自分古文書(7)「死の閃光」(4)
2025.9.20
午前、金谷宿大学「古文書に親しむ」講座(初心者)、午後、同(経験者)の2講座を実施した。冷房は要らないかと思ったが、窓が広くないので、外気を入れるのが難しく、緩く冷房を入れてもらう。外気はもう秋である。
自分古文書「死の閃光」を続ける。
コンクリートの物干し台は素足にひやりと心地好かった。確かに保夫には見納めにという気持があった。しかし星空を見上げた頃にはそんな心はどこかに行ってしまっていた。月の無い夜空に星々は自由に煌いている。それを二分するように天の河が弧を描いてゆっくりと流れている。そのきらきらと輝く流れをじっと見ていると、千仞の谷底を覗き込んだ時のような激しい牽引を感じた。保夫は軽い眩暈を覚えてふらりと手摺に掴まった。それと同時にあの飛び込みたいという不可思議な衝動に駆られた。
〈あの何十万光年もの彼方の河に身を踊らせることが出来たらどんなにか幸福なことだろう。僕は今や風前の灯のこの星を去って永遠に果てし無く落ち続ける。そしてその間に雑多無用な感情や知識を排気ガスのように吐き出して行くのだ。ついには僕の心は渾々と湧き出ずる泉のように純化されるに違いない。そうなった時にはたとえあの河には達しなくとも、それを構成する一つの美しい星にはなれるかもしれない。もしも僕が星になったら真奈子は何て言うだろう。『あんたって、わりと勇気があるのね。見直しちゃった。』位言うだろう。そしてさらに、‥‥‥。〉
夢想は空を駆け巡り死の恐怖を一と時忘却の柵の奥へ押し込める。保夫は暫しの間忽然と星空を仰いでいた。
あの白い閃光が襲ったのはこの時であった。南東の山際から発して、一瞬全天を白夜にした。その刹那星々は畏怖の余り失せた。しかし白光が音も無く消えると同時に何事も無かったかのように甦った。
〈何だろう。花火? 違うな。稲光? いや稲光とすれば雷鳴を伴うはずだし、第一季節はずれだ。それじゃ一体何だ。〉
保夫ははっと気付いて愕然とした。
「死の閃光!」
背から冷水を浴びせかけられたように保夫はぶるぶると震えた。
〈あの方向は阪神地方ではないか。やはり都会が最初に狙われたのだ。〉
保夫の脳裏に火の玉と化したビル街が過った。そしてまた都市の亡骸に寄生して瞬間的に生えるあの忌まわしい茸雲が。
同じ方角から第2の閃光が襲ったとき保夫は全身の血液が滝のように足元に落ちるのを感じた。視界はどんどん狭まりついに網膜はもはや像を結ばなくなって、保夫はその場にへなへなと崩折れた。
数分後冷たい風が頬を撫でるのを感じて意識を取り戻した。しかし保夫はまだ徹夜の朝のように朦朧としていた。空を仰ぐと群れる星々がひどく眩しく感じられた。よろよろと立ち上がると、あちこちの柱や調度に身体をぶつけながら自分の部屋に辿り着き転がり込むように蒲団に潜りこんだ。
(つづく)
コメント
コメントを投稿