私と山登り(1)子供の頃の遊び場、神武山と山王山

 
 公園化された今の神武山(ネットより借用)
60年前は荒れ山で、その面影はない

2025.10.14 

自分の山登りの趣味はどこから始まったのか、考えてみると、子供のころに遡る。生まれ故郷は廻りを低山に囲まれた豊岡盆地にあった。盆地の真ん中を円山川が南から北へ流れている。円山川はそれより20キロほどで、日本海に注ぐ。川の周囲に田んぼが広がる中央に、旧豊岡藩(京極氏)の小さな城下町がある。

豊岡盆地の中央に小高い山、神武山(標高30ⅿ)と山王山(標高15ⅿ)があり、そのすぐそばで、戦後まもなく自分は生まれた。神武山はお城のあった山、山王山は日吉神社のある山である。その二つの山が自分たちの遊び場であった。

神武山は秘密基地を作ったり、昆虫採集に駆け回ったり、赤土の斜面から水晶が取れると聞いて取りに行ったこともある。あの時、上から小さな岩のかけらが転がってきて、自分の背中に当たったことがあった。一瞬息が詰まって、びっくりしたことは覚えているが、痛みの記憶はない。

神武山の西の一角に測候所があった。百葉箱などがあった記憶がある。今は測候所が下へ移転したと聞くが、豊岡が全国一の最高気温の場所として、全国ニュースになるのは、測候所が下へ移転した以降のことと思う。盆地だから暑い空気がたまりがちなのである。

山王山の日吉(ひよし)神社は大津市の日吉(ひえ)神社から勧請したものであろう。我が町内もその氏子で、唯一「獅子舞」を毎年奉納していた。祭りの前から、近所の町席(今の公民館)で、毎夜練習する笛太鼓が聞こえていた。直前には夜、町席前の道路上で、仕上げの獅子舞を演じた。近所の者はそれを見物した。獅子に天狗が登場して、笛と太鼓に合わせて、絡み合うのは面白かったことを覚えている。

その山王山のふもとに竹藪があって、一度タケノコを採って持ち帰り、ひどく叱られたことを思い出す。もっとも、返すわけにもいかなくて、美味しくいただいたのであるが。竹藪から孟宗竹を切取り、いくつのも割って札を作り、天、地、人、風、水、火などの文字を書き、皆んなで持ち示し、仲間の印としたような遊びも行った。 

最初の山登りはこのような遊びの中であったように思う。  

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