横岡八幡神社のお祭りに行く

  
横岡八幡神社、幟と「猿」と鳥居と石段と竹灯り

2025.10.12 

午後、横岡新田の女房の実家より電話があり、横岡の八幡様のお祭りに来ないかと誘われた。横岡八幡様の祭りを見るのは、何十年振りであろうか。早速女房と実家へ行き、そのまま、義弟の嫁さんと三人で八幡様に行く。 

石段前に石の鳥居が立つ。この鳥居は大正三年、時の五和村靑年會横岡支部が立てた鳥居で、当時の横岡支部長だった女房の祖父に当たる北川俊作さんの、落成時の祝辞の草稿が残っていて、解読したことがある。また、機会があったらこのブログでも紹介しよう。

その鳥居は、年月が立って地衣や苔なども付いていたため、祭り前に義弟たちで磨いたと聞いた。なるほど年代は感じるが、きれいになっていた。鳥居の前には、左右に幟が立ち、最下辺に「猿」かぶら下がって幟の文字がよく見える。

今回、横岡八幡様の祭りに当たって、明治安田生命の地域貢献金として、横岡八幡祭りに30万円の寄附を頂いたようで、祭りの実行委員にも、力が入ったようだ。

石段の両側には竹明かりがしつらえられて、夜はLEDの明かりが点るという。島田の帯祭りと日程が重なり、露店の人たちは皆んなそちらへ取られて、ここでは、近所の店に出店を頼んだり、地元の女性たちが店を開いたりと、それでも幾つも露店が開かれていた。神社の舞台での子供たちの奉納舞いは休憩に入っていて、次は4時からだという。

女房は、子供の頃のご近所さん、あるいは同級生などと顔を合わせ挨拶をしている。といっても、何十年も合わないとお互いに面影も残らず、義弟の嫁さんが繋いでくれている。詰め所にいた義弟も出てきて、境内を案内してくれた。社殿に回したしめ縄なども、藁を頂いてきて、自分たちでな()ったという。

境内にあった何本かの巨木が切られているが、残った木々も随分と太さを増したように見えた。樹木が太くなったと感じるほど、久しぶりの参拝であった。  

横岡八幡神社祭り、奉納舞
 衣装が新しい

女房の実家で時間をつぶして、四時になって再度八幡様に行く。社殿手前の右手の舞台では子供たちによる舞いが始まっていた。最初に奉納する人の名前と家内安全、傷病平癒といった祈願が述べられ、男の子は白赤の衣装に烏帽子を付け、女の子はやはり白赤の衣装に金色のかんむりを被り、男の子は笛太鼓の曲が早く、女の子はゆっくりと舞う。舞いの種類はその二つだと聞いた。衣装が新しいのは30万円の寄附で新調したからだと聞いた。

明治安田生命の地域貢献としての、30万円の寄附は、その金額以上に、地区の人々の気持ちを高めたと思った。味なことをやるもんだと感心した。 

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