金谷宿大学歴史講座前の、雑談より

岡部英一著「一言坂の戦い」

2025.9.27

金谷宿大学の「駿遠の考古学と歴史」講座を、もう20年近く受講している。S先生は文献主義を徹底されていて、考古学的な発掘文化財や出来るだけ元の文献を最重要とされ、文献のない推定部分を推定や想像で補って歴史を再構築するのは、歴史小説の世界で、歴史ではないとされ、「駿遠の考古学と歴史」は文献のない部分は避けておられると感じる。

戦国時代は世の中が激動していながら、残っている文献が大変少ない時代で、過去には戦国時代は研究課題にされることが少なかったと思われる。しかし、現代はその戦国時代が、お城ブームもあって、大変注目され、多くの歴史学者が研究課題とされているように見える。お城の発掘なども進み、多くの歴史学者が様々な仮説を立てて、戦国時代を理解しようとされている。そういう講演会を聞くことも多い。そういう先生方が大河ドラマの考証などをされていて、歴史研究と大河ドラマの境があいまいになっていて、S先生はそのあたりを苦々しく見られているのではないかと思う。

そんな中で、先日、金谷郷土史研究会の講演会を受けていただいた、磐田の郷土史家岡部英一氏が、自費出版された「一言坂の戦い」が気に入らないようで、一度両者を紹介した時、大変な剣幕で、歴史の中に想像や推定を入れて、さもそれが真実であるように書くことを糾弾された。

今日またそれが話題になって、小説として書くならばとにかく、歴史として書くことは許せないとおっしゃる。岡部氏は、故郷の磐田はサッカーだけの街ではない。戦国時代には、若い家康と、命が尽きる直前、最後の信玄が、三方ヶ原で戦う前哨戦として、一言坂の戦いがあった場所である。本多平八郎忠勝が大活躍した戦いとしても知られている。そんな歴史のあったことを、磐田の子供たちに伝えたいという一点で、テーマとして選ばれた。歴史研究者でもなければ、新説を打ち立てて注目を得ようという野心があったわけでもない。そんなに嫌わないでよ、というのが自分の本音であった。

S先生は、戦国時代を扱う売れっ子の歴史学者の、文献など歯牙にもかけない姿勢に、腹を据えかねておられ、そんな気持ちが岡部氏へ向かったのだろうと思う。

11月には、金谷郷土史研究会の顧問でもあるS先生が、研究会で講演をして下さることになったという。楽しみだ。   

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