金谷郷土史研で「大地震能記」を提供、紹介


山崎久麻呂の記した安政大地震の記録
「大地震能記」の解読版

2026.2.18

午後、金谷郷土史研究会に出席した。10名近い出席があった。

前回の金谷郷土史研究会では、自分が解読したものを提供して紹介した「歳代記」で、話題になった、『中山新道がどのあたりにあったのか』が大きな疑問として残った。その点について、N氏が調べていただいて、その発表を聞いた。結論的には、金谷坂の登りと、佐夜鹿の道銭場(有料道路、中山新道の料金所)あたりと、その後に出来たトンネルの、上にあった峠の部分だけが昔の姿を残すだけで、他は日坂まで旧国道一号線となって、拡幅改良されて、形を変えてしまったという。

写真を見ると、中山新道の内、トンネルの上の峠道は、倒木や落ちた枝などに覆われて、通ることもままならない状態になっているようだ。ただ、写真には既視感があった。その峠には登ったことがあると思った。20年から30年くらい前のことだと思うが、峠は歩いて越えられたように思った。ただ、誰とどういうきっかけで訪れたのか、すっかり忘れているので、その場では行ったことがあるとは、発言出来なかった。

そのあと、掛川の山崎久麻呂氏が書いた、「大地震の記」の解読版を提供して紹介した。前回の「歳代記」に続く、教科書では決して教えない郷土の歴史である。その大地震は「安政大地震」のことである。その揺れがどれほどであったか、庭に逃げ出すのに何度も転んだとか、九つの孫は地震の揺れを面白がって、同年配の友達と庭ではしゃいでいたとか、外出していた息子が急いで家に戻る途中、田んぼに転げ落ちないように道に張り付いて耐えていたが、田の水がバシャバシャと掛かってなど、体験記が続く。(地震を面白がった、孫の「富丸」は十数年後、江戸に向かう官軍を案内した、遠州国学の徒の一員に入っている。)

皆さんにもぜひ読んで貰いたい体験記で、昔の言葉で少し難しいが、解読して十分読めるように工夫がしてある。安政大地震は体験記がいくつも残っているから、別の人の者も紹介したいと思う。そういえば、前回紹介した「歳代記」にも安政地震の記述があった。

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