自分古文書(15)6年A組 47年目の同窓会(4)
2025.11.25
夜、熊本の山地で震度5強の地震が発生した。熊本での大地震は6年前の6弱の地震以来である。最近は、遠い地域の地震でも、緊急地震速報で驚かされる。
自分古文書(15)6年A組 47年目の同窓会の第5回である。ようやく同窓会が始まる。
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宴会は、長※政憲氏が仕事の都合で遅れるとの断りがあって、時間通り6時から始まった。まずは長※先生の喜寿の祝いの紹介と記念品の贈呈があった。奥さんも同い年だと思ったので、奥さんの歳を伺うと76.5歳だという。つまり12月には喜寿ということである。重ね重ねおめでとうございます。先生のお礼の言葉があって場がほぐれた。
今回、鈴※俊輔氏が奥さんを連れてきていて驚かされる。席が隣になったので、いろいろと昔話をした。小学校6年から中学1年ごろ、放課後は、いつも俊輔氏と一緒に長※先生の家に入り浸り、裏の畑でグミやクルミを取ったり、奥さんとトランプをしたりして遊んだ。夕方、先生が帰って来ると入れ替わりに家へ帰るという、まことにのんきな生活をしていた。よく奥さんも付き合ってくれたものだと思う。
あるときは焼き物を作るといって瓦屋さんに行って土を手に入れ、こねて器を作って、先生宅の裏の畑に勝手に穴を掘り土を盛って作った窯で焼いた。当然、肉厚の土器ぐらいしか出来ない。表面にガラス質の瀬戸物のような器を作りたいと子供心に考えて、そのためにはガラスを混ぜれば良いだろうと、ガラスを細かく砕いて入れようとしたことを覚えている。もちろんそんなことで出来るはずもなく、大人に止められたのか、最後までは作った覚えはない。やっていたら手など傷だらけになっただろう。鈴※氏の奥さんを間にして、俊輔氏も時々会話に割り込んで、そんな昔話をした。
また、奥さんは岩手県の出身で、今度京都市に併合されたが、京北町は岩手からは遠い。幸い、俊輔氏の父母が京北町の田舎暮らしが気に入ってくれて、春から秋までは京北町に住み、お正月を越す冬だけお兄さんのところへ帰るという暮らし方をしているという。田舎暮らしはお年寄りにもいっぱい仕事があって、それが生きがいになって、長くいてくれるのでしょう。私の両親も静岡に来るたびに裏の畑やら庭の手入れを楽しみにしていましたと話した。
7時ごろ、長※政憲氏が小田原で講義を一つこなして来たといい、そこで全員で記念写真を取った。銘々へのお土産の中に写真立ても用意されており、明日の朝までに焼き増すのでその写真立てを使ってくれという点までは、手回しが良くて“やるじゃない!”であったが、翌朝配られた写真はデジカメの解像度が悪くてピンボケであった。“残念!”
席を移して花粉症に効く“べにふうき”の話をしてみた。みんなに聞いたら、花粉症の人が女性3人(脇※美・坂※志・坂※浩)、男性2人(加※賢・長※政)いた。約3割で統計通りである。皆んな春には苦労しているようだ。もってきたのが3袋だったので、女性陣に進呈し、男性陣には後で送ると約束した。効くのは70%の人というから、来年の春に使ってみて、もし効くようだったら、私の関与している会社だから、直接注文してやって下さいと頼む。
昨年の台風23号の豊岡水没のときは被害があったのは加※賢二氏、一人であった。テーブルの高さまで水が来て、車が2台水没し、アンテナの先だけが僅かに水面に出ていたという。
(つづく)
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