自分古文書(8)「いらごのしま」(前)

 自宅脇、川縁のススキ

2025.9.25 

自分古文書の8番目として、「死の閃光」の三か月後、昭和42年12月の作品、「いらごのしま」を取り上げる。当時を思い出すと、短いものを幾つか書いて、長編にしようと、意図したものであった。もっとも思うようにはならず、この後「うどん」(「いらごのしま」の後で載せる)を書き、2作品で終わっている。

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いらごのしま

 緩い坂になった道を僕は足をぎくしゃくさせて走っていた。右手に見晴らされる伊良湖の港はのこぎり型に素早く跳んで僕に追いすがってきたけれども、徐々に遅れていった。道は岬の山の中腹を巻きつくように左へ左へと曲がっていた。視界はまっすぐに延びた防波堤を越して、次第に黒ずんだ外海に開けてきた。空はいつの間にかすっかり薄雲に覆われて、十月の空気は紅潮した頬に快かった。風はほとんどなくて、海はよく凪いでいた。

 精神的に参ってしまい不健康な生活を続けていて、肉体的にも自信喪失の状態にあった僕は思いついて身体に一つの挑戦を試みたのであった。犬のように忙しなく呼吸しながら、それでも自分の健康に少しずつ自信を取り戻しかけていた。久しく走るようなことのなかった両の足は酷くぎこちなかったけれども、他の部分の機能は至極順調で病の片鱗すら感じなかった。僕は次第に陽気になって空を向いて笑った。

 不意に石につまづいた。足を運び損ねて前のめりになり両手を突いた。僕はすぐには起き上がらないで、這いつくばったまませわしく呼吸した。運動不足に退化した足の筋肉は身体の重みがかかって貧乏ゆすりのように震えた。呼吸音の向こうでそれよりはるかに密やかでゆっくりした潮騒が聞こえていた。僕は今初めて気付いたように自分がたった一人で伊良湖岬にいるのだと感じた。浮き立った心は花が凋むように沈んでいった。

 立ち上がって手の砂を払いながら光景が淋しすぎるのだと思った。駆けているときには僕に合わせて踊っていたのに止まると同時に死んだように動かなくなってしまった。鉛色の海は曇った空の下で水銀のように重々しく凪いでいる。木々は真夏のむんむんとした緑をすでに失い、却って華やかに見える紅葉にはまだ至らない衰退期にあって、無風の中にじっとして騒がなかった。

 僕はゆっくり歩き始めた。それほど急ぐ理由もなかったのである。フェリーボートは今出てしまったところで次の船までには一時間は十分あった。

 道がさらに左へ曲がって灌木の上に島影が現れた。鳥羽の神島だ。水平線よりかなり手前に南側に幾分高さの偏って見える山ばかりの薄ぼけた姿を浮かべている。ぽつんと取り残された孤独な島だ。神島とともになおしばらく歩くと、右手下方の樹間に白い灯台がちらちらと見え始めた。灯台は海面のすぐ近くにあるらしかった。少し降りてみようと思って道から外れて潮風に酷くいじけた灌木の間の小道に分け入った。灯台の方へ続いているようであったけれども、降りるにつれて足元はえぐられたように悪くなってきた。まさかここまで波を被るわけではあるまいから、おそらくは雨が降るとこの道が川に変じるのであろう。

(つづく)

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