「スローライフな日々」(2004~2005日記)5

興津の坐漁荘

2025.11.7 

午後、駿河古文書会に出席。帰り、O氏宅へ「緑十字機決死の飛行」を届けた。

「スローライフな日々」(2004~2005日記)の5回目を載せる。    

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(2005.7.3の続き) 

帰りに興津の坐漁荘を訪れた。明治の元老・西園寺公望が大正8年、興津に建てた別荘で、現在は明治村に移築されて、国の登録文化財として公開されており、跡地が記念公園として残っていた。静岡市では、同じ場所に、建築材料から建築方法まで出来るだけ忠実に坐漁荘を復元したという。昨年春に落成し、入場無料で一般に公開している。(写真は菊池建設のホームページから拝借した)

玄関を入るとボランティアの案内人がついてくれて、建物の特徴を詳しく説明してくれた。説明のいくつかを挙げる。

水に晒した竹、燻した竹、北山杉、杉皮などそれぞれはそれほど高い材料は使っていないが、手間は惜しまずに細工細かく作られている。総工費2億5千万円。数寄屋造りで日本建築専門学校の生徒さんがかなり協力してくれて、その分安く出来たという。

ガラス戸のガラスは昔の手作りの平板を探すのに苦労して、昔のガラスが取ってあって近くの方が寄付してくれた。大きなガラスはなかったので、部分的に機械で作った板ガラスも使われている。確かに側面から見るとでこぼこがよくわかる。

畳や板の間と色々ではあるが、床はすべて平らになっていた。公望公が自分の年齢に合わせて段差をなくする特別注文をしたというが、100年後のバリアフリーを先取りした卓見に脱帽である。

各所の細かい意匠は伝統に則ったものなのだが、新築であるためか随分モダンに感じられた。昭和になって増築された洋間は、曲線を取り入れたドアなど、明らかにアールヌーボーの影響を受けていた。

2階には広い縁のついた和室が2部屋あり、気持ちの良い部屋で下宿でもしたいと冗談が出る。かってはここで西園寺詣でをしてくる国の首脳が西園寺公望と密談をしたのであろう。2階の廊下は鴬張りであった。かっては裏側に砂浜が迫り、漁にいそしむ漁師の姿も見られたに違いない。昭和天皇が皇太子のころ海水浴をされたのもこの海岸である。

下の女中(女官)部屋には政府首脳とのホットラインがあった。また竹格子の芯に鉄筋を入れたり、脱出口を作ったり、廊下を複雑にしてあったりと、軍部などのテロに対処した建物となっていた。

料理は近くの水口屋から運んできて、ここでは温めるぐらいのことしかしなかった。

西園寺は晩年散歩が趣味で、立ち寄った茶店もおばあさんと1時間も話し込み、SPをうんざりさせたようなこともあったようだ。亡くなったときは国葬に向かう遺体を、町を上げて見送ったという。

家に帰ったら4時を回っていた。女子バレーの日米戦は3:1で惜しくも負けた。

(「スローライフな日々」続く)

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