自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(2)
2025.12.8
「遠江三十三観音巡礼」の続きである。
【歩程】第2番-常楽寺へ、北西へ2.2km
東名を潜り返して、住宅地を少し歩いた小山の陰に常楽寺はあった。ここも無住。観音堂もなく、平屋の建物が一つあるだけであった。結縁寺のお婆ちゃんから聞いていたので、中に入り、上がり込んで朱印を押す。聖観音はそこへ祀られていた。
第2番 曹洞宗 保福山常楽寺(じょうらくじ)
これやこの 常に楽しむ 寺なれば み法(の船に さおやさすらん
【本尊】聖観世音菩薩 【所在地】掛川市下俣
【歩程】第3番-長谷寺へ、西へ1.3km
利神公園でトイレを借りる。リュックを背負った中年夫婦が反対側から歩いて来て擦れ違った。彼らも同類だろうか。声をかけてみれば良かった。そばに利神社がある。どう読むのだろう。傍らには池があり、釣り糸を垂れる人が3人ほどいた。
新幹線と東海道線を北へ潜り、河原石の道しるべに導かれて、長谷寺に至る。本堂へ上げて貰い、朱印を貰う。十一面観音は本堂に安置されていた。
口の達者なおばさんが、説教口調で寺の案内をしてくれた。十二神将像が描かれた横額を示し、自分の干支の像に今日一日の無事を祈れと言い、お蔭で事故を免れた娘さんもいたと話す。境内に降りて、目の前の大木をヒバだと言い、枝が7つに分かれていると説明する。(案内書ではビャクシンで、枝は10に分かれているとあった)
この辺りは掛川駅からそんなに離れていないのに、田舎の景色が残っていると自慢しながら、その直後にお寺の前に広い道路が出来、開発されてこの辺りもすっかり変わると自慢げに話す。満開の枝垂れ梅を写真に取れと言い、子安地蔵を堂に上がって拝めと言う。白く塗った下膨れのお顔は、何処かそのおばさんに似た地蔵尊だった。
堂内には鎌や鉈の絵が沢山貼られていた。子供を授かった人は、男なら鎌、女なら鉈の絵を奉納するのが習わしと説明し、昔は本物を奉納したと付け加えた。男が鎌なら『おかまを掘る』というのはここから出たのか、とは後の笑い話。(由来記によれば、女の時は鉈ではなくて包丁だという)
第3番 曹洞宗 東陽山(長谷寺(
さいこくも 東(あずま)も同じ 長谷寺 参る心は 後の世のため
【本尊】十一面観世音菩薩 【所在地】掛川市長谷
【名木】ビャクシン(目通り3.5m、地上5.6mの所で十本の枝に別れる)
(つづく)
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