自分古文書(9)「うどん」(後)
2025.9.30
自分古文書「うどん」の後半を載せる。
*******************************************************下の道を義姉が一年と二タ月になる高司をねんねこに背負って、一歩一歩だるそうに「ほいしょ、ほいしょ」と高司を揺すって調子をとりながら斜めに登って来た。足元に注意を配っていた視線をふと上げたので、笑みを浮かべて一寸会釈すると、何やら怪訝そうに眼を細めて五、六歩近寄ったが、「何や、よっちゃんか」と驚ろきと安堵の錯綜した面持ちで言った。
「秀作さんかと思った」
秀作とは兄の名前である。義姉は少し近眼なのに眼鏡を掛けていなかった。自分の大きな顔には眼鏡は似合わないと決めてかかっていたからである。玄関から回って部屋に入ってくると、「ああ、疲れた疲れた」と大形に声を上げ高司を下ろしながら、「何やぁ来たんか。今度は何で」と尋ねた。
義姉が無意識にしゃべっていることは解ったが、僕はちょっと不快を感じた。
「兄貴、何も言わんかった? 昨夜電話があって『どうしてる?』っていうから、『今、試験休みだ』と答えたら、『そんなら来んか』ということになって来たんだけど」
「ご迷惑ですか?」と皮肉ってやろうかしらんと思ったがそれは止めた。そして将来のことで兄に相談するつもりもあったのだが、それはわざと言わなかった。
「何も聞かんで。もっともパパは昨日泊まりやったから」
着脹れた高司が太って腕輪のようなくびれの出来た手を卓袱台に掛けてうーんと立ち上がった。そして当初からの目的であったように僕を不思議そうにじっと見た。
「ママぁ、何かぁ、何かぁ」
義姉は甘えかかる明子を手で払いのけて、高司を抱き上げ畳に肩から寝かせた。
「さあ、おむつを替えるのよぉ、高司ちゃん」
のけぞってむずかる高司に猫なで声で言った。下半身が自由になると高司はむずかるのを止めて「おう、おう、おう」と自転車でもこぐように元気良く足を動かした。手慣れた様子で義姉は荷造りでもするようにおむつを付けながら「まだ、だめなんやこの子」と言う。
「よっちゃん、お昼は?」
「それが昼時が伊良湖だったもんで、こちらに来てからにしようと思って」
「ほんならおうどんでえゝやろ。明子、扇屋さんに行って『おうどん二つ』って言って来なさい」
明子は二つということにこだわって「私も欲しいもん」と言う。
「あゝあゝ、ママは食べへんから」
義姉はそう言って、駆けて行く明子の背に向けて「明子はいつも残すくせに」と追い打ちをかけた。
「高司、よう太ったな。どれこっち来てみ」
抱き上げると高司は不安げに顔だけ義姉の方を向いた。ママが見えないように逆の方に回すと、くるっと反対の方を向いてやはり義姉の方を見た。二、三度逆らうと、弓なりに伸び上がって泣き出してしまった。
「あかんのよ。高司は人見知りして」と義姉は高司を抱き取った。
「でも、よう太って重くなった」
細面の明子がどちらかというと兄に似ているのに対して高司は義姉にそっくりであった。高司もよく肥えたが、義姉の方もいよいよ太って、だから身体を動かすことが一々大儀そうに見えた。
うどんが来て卓袱台に置かれると、高司がうまうまと歩いて来て明子の前のどんぶりに手を伸ばそうとした。「これゃ」と言ってどんぶりを遠ざけると割り箸をつかんだ。「うーん、私のや、ママ、高司が」と明子が割り箸を取り戻そうとした。高司もムッと口に力を入れて取られまいとした。
「明子、どうせみんな食べないやから、高司に少し食べさせるわ」
義姉は器を持って来て半分ほど移し取った。明子はうーんと鼻声を出して恨めしそうに見ていたが何も言わなかった。
義姉は高司を膝の上に抱き上げて「さぁ、おうどんよう、高司ちゃん」と言い箸でつまんで口に入れようとした。高司はちょっと顔をそらすが、無理に口に入れられると満更でもなさそうにくちゃくちゃと口を動かした。明子はその様子をちらっと見上げたけれども、すぐに自分のうどんを食べることに熱中し始めた。
(昭和42年12月)
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