駿河古文書会に出席して思うこと
雪がないなあ
2025.12.12
午後、駿河古文書会に出席した。この何回かは、「神徳集」が課題である。但し、B4でびっしりと6ページほどの量は、2時間で扱うには量が多過ぎで、回り番のどの講師も、悪戦苦闘されている。内容について色々調べて来られたものを、披露したいのだが、そこに時間を取られると、解読の方がおろそかになる。
解読は、単に解読するだけではなくて、この会では出席者が、解読に対して色々異見をだして議論するところに、他の講座にない勉強の場が出来ると思うのだが、聞いている側が、異見もほどほどにしないと、終りまでたどり着けないではないかと、気を使って口を噤んでしまうようでは、この講座の良さが失われかねない。
つまりは、もう少し一回の量を減らして、聞く側が異見を述べられる余裕が欲しいということである。また、講師が調べ得た諸情報を話すことも出来る。講座にノルマがあるわけではないのだから、量をもう少し調整する配慮が欲しいと思う。
というわけで、今日、十分に異見が出せなかった点を、以下に述べる。
一つは「将師」と講師が解読された文字だが、「将師」にも見えるが、「将師」という言葉は通常使われない。それを言うなら「将帥(しょうすい)」と言うべきである。横棒一本の違いだが、明らかに誤読だと思った。ただ、押していたので言葉を呑んだ。
一つは「寵愛」と読まれた文字だが、どう見ても「寵愛」とは読めない。自分は「餘愛」と読んだ。ただ、どう解釈するのかは分からない。議論したかった。
その外、言葉を呑んだところが、何ヶ所かあった。帰ってからよくよく調べると自分の解読が違っていたものもあった。
古文書解読に無関係な方、また駿河古文書会に無関係な方には、何のことやら理解できない話で、失礼しました。
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