虫に照らされているかのように青白くぼんやりと浮かんでいた。仙作の眼は奇壁の真ん中のほの赤くなった辺りに縛り付けられていた。この闇の世界でその部分だけが僅かづつ変化を示していたのだ。ほの赤い部分は徐々に明るさを増し、ピントが合うように或る像を結び始めていた。仙作は驚き見入り、ピントがぴたりと合ったときには眼を大きく見張った。そこにまざまざと現れた像は両側に昇り龍と下り龍を飼い犬のように従えた、不動明王を思わせる荒々しい顔つきの『奇壁の神』だった。頭髪は一本一本が魂を有しているかのように揺らめいている。爛々と光る両の眼には誰をも服従させずにはおかない強固さがあった。胸板は厚く、四肢の筋肉は少しの弛みも無い。身体には粗雑に巻き付けたという感じで白い衣を纏っている。右の手にはいかにも重そうな金棒を鷲掴みにし、左の手は仙作を串刺しにせんばかりの勢いで指差している。『奇壁の神』の堂々たる体躯に比べると、両側の二頭の龍は貧弱にさえ見えた。しかしまるで火を吐くように舌を出している物凄い形相は仙作を恐慄させるに十分であり、前肢に捧げ持った神々しき光を放つ宝玉は仙作にある種の憧憬を抱かせた。
「仙作!!」
『奇壁の神』から発せられた雷鳴に近い声は天地を引っ繰り返さんばかりに響き渡った。仙作は叩き付けられるように平伏していた。引きつった喉頭は空しく痙攣するばかりで声にならなかった。
「仙作、聞いているのか」
声が和らぐと仙作の喉もようやく緊張を弛めた。
「は、はい」
『奇壁の神』に比べるとまるで蚊の鳴くような声だった。まさにその時だった。身体の隅々まで粉々に砕くような音に仙作は思わず耳を塞いでいた。ガラスを金属で引っ掻くような絶え難い大音響が轟き渡ったのだ。その音が龍の鳴き声だと気付いたとき、仙作は骨の髄まで震え上がっていた。
「仙作よ。お前は何という卑怯者で意気地無しなのじゃ!」
「なぜ卑怯者なんですか。どうして意気地無しと」
「自分で思い当たるじゃろうが」
「そうか、危険を感じて彼女を避けたことですか」
「戯け者め!! そんな些細なことを言っているのではない。お前は都会を嫌ってこのようなところへ逃避してきた。そのことを言っているのじゃ」
仙作はきょとんとしたがすぐに尋ねた。
「それがどうして‥‥‥」
「この大馬鹿野郎! まだ解らんのか。解らなければ説明してやる。人間どもは都会だ、文明だなどと言って、さも自然を征服したかのように感じ、凱旋門を建造し、勝利の酒に酔い痴れる。また反対に自然が文明によって徹底的に破壊されて行くという妄想に駆られ、憂うる余りに自然の中に逃避する。仙作よ。この吾が手になる大彫刻を眼の玉を引っ張り出して良く見るがよい。お前はこの大彫刻の雄大さに眼を見張ったはずではないか。しかもこの奇壁は氷山の一角に過ぎないのじゃ。その彫刻の大部分は土の中に眠っている。自然は人間どものようにちっぽけな彫刻は造らんのじゃ。人間の文明と吾が自然とは規模の壮大さにおいて全く異なる。それゆえ文明による自然の征服などという戯けたことは未来永劫、絶対に有り得ない。都会と言い文明と言っても、吾にとっては一本の髪の毛で突かれたくらいのもので痛くも痒くもない。その一本の髪の毛に追われて逃げ出すお前は蚤にも足らざる奴ではないか。仙作よ、逃げ出して何になるんじゃ。逃げ出せば事が済むと考える人間、それを卑怯者と言うのじゃ。いゝか、お前には大自然のような雄大な心が欠けている。都会など自分の箱庭くらいに考え、高い所から見下ろせるだけの心の大きさがな。だから意気地無しと言うんじゃ。無論、お前の肉体は都会と比べれば芥子粒にすぎないかもしれない。しかしその心は世界を飲み込むほどの能力を有しているはずじゃ。それを自覚するのじゃ。それを自覚すればこのように逃避を試みるようなお前ではなくなる。その時こそ堂々たる勇気に満ちた人生が送れるのじゃ。仙作よ、お前は即刻この逃避旅行を止め都会に戻り、もっと大人物になるのだ」
『奇壁の神』は禅坊主のように『喝』と叫び、同時に右手に持った金棒を地上に音を立てて置いた。その地響きで落下して来た数個の玄武岩の中の一つが仙作の額に打ち当たり火花を出した。その瞬間、辺りは明るくなった。
(つづく)
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