自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(16)
朝から夢づくり会館で「古文書に親しむ」のミニ講座を行った。午後は会場を移って「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。参加者は20名ほど。昨夜、熟睡できず、今日は妙に眠く、頭もぼんやりしている。
東海道ウォークは六日目に入る。最近、「遠州三みち」が日本風景街道として、塩の道、旧東海道、太平洋岸自転車道を、との新聞報道があった。自分は以前からこの三つの道には注目していて、旧東海道は、今連載しているようにすでに歩いた。太平洋自転車道路は、「静岡県海岸ウォーク」として、自転車道よりもっと海岸寄りを一人で歩いた。この東海道ウォークの連載が終わったら、それを連載しようかと思っている。塩の道は相良海岸から掛川まで歩いているが、その先は中断したままになっている。この三つの道は出来れば皆さんにも、ぜひ歩いてみて貰いたい。色々の発見があると思う。
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丁字屋でとろろ汁の客寄せマネキンになる
府中宿 → 丸子宿 → 岡部宿
一昨日、出雲へ出張した。仕事を済ませた後、帰りの飛行機の時間までに、斐川町の荒神谷遺跡に行き、古代蓮と大量出土した銅剣・銅矛・銅鐸を見学した。古代蓮は古代遺跡から大賀一郎博士によって出土した2000年前の蓮で、田圃に植えられ、今花盛りであった。荒神谷遺跡では、祭祀に用いられたものであろうか、古墳でもない所から358本の銅剣をはじめ、桁違いの量の銅器が出土した。その出張で新幹線の冷房がきつく、上着を持って行かなかったため、風邪を引いてしまった。コンディションは最悪であるが、一汗かけば風邪も吹っ飛ぶだろうことを期待して、出掛けることにした。
天気予報がかんばしくなく、午前中の降水確率は50%だという。しかし雨が降るくらいの方が暑くなくて良いと思った。静岡駅駅頭に立つといきなり雨が降り始めた。傘を指しての出発となる。新築の静岡中央郵便局に寄る。音楽ホールも兼ねているというが、入った所が吹き抜けになっていて演奏会も出来るようだ。茶壺型にデザインされた風景入日付印を貰う。
御幸町交差点で旧東海道の前回の行程と接続した。『札の辻』は呉服町と七間町の交差点である。表示した石柱がある。里程元標址の石柱もある。合羽を着た初老の警備員が声を掛けて来た。東海道を歩いていると話すと東海道歩きの人達が時々通ると語る。旧東海道は本通りとは一本南側の通りだというが、雨も降るし道路工事もしていたので、本通りを歩くことにした。案内書では一里塚の標識は本通りにある。注意して歩いて行くと、広い通りの向こう側に『本通りの一里塚』の小さな立て看板と石柱を見つけた。空は暗く雨の止む気配はなかった。
安部川は明治七年に宮崎総五氏により初めて橋が掛けられた。その記念碑が小さな公園に立っていた。側には『弥勒』のサインがあった。
府中宿 0.2km →【静岡市 弥勒】 → 丸子宿 1.8km
安部川餅の店屋の手前に『安倍川義夫の碑』があった。江戸時代、川越人夫が旅人の落とした小判入りの財布を拾い、旅人を追い掛けて届けた。その正直さを顕彰して、後の世の人が建立した碑である。碑には次の文句が刻まれている。
難に臨まずんば忠臣の志を知らず / 財に臨まずんば義士の心を知らず
本日は安部川餅の元祖『石部屋』はお休みであった。小休止するつもりがあてが外れた。雨に風が加わったため、安部川の橋を渡るに際し、合羽のズボンを履くことにする。鈴さんだけは持って来てなくて履かなかった。ゴアテックスの履き下ろしである。「昔なら何もこんな雨の日に下ろさなくても良いのにと言われそうだ」とジョークを言う。安部川橋を渡り始める頃から西北の空が明るくなって、雨の止む気配が感じられた。
手越はお灸で有名で、現在でも幾つかのお寺で灸の手解きをしてくれるようだ。『高林禅寺・手越名灸所』の看板もあった。歩道橋で国道一号線を渡って、丸子の街に入る。雨が上がって日が差して来た。子授地蔵尊近くの『丸子宿』サインの前で、合羽のズボンを脱いだ。
府中宿 2.3km →【静岡市 丸子宿】 → 岡部宿 9km
子授地蔵尊のお堂は道端すれすれで街道に向いており、拝むに難しい位置にある。『駿河一国百地蔵第一〇番』との看板があった。向かいの佐渡公民館前の広場に万葉歌碑があった。
さわたりの/てごにい行き逢い/赤駒が/あがきを速み/こと問わず来ぬ
第一四巻東歌
折り畳み傘をそのまま日傘に差して歩く。少しの恥ずかしさを我慢すれば、強い日差しが遮れて、誠に具合良い。丸子の街の中ほどに「丸子一里塚」の石柱があった。丸子宿の本陣は『丸子宿本陣跡』の標示石柱のみであった。
(6日目つづく)
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