江戸時代の米価/「碩屋日記」より

 
「硯屋日記 四巻」の表紙 
現在解読中 

2025.10.20 

女房が免許返上して以来、マーケットに運転手で行くようになって、食料品について随分詳しくなった。当然、米価高はもっとも気になるところで、5キロ4000円を切るお米を見つけると、ついつい購入してしまう。昨日も購入。

今、江戸時代中期、駿府宮ヶ崎町で、硯(すずり)屋を営んでいた商人の日記、「硯屋日記」を読んでいる。自分と同年配の弥惣次さんの数年に及ぶ日記で、大正時代に市の職員が市史など編纂の資料として書き写したものが、県立図書館に残されていた。筆書きで、簡単には読めない、それ自体が古文書である。ちなみに元の日記は失われていて、また解読はまだ公にされたものはない。全体で四巻、400ページにも及ぶ日記で、自分は今、その四巻目を読んでいる。

 
 「硯屋日記 四巻」今日解読の部分

当時、駿府の町で生活する上でも、お米の直段は重要なもので、お米の豊作、不作で大きく上下する。今日解読していた部分にも、

  この頃は、滅多(めった)米高直に成り、(ひさし)売り百文に一升
  四、五合、一分に一斗一升、おそろしき事。
   ※ 滅多(めった)➜ 度を越しているさま。むやみ。
   ※ 庇売り(ひさしうり)➜ 店頭販売。小売りのこと。
  中分より下の商人、困窮至極、諸色売り手多く、買手はなし。困窮甚しく、
   
※ 諸色(しょしき)➜ いろいろの品物。種々の商品。
  (狂歌)売物は 安くて米の 高ければ 禅家望まじ くし(酒)に困れり
    ※ くし(酒)➜「さけ」の異称。

「葷酒(臭気の強い野菜や酒)、山門に入るを許さず」は、禅寺の山門脇の石柱に刻まれる言葉である。葷酒は、心を乱し修行の妨げになるので、寺の門内に持ち込むことは許さないという諫めの言葉である。しかしながら、禅僧といえども、御酒は放すことが出来ない。「般若湯」などと偽って飲酒する禅僧も少なくない。  

そんな話を裏に、禅僧も御酒(材料は米)の値上がりは望まずと、ユーモラスに狂歌に読んだものと思われる。    

このように「硯屋日記」には、狂歌を趣味とする著者ゆえに、頻繁に狂歌が読まれて、日記を賑わしている。その狂歌、古文書解読とは別に、歌意を読み取るのは、大変難しい。

硯屋日記」は県立図書館で、誰でも見る事が出来るが、解読したものがないので、古文書解読が出来ないと読めない。この解読が終わったら、一般の人が読める解読版を、県立図書館に寄贈しようと思っている。 

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