私と山登り(2)金山、愛宕山、妙楽寺山
2025.10.16
小学校も高学年になると、校区以外の山に遠征するようになる。金山(こんざん)(標高50m)は、学区外まで来たことを、もっとも印象深く覚えているところである。駅の西へ1キロほど行った山で、山頂近くに稲荷神社があった。そこまで、ひたすら石段を登ったように思う。赤い鳥居を幾つか潜ったようにも記憶する。
金山は今まで金毘羅さんを祀った山と思い込んでいたが、調べてみると、金山稲荷神社であった。かつては金山砦のあったところで、今調べてみると、詳細は不明ながら、神武山にあった豊岡城の詰城もしくは支城のひとつであったか、とも書かれているが、不明だという。
山を降りてきたら、同年配のこの学区の小学生であろうか、我々を胡散臭そうに見るので、早々に田んぼのあぜ道を引き上げたように記憶する。
今一つ、愛宕山(標高100m)は、町中を北へ進んで、小田井神社の所から円山川を渡ったすぐの山である。今、調べると中世ここも山城があって、ここを「鶴城」と呼び、神武山の城を「亀城」と、並び称されていたらしい。当時、そんな知識はなく、山には椎の木が何本もあって、椎の実をたくさん拾って帰っった。家で、フライパンで炒って食べた記憶が残っている。現在、コウノトリの繁殖及び放鳥で有名な「コウノトリの郷公園」は愛宕山から近い。
もう一つは妙楽寺山、これは通称のようで、高野山真言宗妙楽寺のある山で、正式には何と呼ぶのか。標高は100mもないかもしれない。その麓にキリスト教の教会があって、教会には入ったことはなかったが、その広い庭でよく遊んだ。古木の根元で、雌雄一対のカブトムシをゲットしたのもその庭であった。日本の旧家の屋敷跡のようで、白い漆喰の塗られた土塀で囲まれていたが、樹木に覆われた庭には自由に出入りできた。
教会の脇の道を通って、山の上にある妙楽寺に通じるのだが、夏にはその道をハンミョウを追っかけながら登った。妙楽寺は開放的なお寺で、何かのイベントでお寺に泊まった記憶がある。

妙楽寺へ行く道の脇の小川には、蛍の餌になるカワニナ(当地ではサイナイと呼ばれていた)が沢山居て、目の薬になると言い、親父の自転車の後ろに乗って、夕方よく捕りに行った。子供のころ自分は結膜炎で、父母は色々民間療法を試した。カワニナは生で食べさせられた。これは、不味いものではなかった。お袋はショウガの絞り汁を、目薬を差すように、自分の目に入れた。これには参った。痛いのか、染みたのか、その感覚の覚えはないが、きつかった。結膜炎は医者も言ってたように、大きくなったら自然に治った。
もう一つ、町の南東数キロの所に、但馬富士と呼ばれた三開山(みひらきさん)(標高201.6m)があった。登ってみたいとは思っても、少し距離があって登らず仕舞いになった。今、ネットで見ると、ここにもかっては三開山城という山城があったらしい。
小学校高学年頃の山登り何て、こんなものである。
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