自分古文書(13)「六日目」

書店セルフレジ特集】三洋堂ホールディングスの事例とシステム会社のサービス - The Bunka News デジタル 
今や、書店のレジもセルフレジ(ネットより借用) 
その書店も次々に閉店していく 
 

2025.10.22

この当時、色々な作風を試すように、書いてみている。この作もまた違ったかたちである。もっとも、作家になろうなんてことは露ほどにも思わず、自分の可能性を自分で試しているに過ぎなかった。

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六 日 目

 この一編を、ある美(うま)しきレジスターガールに捧げる 

 これは私のまだ結婚する前のお話しです。

 その頃、私は街のスマートな書店のレジスターガールでした。ご存知の通り仕事は単調なものですが、それでも毎日楽しく働いておりました。ガチャ、ガチャ、ガチャ、ピーンと飛び出すレジ。そのリズミカルな音は陶酔さえも呼びました。そして私は「毎度ありがとうございます」という空虚な矛盾に満ちた言葉を小鳥が歌うように称えるのです。

 自分から申すのもなんですが、人は私を美人だ、美人だと言いますし、そういうことは容易に認めたがらない同僚たちさえも、それを認めていました。それで、いつか自分でもそう思い始めていたのだと思います。私はそういうことを鼻にかけることのないよう、随分自分を諌めていたのですが、自慢に想う心は隠しきれなかったようです。けれどもそれも無理はなかったのです。何しろ、若い男の方は私を見ると急にどぎまぎして、お釣りも受け取らずに帰ろうとなさることも度々でしたし、ある程度お歳を召した方は、まるで美しい花でも見るように私をうっとりとご覧になるのが常なのですから。何度かお茶に誘われる方もいらっしゃいましたけれども、その度に私は丁寧にしかしきっぱりとお断り致しました。文を付ける方も幾人かいらっしゃいました。しかし大抵は封も切らずにその夜のお風呂の焚き付けになりました。恋心など知らないくせに、変に世間智にたけているような私だったのです。端から見ると私は美人を鼻にかけ、お高く止まった、ガードの固い女と映ったことでしょう。

 あの方を初めてお見受けしたのはそんなある日の昼下がりのことです。あの方はすうっと私の前にお立ちになり、黙って一冊の本をお出しになりました。そのお顔は凛々しく気品に満ちて、冷たいほど落ち着いていらっしゃいました。まだお若い方なのに、私を正面きってご覧になりながら、何の狼狽もお見せになりません。却ってこちらが決まり悪くなるくらいでした。包んで差し上げると、お金をお支払いになり、今一度私に一瞥を与えて、とうとう一言も口を利かずに立ち去っておしまいになりました。私は例の歌うような「毎度ありがとうございます」という言葉さえ忘れて、呆然と見送っておりました。後から売上カードを見ると、あの方のお買い求めになったご本はあの有名な抒情詩人の全集の第一巻だったのです。しかもあの詩人は私の最も愛読している詩人なのです。愛読者心理とでも申しましょうか、私は何かしら懐かしく嬉しかったことを覚えております。でも夕刻仕事の終わる頃には、仕事にかまけてあの方のことなどすっかり忘れてしまっていました。

 ところが次の日もほとんど同じ時刻に、あの方は私の前にお立ちになり、同じ詩人の全集の第二巻を、同じように黙って買って行かれたのです。〈変なことをなさる方だな、昨日一緒にお買いになればいいのに、それとも昨日はお金を一冊分しか持ち合わせていらっしゃらなかったのかしら〉と思いながらも、今度は落ち着いて「毎度ありがとうございます」と言えたほど、そのことに気を留めることはなかったのです。けれどもそれが三日目、四日目と続くとさすがに気になり始めました。その全集は全十巻から成っていましたから、〈十日に分けてお買いになるのかしら、でもどうしてそんな手間を?〉と考えると、それから先は皆目見当がつきません。一度お尋ねしてみようと思いはしても、あの方をお見受けすると妙に気恥ずかしくて、全く事務的にことを済ませてしまうのでした。

 そうこうするうちにあの六日目がやって参りました。その日もあの方は全くいつものように全集の第六巻をお出しになりましたが、私がそれをお包み申し上げているとき、あの方が初めてお口をお利きになったのです。「六日目ですね」「ええ、そうです」私はあの方を一寸見上げてそう答え、すぐに真っ赤になって下を向いてしまいました。その会話の意味するところに気が付いたからです。あの方はちょっと笑みを浮かべておっしゃいました。「明日は定休日でお店はお休みですね」あの方のお言葉に私は俯いて「はい」と蚊のなくような声で答えて、急いで本をお渡ししました。私が顔を上げたときには、あの方の姿は店内には見えませんでした。けれども私の血の昇った脳裡にはあの笑みがまざまざと焼きついておりました。

 次の日はお休み、あれはど休日が長く感じられたことはありません。翌日いそいそとお店に出て、朝から同僚が不審に思うほどそわそわとしていました。〈あの方はいらっしゃるかしら、昨日はここがお休みだったから、どこか他の店にいらして残りはそちらのお店で買うことになさったのではないかしら、いやいやきっといらっしゃる、わざわざ昨日のお休みをお確かめになったりしたのだから〉などと思いつつ、あの全集の第七巻をそっと手垢のつかないものに変えたりして、あの昼下がりの定刻をお待ちしていたのです。やっぱりいらっしゃいました。でも一昨日のあの笑みはどこへやら、再び無表情な冷たいお顔にお戻りになって、お言葉を待ってぐずぐずしている私など眼中に無いご様子です。〈やっぱり私の思い過ごしだったのかしら、ちょっとした気まぐれであんなことをおっしゃったのかしら、でもそれならどうして毎日一巻づつ買うような手間をお掛けになるの、きっと明日こそ何かお言葉を掛けて下さるに違いない〉と思ううちに、その明日も何事も無く過ぎて、ついに十日目になりました。

 あの定刻を待ち遠く思いながら、〈今日であの方とお会いするのもお終い、あの方はもう二度とこのお店にはいらっしゃらないだろう、でもひょっとして今日こそは、いやいやそんな空頼みはもうすまい〉などと考えていると、そのときのやって来るのが怖くなったりしたものです。いよいよあの方が私の前にお立ちになった時、私は本を受け取る手がかすかに震えているのを感じました。ああこれであの方も見納めかと顔をあげたとき、あの方が待ちに待ったお言葉を掛けて下さったのです。

 「あなたのお仕事の退けるのは五時ですか」私はあの方の笑顔を食い入るように見ながら、大きくこっくりをして、「えゝ」と夢中で答えました。「では、その時刻に裏口でお待ちしています」

 もうお解りになったでしょう。あの方が今の私の良人なのです。良人は今朝も会社の出がけに言いました。「今日で六日目だね」私が「えゝ、そうよ」と答えるとさらに申しました。「やれやれ、やっと明日が日曜日か。明日はゆっくり寝られるわい」

                              (昭和4211月)

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