町の80代以上の男どもはどこへ / 散髪屋にて

昨日、金毘羅山公園唯一の紅葉は
桜の枝に巻き付いた蔦の葉だった

2025.11.28 

午後いちで、行きつけの散髪屋さんに行った。いつもの親父さんはまだ昼食中なのか居なくて、息子さんが髪を湿らして下準備をしてくれる。親父さんは一度体調を崩して休んだことがあったので、体調を聞こうとした質問を呑み込んで、「最近、髪が薄くなったことに気付いた」と話すと、「まだたくさんある方ですよ」という。「髪はたくさんある方が散髪はやりやすいのだろうね」ときけば、「そうですね、それでも色々です」まあ無難な答えだろう。

親父さんを呼びに行って、出て来た。体調は大丈夫かと聞く言葉も呑み込んだ。「同じ班で永年付き合ってきた亭主が皆んな先へ逝ってしまい、寂しくなった」と話す。つくづく町は住民と共に歳をとっていくものだと思う。我が班も出来てから50年近く経って、ある時は、冗談にもう「定年通り」だねと自笑していたのが、いつかそれが「年金通り」になり、付き合ってきた亭主たちが皆んなこの世を去って逝き、「葬式通り」から、今に「空き家通り」へと変貌して行くのかもしれない。

「なかなか80代の人を見つけるのが難しい。歳を取ると皆んな施設に入るのか、見かけなくなってしまう。最近、老人ホームに散髪のボランティアで行ったが、Aさんがよろしくと言ってましたよ」と散髪屋の親父さん。

「Aさんは会社の先輩で、町の古文書講座に入ったら、そこの受講者で頑張っていたが、そういえば、この頃、見かけなくなった。そうですか、老人ホームに入っていたんだ。」

「頭ははっきりしているし、足腰もしっかりしていて、老人ホームに入るような状況ではないように思ったが、奥さんが亡くなったのだろうか。」 

男性の平均寿命は81歳だから、もっと町にも80代の男性が居ても良いと思うのだが、平均寿命の何歳分かが、老人ホームでの生活になっているのだろうか。

まったく、良い話題ではなかったのだが、散髪が終われば、頭はすっきりと気持ちよく帰宅できた。 

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