遠州方面見学会/金谷郷土史研究会(2)内山真龍資料館
2025.11.22
19日、金谷郷土史研究会、遠州方面見学会の続きである。計画では、秋葉神社の後、秋野不矩美術館の予定だが、あいにく同美術館が休館だったため、中の見学は出来ないと分かり、その分どこか希望があればと、今日のリーダー、Nさんの言葉で、内山真龍資料館の見学を希望した。
内山真龍は、遠州国学の基礎を築いたと言われる国学者で、名主の仕事をこなしながら、賀茂真淵、渡辺蒙庵、田中道麿(本居宣長の弟子)などに国学を学び、「出雲風土記解」「遠江国風土記伝」「日本紀類聚解」などを著し、文政4年8月22日、82歳で死去している。(資料館パンフより)かつて、何かの折りに資料館を訪れたのだが、あいにく休館日に当たっていて、見学できなかったことを思い出したのであった。
道の駅「天竜相津花桃の里」で少し早めの昼食にする。山菜そばが850円は高くなったものだ思う。真龍資料館に行く途中、船明ダムのそばの道路沿いの「船明の二本スギ」前で、暫時、車を止めて貰った。久しぶりに再会する巨木で、まだまだ勢いを保っている。鳥居杉だった二本杉だが、ダムや道路が出来た関係か、神社は引っ越したのか、今はない。自分に気持ちが入っているほどには、郷土史研の面々には、巨木は興味が薄そうで残念であった。
真龍資料館は前回は長屋門を見ただけだった。あれ、藁屋根ではなかったのか。他の所とこんがらがっていたようだ。入場料200円。国学の中身を展示物にするには中々難しい。唯一、内山真龍自画像(市指定文化財)が、実物やら、コピーやら、写真やらがあちこちに展示されていた。「文政二年八十齢像 自画讃」とある。「讃とは何か」と聞かれ、横に掛かれた画に寄せた文を「讃」というと、説明するが、理解してもらったか、確信が持てなかった。ここには「自画讃」とある。「自画自賛」という言葉なら理解してもらえるだろう。自分で描いた絵に、自分で賛(詩文)を書いて褒めることが語源である。この画文は「面白古文書」に使えそうである。
真龍の旧居は現存する旧家を模して新築されたもののようだが、囲炉裏のある板の間や、牛馬と同居の造りなど、往時の様子の一端が窺える。また、側に昔の農具が展示されていたが、その中で手動の縄ない機は興味をひかれた。Gさんは昔、使って縄をなったことがあるようで、説明してくれた。出来れば実演を見たいなどと話す。
この後、本田宗一郎ものづくり伝承館に立ち寄り、初期のばたばたと呼ばれたころの自動二輪などを見学した。Nさんの説明では、元役所だったこの建物の外壁は帝国ホテルと同じタイルが張られているのだと聞いた。
(つづく)
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