「スローライフな日々」(2004~2005日記)6

 
 天浜線遠江一宮駅改札口で待つ黒柴
一寸目付きが怖い 

2025.11.8

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席する。講師に「歳代記(幕末編)」の解読版を差し上げた。一般に読みやすいように、旧漢字を新漢字に直し、送り仮名を新仮名遣いで補ったもので、金谷郷土史研の会員へ配布しようと考えている。今後半の明治編を解読中である。解読は金谷町史の資料編に掲載されているが、文字を活字に置き換えただけで、読み下しもなくて、古文書解読を勉強したものでなければ、なかなか読めない。しかも誤字もあって、意味不明の部分もあった。そこで、解読版を作ろうと思った。現代語訳ではないので、日記当時に雰囲気は残せていると思う。

「スローライフな日々」(2004~2005日記)の6回目を載せる。    

****************************************************** 

2005.7.5(火)くもり

夜、浙江川﨑の張総経理他3名が日本を訪れ、今夜の宴会に出席を頼まれた。二日酔いで酒の進まない張総経理の手前もあって、酒の進まない宴会に、話がはずんだ。今年は昨年の65%増の売上だと鼻息が荒かった。

そういう中でウーロン茶の話が出て、日本では25年程前ピンクレディが「私たちウーロン茶を飲んでいます」と話した途端、皆んながウーロン茶を買いに走り、一気にメジャーな飲み物になったと話す。中国ではサントリーのペットボトルが逆輸入されてみんなに認知された。ウーロン茶はそれまでは一地方の特殊なお茶にすぎなかった。また、ピンクレディは知らない。中国で当時の若者の間では山口百恵が知られていた。みんなファンだったと話した。柳川君は山口百恵が伊豆の踊り子撮影で伊豆に来ていたときに、三浦友和ととある海岸に遊びにきた。そこに学生の柳川君が来ていて写真を撮ったりしたと話した。

2005.7.13(水)くもり

禎子さんのお父さん、故山本氏の初盆で、女房と森にお参りした後、遠州で半日を過ごした。

まず、天浜線遠江一宮駅をそのまま利用した「笊蕎麦 百々や」で蕎麦を食べる。そこで車で来た夫婦客が黒柴を連れてきた。食事の間、駅の改札口に繋がれて待っていた。「こんなに大人しいなら、ムサシも車で連れ歩けるのにねえ」と女房。この後立ち寄ったアジサイ寺の極楽寺前でもこの夫婦とワンちゃんにあった。極楽寺のアジサイはすでに終わっていた。

この後、水窪の「準天然トロン温泉 やすらぎの湯」へ行く。龍山村の左岸に温泉はあった。浜松市に合併し、浜松市民は200円、それ以外は800円だという。800円は高いとは思わないが、市民の四倍とはひどいと思った。平日で、男湯には最初入っている人は居なかった。湯船から天竜川の流れが一望できるのは圧巻であった。

さらに、「五平餅を食べたい」という女房の言葉に、「くんま かあさんの店」に向かう。横山から山越えをして行ったが、道の駅に発展していた店で、本日は五平餅はないとあり、残念でした。「道の駅 くんま 水車の里」は行政から予算を貰って造った施設ではあるが、お金が切れると余分なところへは力が入らないのか、水車も回ってはいるが、蕎麦を引くのであろう石臼の装置はベルトが外され動いてはいなかった。すでにクモの巣が張っていた。

帰りに「おかの」と「道の駅 掛川」に寄った。結構人が入っていた。レジを手伝っていた駅長の河本さんに「お忙しそうですね」と声をかけた。

夜、美貴子寄る。

(つづく) 

コメント

このブログの人気の投稿

「かさぶた日録」改め「かさぶた残日録」開始

竹下村誌稿の事

金谷郷土史研究会ー”べらぼう見学会”(10日)