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定年後の日本人は世界一の楽園をいきる

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時代がかって見えるが 昨日の静岡新聞に間違いない   2026.3.31 「定年後の日本人は世界一の楽園をいきる」 70代最後の年度末にあたって、ブログにこんな題名が付けられるのは何とも楽しい。 昨日の朝、新聞を開いて一面下の書籍広告欄にそんな文字が踊っていた。 佐藤優氏の新刊の広告である。外務省のノンキャリア職員として、ロシアの日本大使館に書記官として勤めるなど、概して東欧事情に詳しいとは知っていた。 作家デビュー以来何冊か本も読んだと思うが、その強面の顔や、予測不能な行動も含めて、その後、自分の興味からは離れて消えていた。しかし、この本は図書館に入ったら読んでみたいと思った。 表題だけではあるが、自分の今の思いを述べていてくれるように思った。 会社を退職した15年前、これからは別の人生が始まると思った。それまでは、会社の金庫番などと自称して、毎日、他人(ひと)のお金を勘定するのが仕事だった。会社で知った知人友人もすべて金がらみのの関係だった。会社を辞めて、即、年金も貰うようになったから、これからはお金とは無縁な人生だと思い、会社で得た知人友人とは、趣味で付き合った人たちを除いて、全て関係を断った。 そして、始めたのが古文書解読という趣味。今は「金の掛からない道楽」と言うことにしている。そこから始まった知人友人はお金の絡まない関係だと思っている。 今では、毎月、六講座に出席し、その内三講座は講師をしている。三講座の受講生が合わせて30人ほど、友人知人には60代から80代がほとんどだから、しばらく会わないと、永のお別れになってしまうのが何ともつらいが、そんな知人友人とはどんなに親しくなっても、学歴や職業歴、家族の話なども全くしないし、興味もない。 過去については、聞くも聞かれるも愉快であったことはほとんどない。 この頃、「 あなた先生をやられてましたか」と聞かれて、「先生をやっていた人は、最初から断りもなく椅子に座って講義はしませんよ」と笑いあった。先生をされていた方は、講義は立ってされる人が多い。座るにしても、必ず断ってから座られる。 そういうわけで、今の自分にはストレスがほとんどない。いつまで続けられるかが心配ではあるが、これはもう「楽園」というべきなのであろう。

今頃始めたこと、解読読み下し古文書の冊子化

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  完成した六冊の冊子 2026.3.30 午前中に、自分たち夫婦の主治医と決めているS医院へ、2ヶ月に一回の定期検診に行く。今日は二人とも、検診に加えて 血液検査をするべく、採血を受ける。 「かさぶた日録」から「かさぶた残日録」に代わって、ブログに読んだ古文書の解読文を載せることは止めた。代わりにブログを始める以前に、色んな場面で自分が書き留めていた文章を「自分古文書 」として、少しずつ載せることにして、すでに長短17の文を載せている。面白いと思って貰えるかどうかは分からないが、自分にとっては大切なものである。 古文書解読 文を載せるのは 止めたといっても、古文書の解読は毎日のように行っている。61歳で始めて、もう20年近くになる。自分の解読の仕方は、パソコンでテキストに落としながら読んでいるので、読んだ文書の解読文はすべてパソコンに残っている。 最近、パソコンが壊れて、瞬間、自分の20年が消えたかと思ったが、パソコンを新しくして、何とかすべて復旧できた。 昨年の終り頃から、この20年に自分が解読してきた古文書を、古文書解読の勉強が無くても読める形に、読み下したものを、残したいと思うようになり、作業を少しずつ始めた。 今日までに以下の六冊を作成した。それぞれB4の紙にプリントして簡易に冊子にまとめてある。    1 歳代記(幕末編)      松浦幸蔵著   2 歳代記( 明治編)        〃    これは、幕末から明治にかけて、大井川渡しの川役人を勤めた松浦幸蔵さんの、金谷宿に起きた事を書き綴ったもので、金谷町史にもその解読文は載っているけれども、それを新たに解読し直し、読み下して皆んなに読めるようにした。     3 安政 大地震能記        山崎久麻呂著 安政の大地震の実体験を、掛川上垂木の 山崎久麻呂さんが書き記したもので、登場する孫の富丸は、後に官軍江戸攻めの際、先導する遠州国学学徒の一人として参加している。    4 大井河源記(前編)     桑原藤泰著   5  大井河源記(後編)        〃   江戸後期、駿河町奉行の肝いりで、駿河の地誌「駿河記」の編輯が企画されて、各地の在野の学者6人に委嘱されたが、途中で多く亡くなって、実現できなかった。志太郡の担当だった島田在住の桑原黙斎(藤泰)さんが、その調査の一環で、...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(25)

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『伊達方一里塚』  皆が勤めていた会社の近くであった 2026.3.29 東海道ウォーク八日目を続ける。 ************************************* 伊達方の入口に塩井川原のサインがある。逆川へ降りて塩井神社に渡る橋は、木の橋板が増水した時は流れてもよい様に、ワイヤーで繋いである橋だと思った。ここに塩水が湧き出るということで、この神社が出来た。この山の中に鯨の伝説があるのも、塩からの連想であろう。 日坂宿  1.3km   → 【掛川市 塩井川原】  →  掛川宿  5.4km 毎日通勤時に見て通る『伊達方一里塚』は最近新しくなった。日本橋から数えて五十七番目の一里塚だという。新しい石柱と松の木が一本。磨いた石のベンチで休憩をとる。さらに国道へ出て諏訪神社のところで旧道へ入り、再び国道へ出る所に本所のサインがあった。 日坂宿  2.5km  →【掛川市 本所】 → 掛川宿  4.2km 国道を三十分ほど歩き、昔の榛葉シボリ、今のヤマハの角のうどん屋『さぬき』へ入り、天ぷらざるうどんを食べた。ヤマハの角には成滝のサインがあった。 日坂宿  4.5km  →【掛川市 成滝】 → 掛川宿  2.2km 福天大権現の標石が柵に囲われてあった。これより旧川崎街道が始まる。 東海道スタンプ「掛川城」 掛川市街の入口、逆川に掛かった馬喰橋は、馬の顔をデザインした橋である。渡った右岸に葛川の一里塚の石柱と角柱に笠だけのったシンプルな秋葉常夜燈が並ぶ小公園があった。橋の角の『もちや』という食料品店で、名物の『振袖餅』を買った。また『東海道』スタンプ『掛川宿』を押した。駐車場の隅に馬喰橋一里塚跡のサインがあった。 日坂宿  5.9km   → 【馬喰橋一里塚跡】  →  掛川宿  0.8km 『新町七曲り』にさしかかって、地図を片手に評定をしていると、自転車に乗ったおばあさんが通りかかり、わざわざ降りて、七曲りの旧東海道を教えてくれた。最後にぜひお城も見ていってくれと勧められた。地図を確認しながら、横町を右へ左へ曲がって行く。七曲りの真ん中辺りに掛川宿東番所跡のサインがあった。 日坂宿  6.7km   → 【掛川宿 東番所跡】 ...

駿河古文書会の発表当番で(続き)

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庭の今年も終わりのツバキ 今日も花見には行かず 2026.3.28 昨日、駿河古文書会の発表当番だったことを記した。きょうはその続きである。 楽しくなければ、「古文書講座」を行う意味がない。古文書講座の受講者は、年を取ってからの楽しみで、受講している人がほとんどである。それに応えなければ、講座の意味がない。「楽しい講座」それが自分のモットーである。しかし、扱うものが地味なので、なかなか楽しくするのは難しい。 最初にどうすれば講座を聞く気になってもらえるか。次のような話をした。 学生時代の友人で大学教授、それも憲法学の教授になった友人がいる。ある時、その友人に、憲法のような堅い講義で、どのように学生たちを聞く気にさせるのか、そんなコツがあったら教えてほしいと聞いたことがある。 彼は、講義に限らず、どんなことでも最初が肝心で、いかに相手の心を掴むかが肝心である。いきなり本題を話しても、若い学生たちは付いてきてくれない。 最初は、今朝の電車での出来事であったり、身近なことで話題を見つけて、そんな話でこちらを向かせることが大切で、最初の掴みが出来たら、もうこっちのものである。堅い話であっても、こちらの話を聞いてくれるようになる。 彼はその掴みで、ダジャレなどもよく使うと話した。そういえば、昔、学生時代、仲間内でダジャレが大流行で、いつもそんな言葉遊びを頭に置きながら学生生活を送っていたように思う。60年前の話である。 当時のダジャレで、今も覚えているのは、当時は携帯電話などという便利なものはなく、固定電話しかなった。打ち合わせ中、電話だよと呼ばれて、電話を終えて戻ってきたら、再び電話だと呼ばれ、さらに三回目。「もうそんな電話には でんわ 」 「電話にでんわ」には、この受講者の中に反応してくれた人も何人かいた。しかしこの頃は、家庭内でも、ダジャレを言っても気づいてくれないことが多い。 冒頭でそんな話をしてから、発表に入った。この講座でのつかみの話になったのかどうか。まあ、皆さん当番でここへ立たねばならない人も多いから、少しでも参考になったら幸いである。帰りがけに、面白かったよ、と声を掛けてくれた人もいたから、少しはためになっただろうか。

駿河古文書会の発表当番で

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世の中、桜の話題で満開なのだが 我が家の庭には桜がない で、この花を見つけた シレネ・ピンクパンサー 和名 ツルコザクラ 明日でも花見に行こうかなあ 2026.3.27 午後、駿河古文書会、今年度最後の例会で、静岡へ行く。 今日は自分が発表当番で、課題が与えられていた。「上青島村捨物取計一件」藤枝の古文書なのだが、字が細かい上に虫食いが多く、しかも印刷されたテキストは、虫食い跡を消すために処理したために、本文までも細かい部分が多く消えてしまって、読むに大苦労して、それでもたくさん読み取れない部分も残った。 一応は読んでみたが、これでは講座が出来ないと思い、N会長に元の原文と合わせて見て頂きたいと、自分の穴だらけの解読文を渡して お願いしたところ、さっそく週明けに照合されて、穴を埋められた解読文が送られてきた。 それを元に、解読文を作り直し、会員分のコピーを作って、担当理事がコピーしておいて頂いたものと差し替えて、今日の講座となった。これなら何とか講座になる。 なお、講座の前に、N会長が入手された原文を見せて頂いた。思った通り、虫食いの多い古文書であるけれども、虫食いがひどい部分はあるけれども、大概は読み取ることが出来る。その原文もお借りして講座を実施した。 時間が掛かりそうに思ったので、「今日は読み返しは出来ません。その分、ゆっくりと読みますので、ご意見、ご質問はその場でお願いします」と断って講座を始めた。 始めて、これは大変だと思う。皆さんが見ているのは、印刷されたテキストで、それと手元には、そのテキストからは読み切れない差し替えの解読文が 渡してある。そして自分の手元にはN会長から借りた原文がある。この三種類の文書のどれをよみあげるべきか。結局は会員の手元にあるテキストを読んで行くしかない。でも読めない部分は原文と解読文を見て説明するわけで、資料から目を移す度に、どこを読んでいたか、位置がわからなくなるため、うろうろする。 そんなこんなに時間を取られ、終わったのは丁度2時間後の4時ちょうどであった。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(24)

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  現在の 小夜の中山、久延寺 (ネットより拝借) 右手太い柱に支えられているのがクスノキの古木 2026.3.26 東海道ウォーク八日目を続ける。 ************************************* 菊川の宿から小夜の中山に登る坂を青木坂という。登り口に十メートルほど石畳が作られている。鈴さんは膝を傷めて、今日はいつもの勢いがない。本日最大の登りの青木坂はこたえるようだ。 青木坂を登りきった所に久延寺がある。久延寺の真向かいに『接待茶屋跡』の石碑が説明板付で設置されていた。芭蕉が「馬に寝て残夢月遠し茶の烟」と詠んだのは、この茶屋の煙だったとの説もある。久延寺の塀から外へ太い枝を伸ばしていたクスノキは、以前見たとき枯れそうに見えていた。しかし、大きな枝を落とされてこじんまりとはなったものの、まだ健在であった。ところが境内の『夜泣石』の傍らにあった、枝振りの良い家康お手植えの五葉松は、松食い虫のせいか旱魃のためか、樹勢が弱って、幹には栄養分の注入努力の跡も見られたけれども、あえなく立ち枯れていた。四百年近い樹齢の木が我々の時代に枯れてしまうとは、いかにも残念である。 久延寺隣の峠の茶屋『扇屋』には、名物おばあさんが店番をしていた。年は九十八歳で耳も良く記憶力も良い。茶店は三百二十四、五年経つと話してくれ、遠州七不思議のことを書いた本をしきりに勧める。名物子育て飴を皆んな一本づつ頼む。瓶から固まりをつまみ出して割り箸に巻きつける。褐色の半透明の飴はわずかに甘いが、口にくちゃくちゃ付いて始末が悪かった。あとで鈴さんは洗いもしない手で飴をつかみ出したことをユーモラスに指摘した。『東海道』スタンプ『日坂宿』を突く。 東海道スタンプ「夜泣き石」 それより、小夜の中山、点在する人家と茶畑の間の道沿いに旧東海道の痕跡が点々と残っていた。小夜の中山公園の先に、日本橋より五十六里の『小夜鹿の一里塚』があった。土盛りは無く石柱が一本立っていた。鎧塚は中先代の乱のおり北条時行の家来、名越太郎邦時が、京へ登らんとするに、今川氏に打たれて埋められた地である。また、白山神社という路傍の祠の前に、小夜の中山のサインがあった。 金谷宿  4.6km   → 【小夜の中山 白山神社】  →  日坂宿  1.4km 長丸い石に『馬頭観世音』と...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(23)

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  金谷坂石畳 (ネットより拝借) 2026.3.25 来年度の三講座のテキストは、「喜三太さんの記録」を3分割して行うことに決めて、その古文書の解読作業を 少しずつ 始めた。字は少し癖があるが、読みやすい方だろう。全体で140ページ、読みでのある古文書である。 東海道ウォークも金谷までやってきて、いよいよ後半八日目で、金谷より西へ向かう。 ************************************* 掛川城は市民全員を観光ボランティアにした? 金谷宿 → 日坂宿 → 掛川宿 日時7年9月30日(土) くもり 前回の東海道から二ヶ月半経った。この夏は大変な猛暑で、とても平地を歩く気分にはなれなかった。九月になっても予定がお互いにつかず、とうとう九月最後の日になってしまった。何とか今年中に静岡県の部分を終えたいというのが目標である。 集合は金谷駅であったが、今日は電車には乗らず、ここから歩き始める。曇り空だが何とか一日持ちそうである。駅から下って、金谷宿の一里塚跡のサインで前回に繋ぐ。この一里塚は鉄道建設で潰されてしまった。それまでは榎が植わっていたという。 島田宿 3.7km   → 【金谷宿 一里塚跡】 →  日坂宿 6.2km 石畳茶屋は十時からしか開かないという。本日は見えなかったが、茶屋の裏には富士山が眺望出来る展望所があった。茶屋で石畳のスタンプをつく。 石畳茶屋のすぐ上に庚申堂がある。側にはすでに文字も判読出来ないほど古い『鶏頭塚』が立てられている。芭蕉の弟子と言われる六々庵巴静の句碑である。 あけぼのも 夕ぐれもなし 鶏頭華    六々庵巴静 金谷坂(石畳)は臼さんの散歩道で、何度も歩いているという。石畳も苔がつき始めた部分もあって、出来たときからすると随分『らしく』なったと思う。中間あたりに六角堂地蔵尊があった。六角堂は扉の鍵が壊れていて、中が開帳出来た。双身のお地蔵さんで道祖神のように見えた。金谷の人が彫った拙さの残るお地蔵さんであった。金谷坂を登りきると、車道脇に芭蕉句碑と明治天皇 駐輦(ちゅうれん) 跡の碑がある。芭蕉の句碑は『野ざらし紀行』で詠まれた次の句である。 馬に寝て 残夢月遠し 茶の烟    芭蕉 菊坂を下る。下り初めの数十メートルだけ、農道を新たに付け替えて、平成の道普請により石畳が再現されていた。 菊川...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(22)

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  大井川川越遺跡町並み 2026.3.24 この4月からの新受講者は金谷2名、まきのはら2名、来年度も30名ほどで実施できそうである。今日、新受講者へ案内を送る。 東海道ウォークは七日目を続ける。 ***************************************** 静岡銀行島田支店前には、塚本如舟・芭蕉連句の碑があった。この地に塚本如舟邸があった場所で、芭蕉が川留めに遇い滞在して交流があったのだという。碑面は芭蕉の直筆だといわれている。 やはらかに たけよことしの  手作麦 てさくむぎ     如舟 田植とともに たびの朝起      はせを 島田信用金庫本店角にも、芭蕉の碑がある。これも如舟への挨拶句とされたものという。 するがの国に入て    はせを するがぢや はなたち花も ちゃのにほひ 川越遺跡入口の標識のそばに、島田宿の三つ目のサインがある。ここまで掻き氷の気に入った店がなくて来た。諦めて、この角の自動販売機でスプライトを買って飲む。 藤枝宿  9.5km   → 【島田宿】  →  金谷宿  0.7km 島田宿大井川川越遺跡町並みに入る。これだけの古い町並みが、こんな近所にあることを、最近まで知らなかった。幾つかの番宿は島田市の管理に移り、中が開放されていたので見学する。平屋で表から見ると小さな家かと思うが、意外と奥行きがあって中は広く感じた。 旅人は川会所で川札を買う。連台の台札と肩車の油札があって、料金は川の深さによって変動する公共料金であった。川会所に上がると、これらの説明がラジカセから流れた。表には芭蕉の句碑があったようだ。句を書いた看板には気付いたが、句碑は見過ごしてしまった。 馬かたは しらじしぐれの 大井川    はせを 東海道スタンプ「大奴」 『東海道』スタンプ『島田宿』を押すためと、トイレを借りる目的で島田博物館に入る。博物館は何度目かの入館である。階上では東京の蒐集家による、世界のスプーン展が開催されていた。テレビ局が来て撮影をしていた。 川留めにからむ悲恋物語が、浄瑠璃の「生写朝顔話」として語られているが、その物語に登場する『朝顔の松』は昭和の始めまで元気であった。今は三代目の松が植えられている。そばに巌谷小波の句碑が建立されている。 爪音 ( つまおと) は  松に聞けとや ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(21)

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  鏡池堂外、六地蔵 (ネットより借用) 手前が新しい六地蔵 背後に古い六地蔵が残る 2026.3.23 明石のまたいとこT氏から、名物「ちりめん山椒」が送られてきて、お礼が遅くなったが、今朝電話した。確か昔、歴史好きだったのを思い出して、古文書の解読版を読んでみる気があるか聞いて、読んでみたいとの返事に、「歳代記」、「大井源流記」、「安政地震」の記録2題を送ることにした。日本のあちこちに広がってゆくのは楽しい。 東海道ウォークは七日目を続ける。 ***************************************** 東海道は再度国道の南側を沿ったり離れたりと、西へ進む。『田中藩領傍示杭蹟』の標示杭があった。傍示杭蹟はさらに先にもあった。どの傍示杭であるかは不明だが、田中城跡の学校の庭に移されている。 お堂があって老人が集まっていた。角地にお地蔵さんが何体かあり、そのうち新しく出来たと思われる、一面に六つの小さな像を浮き彫りにした地蔵像は珍しいと思った。ここも駿河国百地蔵に入っていた。六地蔵の先には『古東海道蹟』の標示杭や松並木が残っていた。 『瀬戸の染飯』の版木を保存している石野家を示す標示杭がある。そばに千貫堤の跡が残るというが、気付かずに通り過ぎた。往時、大井川がこの辺りまで流れていて、度々洪水を引き起こした。田中藩ではそれを防ぐため堤を築いた。その労銀が一千貫も掛かったのだという。 その先に人材育成のため作られた『育生舎跡』の標示杭や二つ目の『田中藩領傍示杭蹟』の標示杭があった。 外注工場の『松浦製作所』前を通る。臼さんは検査をしていた関係で、顔見知りの青年がいて、立ち話をして遅れた。立派な松並木が断続的に続く。近くの町工場の従業員が昼休みを終えて戻って来るのを遠目に見ながら、休憩を取る。涼しいとはいえ七月である。出る汗に少しの風がありがたい。休憩を終えて歩き始めてすぐの松並木の中に、上青島の一里塚跡のサインがあった。この辺りを『一里山』という。 藤枝宿  4.5km   → 【上青島の一里塚跡】  →  島田宿  3.2km 国道一号線に出て歩く。六合駅前の旧道との別れ道に阿知ヶ谷のサインがあった。 藤枝宿  5.4km   → 【島田市 阿知ヶ谷】  →  島田宿  1km ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(20)

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  岡部宿 「五智如来石仏」 (ネットより借用) かなり前の写真のようで、往時に近い画像と思われる 2026.3.22 午後、名古屋のかなくんと掛川のまーくんの一段が帰り、静かになった。昼は七人に、パスタを三種類作った。市販のミートソース、ナポリタン、たらこをベースに、椎茸、エビ、トマト、ごぼう巻き等を使って、ひと工夫した。 東海道ウォークは七日目に入る。この日は岡部から自宅まで歩くことになる。 *********************************************************************** 川留めは島田の宿に文化(俳句)を残す 岡部宿 → 藤枝宿 → 島田宿 → 金谷宿 日時 平成七年七年一八日(火) 曇りのち時々晴れ、夏にしては涼しい 前回からまだ四日しか立っていないが、七月の夏休みの最終日、声を掛けたら行こうということになった。この四日の間に夏の高校野球の県予選が始まったが、二十一日までは一時試合が無いため、この時期、高校野球観戦に忙しい和さん、臼さんともに都合がついた。 今年は梅雨がまだ開けていない。それどころか、今日は、梅雨前線が北の高気圧に押されて、太平洋に下がったため、天候はよくなり涼しくなるとの予報であった。夏場でもこういう日なら歩ける。 JR藤枝駅から新静岡駅行のバスに乗り岡部へ向かう。途中藤枝の通りで和さんが一里塚の標識を見つけたと言う。 前回慌てて乗ったバス停は、正しくは『岡部役場前』であった。『五智如来』が役場前にあるというので、先ず役場へ足を延ばしてみたが、役場の周囲を一回りするも見当たらなかった。バス停まで引き返して、先へ行こうとした所に、屋根を設えられた五智如来石仏像が五体と、その背後に数体の石仏が祀られていた。想像した以上に大きく立派な石仏であった。右から釈迦如来、 阿 閦 ( あしゅく ) 如来、大日如来、宝生如来、阿弥陀如来と並んでいる。田中藩の家老が寄進したものだという。 岡部の町を外れると、旧国道一号線の広い道に、東海道の松並木が残っていた。松のための緑地が残してあって、立派な松が残っている。しかし枯れるものもあるらしく、歯抜けになっていて残念である。枯れるのは自然の摂理なのだから、後代を植えて行けば良いと思われるのだが、そんな様子が伺えないのが残念である。 国道のバイパス...

巨大たい焼きの夕べ

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  巨大たい焼き 息子が集まる甥、姪(孫たち)を驚かそうと 静岡で買ってきた 2026.3.21 午前、午後と、金谷宿大学「古文書に親しむ」2講座を実施した。今期最後の講座なのに、連休の中日故か、出席率が6割ほどと、寂しい限りであった。前もって、入院とか、孫の結婚とか聞いてはいるが、高齢化の進んだわが講座ゆえに、体調を崩されていないか、まさか入院などと、心配は尽きない。ともあれ、今年度の講座は終わった。思ったように、四月に皆さんの顔が再び見れるのかどうか、気がかりである。 昨日、名古屋から来たかなくんに呼応して、掛川もまーくんたちも夕方集まった。まーくん所属の高校野球部、春季大会で早々と3:4で競い負けてしまった。新聞に二塁打と名前が出ていたので、新聞をまーくんに進呈した。高校での残る大会は夏季大会のみとなった。次の大会は甲子園まで道は開けている。ガンバ! 掛川の孫三人は五合炊いた炊飯器持参であったが、五合の飯を三人でほとんど食べてしまった。なんという食欲であろう。 食後、かの巨大たい焼きに掛かった。ナイフ付きで、それぞれ好みの部位を切って取った。食後にも関わらず、次々に手が出て、残ったら大変という心配をよそに、五分の一くらいを残して、巨大たい焼きを、大人5人、孫4人で食べてしまった。恐るべき食欲である。 食後、隣の孫たちが集まった部屋からは、最近始めたという、カラオケの、伴奏なしの、本当の空オケで、歌う声が聞こえていた。時々変調になるが、声を懸命に出している様が面白い。あれは一青窈の「ハナミズキ」のようだ。 掛川の孫たちが家へ帰って、今はようやく静かになってところで、キーボードを叩いている。

駿河古文書会でのあれこれ

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  我が庭の満開のシュモクレン もっとも、撮影は3月9日 今は半分散った 2026.3.20 午後、駿河古文書会で静岡へ行く。来年度前期のテキストを買う。文書会が過去に集めてきた古文書が年々のテキストになっているのであろうが、どうやらそれも底が見えてきたらしく、今までなら使わなかったような教材がテキストに入るようになった。 テキスト作成の担当に聞けば、確かに少なくなってきたようで、テキスト選びに苦慮しているように聞こえた。テキストにする古文書は探さないと、どこにでも転がっているわけではない。会員の協力で集める努力が必要かと思った。 というのは、次回自分の当番で、藤枝の郊外、上青島村の東海道往還に捨てられた物品があって、村役人たちを巻き込んで、騒動になった。役所へ提出した文書の控えが教材になっているのであるが、全体に字が小さくてかすれていて、解読に大苦労した。 それでも多くの文字をその前後の文から推定するなどして、何とか解読したが、捨てられた物を記した別表が、字がさらに小さく、判別できないほどになって、しかも捨てられた物品の羅列に、固有名詞が多用されているから、他との関連で想定することもできない。書きようがなくて、解読には、「・・・・」と表示して誤魔化した資料を担当に預けてきた。 N会長にお話ししたら、「自分も見てみるよ」と応えてくれたので、参考にと、 「・・・・」の入った自分の解読したものを渡してきた。 「歳代記」の解読、読み下し版を、 駿河古文書会の二人ほどに 進呈したところ、O氏から「他にも解読したものがあるのか」と聞かれ、H氏からは、ブログを読んでくれているので、「『大井源流記』が欲しい」と頼まれた。また、合わせて令和七年版の「面白古文書」も読みたいと頼まれた。 また、同じ班のO女史は席がすぐ後ろだったので、持っていた「 歳代記 」を説明を加えて進呈した。 興味を持って読んでくれそうなら、もっと多くの人に読んで貰いたいと思っている。 帰宅したら、名古屋のかなくん母子が帰ってきていた。この土日はにぎやかになりそうである。

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(19)

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現在の十石坂観音堂(藤枝市岡部) 御堂の右手 路傍の石仏、墓石などがここへ集められた  2026.3.19 今日は、明日、駿河古文書会、明後日、金谷宿大学「古文書に親しむ」2講座のそれぞれ準備に一日掛ける。明日は春休みで、名古屋のかなくんたちが来ると電話があった。 東海道ウォーク、六日目を続ける。 ************************************************************************* 国道一号線のトンネルの上を山道で越す。下から車の騒音が立ち上がってくる。 その辺りの道端で、A四番四枚の書類を拾った。「ふれあい見つけ旅(東海道五十三次シリーズ)鞠子~岡部~藤枝宿」という題名の、東海テレビの取材タイムスケジュールであった。一番組を四日間掛けて収録するらしく、今日の十一時ごろ、この辺りを取材していて書類を落としたようだ。書類が少し湿気ていただけだったから、もう雨は止んでいたのだろう。時間的には、今は丁字屋に取材に向かっているようだ。丸子から藤枝の間を行ったり来たりの取材で、それを一つのストーリーに繋ぐと、雨が降ったり止んだり、見る方からすると随分不思議なお天気模様になる訳である。放映は7 月30日だという。ひげ題目の碑を見て、間もなく岡部側に下った。そこに『東海道参勤交代の道』のサインがあった。 丸子宿  2km   → 【岡部町 東海道参勤交代の道】  →  岡部宿  2km 『蔦の細道』は木和田川沿いに登っていくのだが、その入口に広い駐車場と休み処『ほそみち』とネーミングされた休憩舎と、トイレが出来ていた。そこで『東海道』スタンプ『岡部宿』を押す。涼しい風が通り、去りがたくて、ゆっくりと休息する。水飲み場で水をがぶのみした。吊り橋まで行くと、沢が石組みで整備され、水が広がって流れて、涼しい風はここを渡って来るようだ。 東海道スタンプ「玉露の里」 蔦の細道の出口に坂下延命地蔵尊のお堂と『蘿径記』の碑がある。『蘿』とは蔦のことで、蔦の細道の謂われを記録した碑文である。 国道一号線を渡って、日陰を右へ左へと選びながら岡部宿へ歩を進める。道路から石段を二十段ほど上がった所に、十石坂観音堂があった。この観音堂は西行と縁があるという。傍らに石仏が集められ祀られていた。馬頭観音も幾つ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(18)

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「御羽織屋」前にて 2026.3.18 午後、金谷郷土史研究会があった。今日は、今年度活動の報告と、来年度の活動についての打ち合わせであった。 東海道ウォークの六日目を続ける。 ************************************************************************* 道の付け替え工事が進んでいる宇津ノ谷に入る。自動車道から旧街道に入る分岐に『宇津ノ谷』のサインがあった。 丸子宿  0.8km   → 【静岡市 宇津ノ谷】  →  岡部宿  3.2km 両側の古い家並の門口に、旧屋号が『丸子屋』『伊勢屋』などと板に書かれて標示されていた。その一軒の『御羽織屋』では、小田原征伐の折りに、秀吉から羽織を賜ったという。中を見学させてくれるというので、先日見たばかりという鈴さんを残して、中に入る。今日はお祖母さんがいないからと嫁さんが案内してくれた。「・・・だそうですよ」というのが口癖の、抑揚のない口調で説明してくれた。 秀吉から馬の草鞋を所望されて、主人は草鞋を三脚分差し出した。なぜ三脚分かと聞かれて、後はお帰りに差し上げますと。帰りを約束するのは勝利を前提にしている。縁起が良いと秀吉を喜ばせたという。帰りに立ち寄った秀吉から、礼にと着用の陣羽織を拝領した。 その陣羽織はガラスケースの中にあった。外側は和紙製、内側に絹を使い、綿を入れてあるという。その後、徳川家康をはじめ、有名人が沢山訪れ、昔は縁起が良いと、この羽織に腕を通したという。そのためかなり擦り切れている所も目立つ。 この羽織の逸話は、おそらく馬の草鞋が三脚分しかないための言い訳として、その場の機転で発した言葉だったのだろう。秀吉も三脚しか無い言い訳であることを百も承知で、それを戦の勝利に結び付けた機知とユーモアを解して喜んだのであろう。ともあれ、褒美としてこの部落は長い期間、諸役を免じられたという。 最後に、この『御羽織屋』で宇津ノ谷名物の『十団子』を買って出てくると、鈴さんは濡れた靴と靴下を脱いで、日向に出してのんびり干していた。 部落の出口に再度『宇津ノ谷』のサインがあった。これより峠道は山道となる。山道とはいえども参勤交代も通った道であるから、2メートルほどの幅を保っている。      丸子宿  1.1km   ...

【活動の記録】と【読了図書】2月15日~3月15日

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車に高齢者マークを付けた 2026.3.1 7 もう、3ヶ月足らずで80歳になる。先日の 自動車免許の高齢者講習で、高齢者マークを付けるように言われた。高齢者マークは前々回、最初の 高齢者講習の時に購入してあったが、付ける機会を逸していた。もう80歳になるのだから、堂々と付けようと思った。だが、駐車場はマークの付いた場所には、抵抗があって、まだ止めていない。 金谷宿大学の成果発表会が済んで、行事が一段落した気分になっている。そこで、この一ヶ月の 「活動の記録」と「読了図書」を記そうと思う。   *******************************************************     【活動の記録】 2月18日   午後、金谷郷土史研究会、 「大地震能記」をテーマに話す 2月21日   午前、 金谷宿大学「古文書に親しむ(初心者)」講座教授。         午後、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」講座教授。 2月24日   夜、金谷宿大学教授会。 2月25日        午後、 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」 講座講師。         2月11日分の実施。  3月2日   新居の旅館「あさしお」に一泊  3月9日   午前、自動車免許高齢者講習 3月11日        午後、 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」 講座講師。 3月12日   午後、掛川古文書講座、予定表へ記載を忘れて欠席。   3月13日   午後、金谷宿大学発表会会場準備。 3月14日   午前、金谷宿大学発表会にてミニ講座実施。         午後、 「 駿遠の考古学と歴史」講座受講。 3月15日   午後、金谷宿大学閉・開 講 式、片付け。   【読了図書】 読書:「 本所おけら長屋(十九)」  畠山健二  著 読書:「本所おけら長屋(二十)」 畠山健二 著 読書:「本所おけら長屋外伝」 畠山健二 著 読書:「灰は灰 新宿探偵鬼束啓一郎」 香納諒一 著 読書:「やっぱり犬は知っている」 大倉崇裕 著 読書:「おれは一万石」 千野隆司 著 気忙しかった割りには、ここへ...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(17)

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丁子屋 2026.3.16 金谷宿大学成果発表会も無事終わって、ほっとしたせいか、今朝はよく寝られて目が覚めたら10時前であった。 東海道ウォークの六日目を続ける。 ******************************************************************************** とろろ汁の丁字屋の藁葺の店に入ると、団体と間違われ奥へ案内されそうになった。とにかく『東海道』スタンプ「丸子宿」を押すことが先決と、案内所で店を広げる。箱根から押して来たと話すとお褒めとねぎらいの言葉が番頭さんからあった。 スタンプ「とろろ汁」 鈴さんの意見で、入口の『芭蕉さんの部屋』の囲炉裏端に席を取る。黒光りする梁には「ちょうな」の痕も残っている。囲炉裏には火が入っていた。とろろ汁セットの『丸子』を注文した。とろろ汁、麦飯、味噌汁、むかご、お新香。ところが、食べている所を団体さんや個人客が、とろろ汁を横目で見ながら、次々と通る。まるで客寄せマネキンになったみたいだ。 とろろ汁を食べ終わって、案内所で関連書籍を見ると、由比の倉沢の望嶽亭藤屋主人の画集が出ていた。かつて訪れたおり、画集を出すと言っていたが、実現したようだ。臼さんは口語訳の東海道中膝栗毛を読んだが、大変面白かったと話す。そこへ初老のご夫婦がスタンプを打ちに寄った。聞くと箱根から打ち始めて、丁度我々と同じ進行であった。なお今日はここで帰ると話す。 店の外には、芭蕉の句碑や一九の歌碑が残っている。 梅若菜 丸子の宿の とろろ汁    芭蕉 けんかする 夫婦は口を とがらして 鳶とろろに すべりこそすれ  一九 一九の歌は膝栗毛の丸子宿の段で、茶店の夫婦の夫婦喧嘩の巻き添えで、とろろ汁を食い損ねた場面の、直後の一首である。 土産物店で鈴さんと和さんは蕗の佃煮を買う。鈴さんの話だと、脱サラで始めた人がいるという。道路を隔てた丸子川の橋の袂に『丸子宿』のサインがあった。 府中宿  4.4km   → 【静岡市 丸子宿】  →  岡部宿  7km 国道沿いの三キロほどの道のりは、余りに暑くて苦行に近かった。しかし、日傘を差すと少しは違うからと、勧めてみたが誰も乗ってこなかった。確かにこの姿で日傘を差せば、恰好よいとは決して言えない。 蔦の細道入口のバス停で一休みす...

金谷宿大学成果発表会あれこれ

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金谷宿大学成果発表会の展示 2026.3.15 昨日、今日と、金谷宿成果発表会が夢づくり会館であった。 展示は、いつも通り、面白古文書12月の昨年1年分の発表と、ミニ講座の内容の展示、および、今回は「竹下村誌稿」の解読版の紹介をして、同誌稿の見本を置いた。 土曜日の朝の「古文書に親しむ」のミニ講座は、来年度、初心者コース及び経験者コースで手分けして取り組む、掛川各和村の「喜三太さんの記録」の、はしがきを解読紹介した。解読が30分ほどで終わってしまったので、自分が古文書解読を勉強して、講師までやるようになった経緯を話した。さらに、自分が解読して、金谷郷土史研究会が活動の一環として発行してくれた「竹下村誌稿」の紹介に時間を使った。 20人ほどで聞いてくれたのだが、会場が大ホールで、聴いてくれた大半が、その舞台で引き続き行われる発表の見学者で、どこまで聞いてくれているのかが、その手ごたえが伝わってこない。講座をやるには会場が大きすぎる。あとで、学長さんが声を掛けてくれたので、何とかならないかと、来年からの善処をお願いした。 今朝の「駿遠の考古学と歴史」のミニ講座では、「竹下村誌稿」の歴史家からみる評価、および宣伝をしていただいた。一つ、著者が誌稿を書く上で、参考にされた参考文献が「竹下村誌稿」の解読版から落ちている点の指摘があった。その参考文献を見ると、著者が勝手に書いたものではなくて、文献を読み込んで書いていることがよくわかる。これはもう、村長さんの余技ではではなくて、立派な学者の姿勢だと著者の渡辺陸平氏を褒めて頂いた。後刻、金谷郷土史研究会事務局のNさんとも話して、その部分を追加で添付しようかと話す。 自分は、みんなが読めるよに解読しようと、自分のブログで毎日少しづつ作業したのだったが、解読版の出版について、その構成は、事務局に任せてしまった。もっと、色々な人の意見を聞いて発行すべきだったか、と反省した。 会場の片づけを始めていると、一人の男性が筆で書かれた影本部分を見ていて、「これは外国語か」と聞く。もちろん「日本語の筆文字だ」と答えると、「こんな字が読めるのか」と聞く。「勉強すれば読めるようになる」と答えると、「あなたが先生か」と言葉を残して立ち去って行った。こういう人も多いのだろうと改めて思い知らされた。 これで、今年度の活動も、あと講座それぞれ1回を残すばかり...

自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(16)

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  夢づくり会館 こんな広い会場でミニ講座 本当はやりにくい 2026.3.14 朝から夢づくり会館で「古文書に親しむ」のミニ講座を行った。午後は会場を移って「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。参加者は20名ほど。昨夜、熟睡できず、今日は妙に眠く、頭もぼんやりしている。 東海道ウォークは六日目に入る。最近、「遠州三みち」が日本風景街道として、塩の道、旧東海道、太平洋岸自転車道を、との新聞報道があった。自分は以前からこの三つの道には注目していて、旧東海道は、今連載しているようにすでに歩いた。太平洋自転車道路は、「静岡県海岸ウォーク」として、自転車道よりもっと海岸寄りを一人で歩いた。この 東海道ウォークの連載が終わったら、それを連載しようかと思っている。塩の道は相良海岸から掛川まで歩いているが、その先は中断したままになっている。この三つの道は出来れば皆さんにも、ぜひ歩いてみて貰いたい。色々の発見があると思う。 ******************************************************************************** 丁字屋でとろろ汁の客寄せマネキンになる 府中宿 → 丸子宿 → 岡部宿 日時 平成7年7月14日(金) 雨の後、晴れて暑くなる 一昨日、出雲へ出張した。仕事を済ませた後、帰りの飛行機の時間までに、斐川町の荒神谷遺跡に行き、古代蓮と大量出土した銅剣・銅矛・銅鐸を見学した。古代蓮は古代遺跡から大賀一郎博士によって出土した2000年前の蓮で、田圃に植えられ、今花盛りであった。荒神谷遺跡では、祭祀に用いられたものであろうか、古墳でもない所から358本の銅剣をはじめ、桁違いの量の銅器が出土した。その出張で新幹線の冷房がきつく、上着を持って行かなかったため、風邪を引いてしまった。コンディションは最悪であるが、一汗かけば風邪も吹っ飛ぶだろうことを期待して、出掛けることにした。 天気予報がかんばしくなく、午前中の降水確率は50%だという。しかし雨が降るくらいの方が暑くなくて良いと思った。静岡駅駅頭に立つといきなり雨が降り始めた。傘を指しての出発となる。新築の静岡中央郵便局に寄る。音楽ホールも兼ねているというが、入った所が吹き抜けになっていて演奏会も出来るようだ。茶壺型にデザインされた風景入日付印を貰う。 御...