遠州方面見学会/金谷郷土史研究会(1)秋葉神社上社、東の神門
2025.11.20
昨日19日、朝、快晴、だが寒い。寒さ対策をして8時半集合。出席者は自分も含めて5人。今日の見学会の企画と、案内及び運転手まで兼ねて頂いたNさん、服部菅雄のご子孫のHさん、今月入院手術が待っているというAさん、本日最高齢の元町議だったGさん、そして自分。遠州地方の神社仏閣、特に建物に特化した見学会である。文化財に造詣の深い建築設計士のNさんが案内してくれるから、何とも心強い。
運転席にNさん、助手席にHさん、後部席に右からGさん、自分、Aさんが乗り込む。Aさんとはあまり話をしたことがなかったが、よく話が弾んだ。Gさんは寡黙なひとであった。
最初に訪れたのは、秋葉神社上社である。山道をかなり登って、第一駐車場まで行くが、年寄りの会だからと、さらに山道を行き、第三駐車場まで車で登ってくれた。ここからは大きな登りはなくて、上社まで行き着ける。その道は杉の大木が立ち並ぶ林の中で、日も差さずかなり冷える。ただ杉の大木に囲まれて、にんまりである。幹回り三メートルを超す「巨木」が何本もある。
尾根を少し登って、本殿にはコンクリートの階段を登る。本殿前には金色に塗られた鳥居が青空に映えて鮮やかであった。振り返れば、限られた範囲だが、遠く遠州灘まで見晴らすことも出来た。先ずは本殿に拝礼する。拝殿の軒にぐるりと干支の彫刻に飾られているのに気付いた。この彫刻は架け替えができるようで、今年の干支の巳が正面にあった。
Nさんが見せたかった建物は、東の神門だったようだ。昭和18年の火事で、上社はほとんどの建物を焼失した。火の用心の秋葉神社が火事で焼けたのではシャレにならないが、そこはそれ、秋葉神社は自らの社の火事で、火の用心の大切さを示し、また厄落としをして頂いたとの解釈も出来る。火事で唯一残ったのが、下社から登ってくると最初に現れる、東の神門であった。
この神門は天保二年(1831)に建造された門であったが、2018年の台風で倒れた木で、彫刻などが損傷したため、その後三年かけて解体修理が行われ、朽ちかけた柱を柱接ぎの技法で修覆、屋根は金属板から建造当初のこけら葺きに戻すなど、修覆がなったという。現在は浜松市指定有形文化財になっている。Nさんが委しく説明してくれたが、倒れた大木は側に切り株が二つほどあり、おそらくそれであろうという。周囲には幹周囲3~5メートルの杉の巨木が何本も見える。
東の神門を後に、反対側を少し下った西の神門へ向かう。この門は広い第一駐車場ができて、緩やかな石段の参道を登った入り口に、新しく2005年に出来た門である。そこで記念撮影後、希望者はここから第一駐車場へ下って待っていてもよいだろうかと、多分外の人も同様に感じただろうと、代表してNさんに申し入れる。我儘なとは思ったが、Nさんに了解をもらうと、案の定、皆なそちらへ付いてきた。振り返ると西の神門では、Nさんが参道を登ってきた中年の女性三人に、神門の説明を始めていた。
石段は林立する杉の巨木の間を緩やかに下っていく。紅葉がそろそろ始まって道脇のドウダンなどの赤が鮮やかである。モミジの紅葉も見える。ゆっくり下って、Nさんはあの女性たちをきっと東の神門まで案内しているから、30分ぐらいかかりそうだなどと、我儘な年寄りたちは容赦がない。
下ってから数分後に、Nさんの車が降りて来た。噂の話をすると、「よほど案内しようと思ったが、皆んなを待たせては悪いと思い、断念した」と笑う。
(つづく)
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