自分古文書(15)6年A組 47年目の同窓会(8)

 
城崎、萬年山極楽寺(ネットより拝借) 

2025.12.2 

夜、金谷宿大学の教授会で、夢づくり会館に行く。今日は来年三月の成果発表会の説明を聞いた。もう一年経つのである。

「47年目の同窓会」を続ける。もう一回で終わる。 

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お昼になってしまったが、皆んなと別れて由※達夫氏のお墓参りに行く。松※氏のお店に寄り、昼食に冷やしうどんを頂き、用意してあったお花と線香を持って3人で極楽寺に行く。

由※達夫氏のお墓は何年前だったか女房とお参りに来ている。そのときにも松※氏を訪ねて墓の所在を聞いたとばかり思っていたが、松※氏は由※達夫氏のお墓に参るのは今回初めてで、お墓がどこにあるかも知らないという。我々と極楽寺の前で待ち合わせたときはもうお参りを済ませた後だったという。

意外な話に記憶をたどる。極楽寺のそばに保育園があって園児や先生が園庭で遊んでいた風景が思い出される。確かに自転車で来た松本氏と門前で待ち合わせた記憶もある。しかし、それならお墓の場所をどうして知ったのだろうか。お寺に尋ねた記憶もないから、てっきり松※氏に聞いたものとばかり思っていた。

山あいの斜面に手前から奥にかけて墓地が階段状にある。由※家の墓は2段目くらいにあって、由※家之墓の文字が見えて探すまでもなかった。側に墓碑銘もあり戒名と俗名が丁寧に書いてあった。結局、誰にも尋ねることなく来て、簡単に見つかりお参りしたというのが真相だったようだ。

松※氏と別れて、帰りは岸※氏の車に同乗させてもらった。岸※氏はついでに鳥取に行って久しぶりに両親の墓掃除をしてきたので、車で来ていた。

松※氏はお店をやっていたが、背中の曲がったお母さんは店に出ていたけれども、奥さんはいなかったし、墓参りも店を“準備中”にして出かけてきた。もしかしたら奥さんとは離婚したのかもしれない。昔、彼は京都に恋人がいて、しかし城崎に帰らねばならず、だからであろうか、結婚と恋愛は別だと広言していた。いつか本人が“うつ”になっていたという話も伝わっていた。突っ込んでは聞くのは憚られたがそんな様子にみえた。

鈴※俊輔氏はいつかの同窓会で主夫をしていると言ったとき、みんなに羨ましがられていた。哲学的、思想的な信条として主夫を選んだという理由が今一つ納得できなかった。また俊輔氏は今回奥さんを連れてきたことについて、同窓会の席上で、色々と悩んで長※先生のお宅に一晩泊めていただいたこともあったのに、結婚式にも呼ばず、結婚してから奥さんを会わせたこともなかったので、今回の同窓会を機会に先生に会わせるために連れてきたと話した。

岸※氏の話で、俊輔氏は学生運動をやっていて、警察に追われ逃げ回っていた時期があったという。その結果、まともに勤め先もなく、また宮仕えの気もなくて、職にもつかず女房に稼がせて、自分は主夫と自給自足の農業をやることになったというのである。この話は今日始めて聞いたが、聞いてみると色々な話と符合する。同級生の吉※益頼氏は東京でカクマル派の闘士であったが、今はやはり長野県で農業をやっているという話もある。うまく転向して今では一般の職場で何食わぬ顔をしている人もいれば、40年たってなおこだわりの中で生きている人もいる。

(つづく)

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