パソコンが壊れて リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 2月 15, 2026 パソコンが壊れて入れ替え、復旧に今日までかかった。勝手が違ってまだまだ戸惑っている。今までの調子が戻るには、少し時間が掛かりそうである。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
「かさぶた日録」改め「かさぶた残日録」開始 6月 10, 2025 (5月2日夕方撮影 ”夕暮れの虹” 自宅より) 2025.6.11 19年前、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」 という時代小説に触発されて、「かさぶた日録」なるブログを始めた。 その「残日録」は「日残 リテ 昏 ルルニ 未 ダ 遠 シ 」との言葉で書き始められる。19年前は、まだそこまでは来ていないと、「残」を取って「日録」と決めた。 「かさぶた」は、検索で他のブログとまぎれないように、だれも付けない名前にしようと思い、当時60才直前であったから、「六十」を縦に書くと 「仐 (傘)」に 「 亠(鍋蓋)」を載せた形から、ダジャレで「かさぶた」と命名した。 こんな言葉はブログのタイトルにはしないだろう。案の定、検索すれば、迷いなくたどり着ける。してやったりであった。 ダジャレで付けたが、内には、 いつか、自分の60年の人生で出来た数々の「かさぶた」が、きれいさっぱりと取れないものか、という願望でもあった。 「かさぶた」は「執着心」を指す。「金儲けへの執着」「名誉への執着」「家族、子孫への執着」‥‥‥そして最後には「生命への執着」が取れゝば、大往生である。 18年目になって、毎日書くのに疲れて、時々書くと決めたら随分楽になった。ところが、goo blog がサービス終了というではないか。「かさぶた日録」がどこまで続けるかと考えていたら、 goo blog が先に終わることになった。そのお知らせに愕然として、ブログを書く手が止まった。 色々悩んで得た結論は、 goo blog がやめるなら、別の場所を移して新たに始めよう。天邪鬼である。そして、タイトルも今では胸を張って、「かさぶた残日録」としよう。 今度こそ、 「かさぶた残日録」が終わる時は、すべての「かさぶた」が取れて、大往生したと思っていただきたい。 (今日は79才誕生日) 続きを読む
おたふく風邪と母子手帳/詐欺電話にご注意! 8月 20, 2025 酷暑の裏の畑、ボタンクサギの花だけが目立つ 2025.8.21 一昨夜のことである。固定電話が鳴った。出ると男の声で「おたふく風邪に罹ったみたいで」という。その言い方で、息子からかと思い、疑わなかった。先ほどまで、一緒に巨人戦を見ていて、二階の自分の部屋に上がって一時間と経たない。何で固定電話に掛かってくるんだと思うが、ネット情報などで、どうもおたふく風邪の症状に近いと気が付き、うつしてはまずいと思っての電話だろうと思い込んでしまった。「おたふく風邪に罹ったことがあるか知りたいので、母子手帳はあるだろうか」と聞く。「母さんが今お風呂だから、あとで聞いてみるが、明日の朝、ちゃんと医者に診てもらえ」と答えた。「もう寝るから、また明日の朝電話する」と言って電話が切れた。息子の母子手帳なんて、もう50年以上前のものだ。 翌朝、息子が二階から降りて来て、「整形外科の予約を取ってくる」という。「おたふく風邪なら内科じゃないのか」と聞けば、「おたふく風邪とはなんだ」という。「昨夜、電話で言ってたじゃないか」と聞いても「何のこと?」というだけで通じない。あげく、「夜、夕食後一緒にテレビ見てたじゃあないか。おたふく風邪の訳がない」と言われて、ようやくおかしいことに気付いた。間違い電話か、詐欺電話だったのか。 息子が出かけて、しばらくして、おたふく風邪の主から電話が来た。間違い電話だったらと思い、「あなた誰ですか。名前は」と聞くと、黙っていて答えない。名前も言えないなんて「あんた馬鹿じゃない?」というと、「そっちこそ、馬鹿だ」と言って電話が切れた。馬脚を顕した。間違いなく詐欺電話であった。でも、母子手帳がどう詐欺に使われるのか、それが解らない。 皆さん、「おたふく風邪」と「母子手帳」の詐欺に気を付けましょう。 ********** ネットを見ると、 「おたふく風邪」と「母子手帳」の詐欺 電話の記載が、出るは出るは、ちまたで横行しているようだ。 続きを読む
竹下村誌稿の事 6月 11, 2025 2025.6.12 竹下村誌稿「解読版」A4ー423頁 「竹下村誌稿」 の解読版が出版された。「 竹下村誌稿 」及びその解読版について、「 解読者からひと言 」として書いているので、その紹介に替える。 解読者からひと言 私事であるが、金谷町竹下区(現、島田市)に引っ越して、もう50年経つ。竹下区は、南に国道一号線、北に新東名高速道路、西に大代川、竹下区の真ん中を南北に国道473号線と大井川鉄道が並行して通り、地区を東西に分断している。400年前、瀬が変わりして、大井川の流れが東へ移り、それまで、大井川の本流であった河原が 新田開発され、横岡新田、牛尾、竹下、番生寺、島の五つの村(後の五和村)ができるが、竹下村はそのほぼ中央に位置する。 高々400年の歴史、現在でも300戸少々しかない小さな村に、「竹下村誌稿」という細かい活字で320ページに及ぶ大著があるのを知ったのはいつのことであったか。「竹下村誌稿」という本は、大正13年5月発行の竹下村の地誌である。往時、五和村内の竹下在住の、五和村の村長も勤められた渡辺陸平氏が、集められた大量の史料をもとに、編集発行せられたものである。 図書館から借りてきた「竹下村誌稿」は戦後に町で復刻されたもので、竹下区民には所蔵されている方も多いと聞く。しかし、発刊してから100年近く経ち、活字とは云え、旧漢字、旧かなづかい、句読点もなくて、漢文や古文書は生のまま掲載されて、現代の人にはとても読めないものになっていた。 退職後、古文書解読を趣味としていたので、その勉強の一環として、この本を現代の若い人でも読めるようにしてみようと思った。当時、毎日書いていた、自分のブログ「かさぶた日録」に、解読を毎日掲載しはじめた。 句読点を付け、新漢字、現代かなづかいに直し、格調高い原文の味を損なわないように、意訳はせず、その代わり、(注)をたくさん付けた。ただし、漢文や古文書は読み下して、読み易くした。 そして、五年前に、一年と三ヶ月掛って解読を終えた。いま、この解読文を書籍化しようという動きがある。ただ解読しただけの自分の名前が出るのは気恥ずかしいが、若い人たちに竹下区の成り立ちを知っていただけるならば、本望である。 戦国時代が終わり、平和な江戸時代の初めに出来た竹下区には、おそらく紛争による一滴の血も... 続きを読む
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