遠州方面見学会/金谷郷土史研究会(4)龍潭寺、宝林寺

龍潭寺庭園、庫裡から御霊屋を遠望
 
 本堂裏手より、龍潭寺庭園

2025.11.24

19日の金谷郷土史研究会、 遠州方面見学会の最終回である。秋野不矩美術館の後、二俣から引佐へ向かう。龍潭寺は何度かお参りしてお馴染みのお寺である。直虎の大河ドラマで一躍脚光を浴びたのは、まだ記憶に新しい。さすが人気のお寺で拝観料が700円は中々のものである。その庭園は小堀遠州の作庭として有名で、庭前でゆっくりと案内放送が流れる。また、Nさんから、小堀遠州の業績についてやや詳しく説明があった。

庫裡へ回ると角の部屋に、井伊直弼の座位の場所があった。参勤の途中に立ち寄ったのであろう。井伊家の御霊屋が庭園のむこうに遠望できる部屋である。もちろん御霊屋へお参りの後、庫裡のその部屋で休憩を取り、お茶などを頂いたのであろう。

宝林寺仏殿(本堂)
 
宝林寺方丈 

日はもう西へ傾いていたが、最後に細江の宝林寺に寄った。もう見学時間は少なかったが、途中で追い出されることもないだろう。拝観料は400円。拝観料で人気度が判る。宝林寺は数少ない黄檗宗のお寺である。臨済宗が日本に伝わって数何百年と経つ内に、臨済宗はだんだんと日本化していく。それを堕落ととらえ、中国より来日して、改革を試みるも臨済宗に受け容れられず、やむなく一宗派を立てたのが、「いんげん豆」に名を残す隠元禅師で、本山は京都宇治の萬福寺である。

仏殿は中国明朝風の建築様式で、Nさんは日本の建築様式の基準とは全く異なる様式だという。仏殿の床は敷瓦がしかれ靴のままで入れる。これも黄檗宗の特徴である。本堂の裏手に茅葺きの方丈があり、仏殿、方丈ともに国指定重要文化財だという。

日暮れが近付いた中を、新東名に乗ると、30分ほどで金谷まで帰ることが出来た。Nさん、何から何までお世話になって、ありがとうございました。 

(終わり)

 

 

 
 
 
 
 

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