自分古文書(10)「ベーローや」(前)
2025.10.1
故郷豊岡の盆踊り、「べろべろ節」を扱った短編である。昭和44年1月の日付があるから、大学卒業直前くらいの時期である。盆踊りの会場は、往時は豊岡小学校のグラウンドであった。
*******************************************************
ベーローや
♪ベーローベーローや、ベーローベーローや、
またベーローベーローや、ベーローベーローや
盆踊歌が遙かに聞こえてきて、匡(ただし) の心を急き立てていた。
「そんな無闇に前を合わせるもんやないがな。女とちがうんだしけいに。こっち向いてみんせい」
匡は、物知りの叔父がベロベロ節の『ベロ』は『ベーロン』のことだと説明してくれたことを、ふと思い出した。『ベーロン』とはお盆の供物(くもつ) を川へ流す茅舟(かやぶね)のことである。
「こんな細くちゃ格好が付けへんがな」と母は独り言ちながら、有り会わせのタオルを腹に宛がい、裾を揃えて前を合わせた。そして黒の縮(ちぢみ) の帯を後ろで蝶に結ぶと、如何にも一丁上がりというように「ハイッ」と腰を叩いた。
堂島を突っ掛けて表に出ると、盆踊歌に引かれるように三々五々会場の小学校の校庭に向かう浴衣(ゆかた) 姿の人々の中に匡も加わった。
匡は出しなに何げなく手にした団扇(うちわ) を持て余していた。それは盆踊には無用の長物なのである。考えた末に、匡は浴衣の腰に差した。そしてそれと同時に、尾の先の下側に二枚の小さな半円形の団扇を持った団扇蜻蜒(やんま) を思い出した。
幼い頃、夏の夕暮に川っ縁(ぷち)のその“通り道”に張って、よく捕らえたことがあった。虫網から出すと、尻尾を蝦(えび)のように曲げて、指の間でその団扇を喘ぐように開閉している。その様子が逃げ出す隙を伺って呼吸を整えているように見えて、急いで虫籠に入れたものであった。
そんな獲物のあった夜は、腕白仲間は揃って団扇蜻蜒になるのであった。浴衣の帯の後ろに団扇を差すと、両手を横に真っ直ぐに伸ばして、ぶーんと金蚉(かなぶん)のように、ひらひらと蝶々のように、ひゅうーとグライダーのように、口々に羽音を擬しながら、小学校の校庭の隅の二本松まで星明りの中を走っていくのだ。
寄り添うように立つ二本松は、いずれも、幹を巻くのに子供三人を要するほど太く、三階建の鉄筋校舎よりも高くて、夜は星空を黒く切り抜いたようにみえる。二本松に駆け着くと、腕白仲間は思い思いに幹にもたれて、荒い木膚に紅潮した頬を寄せ、脂の香を嗅ぎ、指の間の団扇蜻蜒のように呼吸を整えるのである。
しかしそれとてほんの暫くのこと、なにしろ夜の学校は魔物の巣窟のように不気味だから、誰かが「一つ目小僧だぁ」と嚇すと、もう団扇蜻蜒であることなど忘れて、悲鳴をあげながら明るい通りの方へ駆け出している。
(つづく)
コメント
コメントを投稿