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12月, 2025の投稿を表示しています

新年明けましておめでとうございます

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    新年明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願い致します 今年が皆さんにとって素晴らしい一年でありますように    ことしの誕生日で80歳を迎える自分 平気で、50年前の話をしていることに、驚くばかりです 残り何年あるか、これからは人のためだけに生きようと 遅ればせながら考えています   残りの人生、どうかよろしくお付き合いください

どうしてこんな世界になってしまったのだろう

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  新年に向けたメッセージを発表する (ネットより拝借) 国連  グテーレス事務総長 2025.12. 31 国連のグテーレス事務総長の新年に向けたメッセージではないが、世界の軍事費が急増し、紛争は第二次世界大戦以来、未曾有のレベルに達したという。力のある国は弱小国には何をしてもかまわないという風潮が世界を拡散している。 ウクライナに対するロシア、パレスチナに対するイスラエル、東南アジアや台湾に対する中国、アメリカでさえ中南米諸国に対する姿勢に同じ体臭を感じる。小国、北朝鮮が核武装化やミサイル開発に、国力のすべてを注いでいる姿勢が、理解できるような雰囲気が醸成されるのが恐ろしい。 第二次世界大戦後の、20世紀後半にはなかった情勢である。人類はどうなってしまったのだろう。80年で過去を忘れて、第二次世界大戦の惨禍を繰り返すつもりなのだろうか。日本は幸いそこまでは落ちてはいないと思うが、核武装を唱える馬鹿な政府高官も出て来た。 今年で80歳になる自分は、戦争のない日本で80年を平穏に暮らせてきた。戦後の復興から、隣国での南北を別ける戦争を好機に、急速に戦後復興を遂げ、勢いは止まらずに、高度成長して世界2位の経済大国になったのもつかの間、バブル景気に浮かれている中に、日本のバブルははじけて、 金と誇ってきた技術力を失ってしまった。 それから30年、経済は低迷し、金を持っていても企業は前向き投資には金を投入しなくなった。 結果、きづいてみれば、誇ってきた技術力さえも、後進国に奪われ、はるか先を行かれてしまった。 今や日本は、円安の進行で、物価が諸外国よりも極端に安いとの理由で、外国人観光客で溢れかえるような現状である。 一方、人口減は著しく、若い人たちは結婚して子供を作るという、生物としての人間の本源を忘れてしまった。このままでは、日本は放っておいても消えてなくなると、どっかの国に見透かされそうである。 それならば、日本はどうして行けばよいのか、 皆んなが真剣に考えるべき時が来ていると思う。高市政権は高い人気に加えて、多党化のよる野党の一部とも、友好な協力関係が得られそうに見えるから、 新しい年を迎えて、 日本の未来についての諸政策を、是非とも前へ進めて貰いたいと思う。  一年を締めて、隣りで紅白の歌声を聞きながら、そんなことを考えた。

じいさん、加点(?)の一日

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   故障した レンジフードファン 2025.12. 30 昨夜遅く帰郷した、かなくん一家。高校二年のかなくんは中々成績が良いらしく、とにかく図書館によく行って勉強しているらしい。そんな性格は誰に似たのであろう。自分の子供時代を考えても、近くにあった図書館には、入ったことすらなかった。 今朝は一家して少し寝過ごして、パパとかなくんは島田のパパの実家へ行った。ママは昼に友達と会うと言い、その前に女房と食料の調達に行った。我が家の息子は運動不足だとか言って、自転車で出かけた。 一人残って、年賀状の残り、島田市内分を一言入れる作業を終えた。これは昼前に投函して済ませた。  そういえば、ガス台の上の排煙装置( レンジフードファンと呼ぶらしい )がニ、三日前に止ってしまってしまい、調理の排煙が出来ない。煙が籠ってたまらないと、息子が修理を呼ぶように言うが、年末でそれもままならない。年賀状が終わって、おそらく電池でも切れているのだろうと、ドライバーを持ち出して、フードの下のねじを外してみたが、電池らしきものもない。そんなに手の込んだ装置には見えないが、やはり自分の手には負えないとあきらめて、ねじを元通りに戻し、スイッチを入れたり切ったりしてみるが、反応はない。 夕食時、息子が修理を呼んだのかと聞く。年末だから無理だろうと答えると、ファン動いているよという。確かに動いている。何としたことだろう。もしかしたら、長押し後三分などと表示のあったスイッチを、その通り押してみたりした。すぐには反応しなかったので、だめだとあきらめていたが、三分後に自動運転を始めたのかもしれないと思った。 それにしても、息子は文句は多いが、自分でドライバ-ぐらい出して、修理の真似事でもやってみろよ、今回のように何かのはずみで直ってしまうこともあるのだから。 “ サイコロ芋甘炒め ” と命名   実は写真を撮ろうとして、 ゴマが振ってないことに気付いて 急きょ振りまぜた  見切りの安いサツマイモを買ってきたようで、夕方、料理をした。皮つきのまま、沢山サイコロ状に切って、レンジに数分かけ、フライパンで、オリーブオイル、バター、砂糖と、自分の工夫で使い残りの蜂蜜を加え、加熱しながらよくからませ、最後にすりごまを振りかける。これが甘くてうまい。明日は掛川のまーくん一家が...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(11)

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  現在の、 文殊寺 内  浄円寺の観音堂 (ネットより拝借)   2025.12. 29 夜、名古屋のかなくん一家来金。いよいよお正月である。年賀状も島田市分を残してすべて発送した。島田市内分はコメントを書くに疲れて、明日に延ばした。  観音巡礼は、 平成五年九月十一日分、5 回目の巡礼の続きを載せる。今日で5回目巡礼は終わる。   【歩程】第十五番‐文殊寺へ、東へ5.1キロ 大雲院の住職のアドバイスに従い、新しく出来た道を真っ直ぐ東へ一山越す。倉真川を渡って掛川駅から北へ真っ直ぐ伸びる道へ出る。朝バスで通った道だからどこかにバス停があるはずと、近くの掛川スーパーに入り聞いたが、バイパスあたりまで下らないと無いなどと要領を得ない。鈴さんが買った『南アルプスの水』を皆で分けて水筒に入れる。バス停が見つからない以上、更に先へ歩くより他はない。次の文殊寺を目指して、東へ初馬に向かって歩く。 文殊寺 内  浄円寺の観音堂前  初馬川の橋の袂から山道を入った最奥に文殊寺はあった。本堂では人寄りがあり、御詠歌の声が聞こえている。観音堂に参拝後、庫裏を尋ねご朱印を受ける。土間にこの季節には珍しく鉢植えの東洋蘭が花を付けていた。    第十五番 曹洞宗 五台山 ( ごだいざん ) 文殊寺 ( もんじゅじ) 内                     浄円寺 (じょうえんじ)          きよくして まどかに照す 朝日影 これも仏の 慈悲のまんぎょう     【本尊】十一面観世音菩薩   【所在地】掛川市初馬 【歩程】殿道バス停へ、南へ0.5キロ 次のお寺に回るつもりで出た道に、予期しなかったバス停(殿道バス停)があった。しかも時刻表を見ると、日に数本のバスがあと三分でここへ来る。何という幸運だろう。これを逃す手はない。先程から足が少し痛むという和さんをはじめ、皆の顔に安堵の表情が浮かんだ。間もなく黄色い掛川バスが時刻表通りに来た。 今日は良く歩いた。この巡礼も三十三ヶ所のうち十五ヶ所をこなし、難所の一つ大尾山も終わり、峠を越したと思う。次回は六~七ヶ所を一気に回れる目処がたった。 掛川駅の駅前通りの若木屋という蕎麦屋に入る。テレビでエベレストを気球で越えた冒険を放映...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(10)

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    瑞霧山大雲院内知蓮寺 2025.12. 28 年賀状の印刷が宛名まで終わった。全部で98通、昨年の賀状 を 見ながらの作業であったが、 随分と賀状仕廻いの文が目立った。当然、当方も送るのを止めることになる。まあ、賀状も100枚で8500円と高くなった。仕方のないことなのだろう。年賀状という日本の文化が絶えてしまうのであろうか。自分のように、巨木の写真と図柄を決めて置けば楽なのだろうが、一から考えるのは大変だろう。巨木の図柄も20数回分並べると壮観だろうと思うのだが。県外の分だけは明日朝出そうと、三行ほどの手書きのメッセージを書き終えた。 観音巡礼は、前回からさらに2ヶ月経った。5回目の巡礼の記録を載せる。  巡礼団尾根道を蜘蛛の巣を払いつつ進む    遠江三十三観音巡礼⑤   第十四番 瑞霧山大雲院 ・ 第十五番 五台山文殊寺   日 時  平成五年九月十一日(土) 天候 晴れ 冷夏の終わりに少しの残暑が来て、それもこの夏何度目かの台風に雲散霧消し、秋になった。この間に和さんが定年を迎え、涙を残して退職していった。しかし、我等巡礼団に定年はない。巡礼を再開する時が来た。 掛川駅から掛川バスの居尻線に乗る。車窓に掛川城が見える。来年春の落成を目指して、今周辺整備工事が急ピッチに進められている。掛川市に良いシンボルが出来た。これで掛川もしまりのある街になる気がする。ヨーロッパに行くと、どんな街にも教会の塔が立って、街のシンボルとなっているが、日本の街にも必要だと思う。バスは我々四人の貸切り状態が居尻まで続く。バスは楽で良いと話す。気を使って運転する必要もないし、待ち時間さえ無ければ最高である。それにローカルなバスは混み合うこともなく、ゆったりと座れる。 居尻で下車。日差しが強くなる気配に、今日は暑くなりそうだと感じる。鈴さんは靴を新調して初めての遠出だと足元を気にする。久し振りの巡礼団は日陰を選びつつ快調に歩む。こんな調子で歩くと早く着きすぎてしまうと冗談が出るほど。原野谷川を橋の上から覗くと魚影が見える。その先では水着で魚を突く若者の姿もあった。 【歩程】原野谷ダムへ、南へ2.5キロ 居尻で我々を下ろして奥へ入ったバスが戻って来て、原野谷ダムの手前で追い越して行く。バスに手を振ると運転手がニヤ...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(9)

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  大尾山顕光寺 (ネットより拝借)  鳥居杉は倒木したと聞く     2025.12. 27 ようやくその気になって、年賀状印刷を行った。明日は宛名を印刷して、遠い所から出すつもりである。  「遠江三十三観音巡礼」の4日目である。3日目から1ヶ月半経って いる。30年まえは7月でもそれほど暑くはなかったのだろう。  巡礼団梅雨末期の大尾山に登る    遠江三十三観音巡礼④   第十三番 大尾山顕光寺   日 時  平成5年7月10日(土) 天候 曇り一時雨 朝方雨が降ったけれども、出掛ける時には晴れ間さえも見える天気となる。この七月に平地を歩くのはどうかと思ったが、梅雨の今ならそんなに暑くもならないだろうと計画する。 前回と全く同じ電車に乗る。掛川では今にも降りそうな雲行きになって来た。天浜線原田駅に下車し歩きはじめる。皆んな家では野菜作りをしていて、前回歩いて勝手を知った道を歩きながら、道畔の野菜畑をそれぞれの自家菜園と比べて、野菜談義に花が咲いた。 長源庵の少し先で、会社の釣り好きの二人、両渡辺氏に出会った。車でその先の川の鮎の具合を見て来て、これから別の川を見に行くのだという。釣り仲間と巡礼団がここで会うとは奇遇である。 【歩程】旭増禅寺へ、北へ三.一キロ 西谷川に架かる中野橋。両渡辺氏はこの川の様子を見に来たのだろう。「かじか」がしきりに鳴いている。良い声である。少し先の川向こうに、今では珍しくなった藁屋根の家が見えた。板壁が黒く塗られてコントラストが良い。母家ではなくて、門を兼ねた物置にでもなっているのだろうか。写真班がカメラを向ける。 「神谷山旭増禅寺」と寺名を書いた大きな石柱が路傍にあって、少し入った所にお寺が見えた。立ち寄って休憩を取る。大きな板状の石の「忠魂碑」があり、「三界萬霊供養」と書いた石仏が数体並んでいる。無住のようだが、檀家が支えているのか、管理の行き届いた立派なお寺であった。賽銭を撒き、手を合わせた。 【歩程】西之谷簡易郵便局へ、北東へ三.六キロ 西之谷簡易郵便局は、地図には郵便局のマークがあったが、今はポストだけで、郵便局は廃業したように見えた。ただ字の消えかかった木製の看板がまだ掛かっていた。 休憩後、登りに入る。舗装された農道を少し...