自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(5)

山崎久麻呂の記した安政大地震の記録
「大地震能記」の解読版

2025.12.23

掛川遊家の崎久麻呂の記した、安政大地震の記録「大地震能記」の解読版が出来た。12ページほどのものだが、中々興味深い。どこかでテキストにもしたが、決定版ということにしたい。読み返しながら、自分の解読間違いを幾つか見つけた。古文書解読も中々奥深い。

「遠江三十三観音巡礼」の二日目である。一日目から2ヶ月経過している。

巡礼団桜吹雪の中を行く  遠江三十三観音巡礼② 

 第8番 月見山観正寺 ・ 第11番 高平山遍照寺

 日時 平成5年4月18日(土) 天候 曇り後、遅くなって晴れ

皆の予定が合って、漸く2回目の観音巡りが実施出来た。天候は曇りだが快復方向にあるという。1回目の経験で、歩行距離は1回20キロが適度の距離だということが判った。当初7回で一巡する予定を、少し延ばして、1回の距離を減らすことにした。その結果、第2回は袋井駅から天浜線の遠江一宮駅までとし、札所二ヶ所しか回れなくなった。その代わり、2キロ置きくらいに番外のお寺などを配して、長時間の歩きにアクセントを付けた。

【歩程】宗円寺へ、北へ一.七キロ

歩き初めてすぐ、駅前の緑地帯の中に句碑を見つけ足を運ぶ。

     冬枯れの 中の家居や 村一つ   子規

正岡子規が東海道線でこの辺りを通った折りに作った句だと説明にあった。「家居」をどう読むのか判らず帰宅後広辞苑で調べた所、「いえい」と読み「家を作って住むこと、あるいは住居」とあった。

出来るだけ忠実に昔の巡礼道を辿る。原野谷川の土手では、桜並木がようやく散り始めていた。睦美橋を渡り、十二所神社の所から旧秋葉道の横丁へ入る。幼稚園児の集合場があり、集まっていたお母さん方に挨拶する。そばに、輪を沢山付けたロープがあった。園児に輪を握らせて数珠つなぎに通園させるのだろう。旧東海道を横切り、国道一号線を渡った。

宗円寺は「川井の妻薬師」と呼ばれ、昔から近郷の尊崇を集めている。境内には東南海地震による袋井の犠牲者供養塔があった。昭和十九年、東海地方に巨大地震があった。戦争中のこと故、全て機密事項として、報道されることはなかったが、多くの犠牲者があったと聞く。自分を除く巡礼団それぞれに、その地震の記憶があり、子供の頃に大変驚いたという経験を語ってくれた。

【歩程】海蔵寺へ、北へ二.一キロ

田んぼの中に微妙なカーブを描く旧秋葉道に戻った辺りで、雨がパラパラと来る。見上げると上空に帯状の黒い雲がある。しかし、行く手の北の空は雲が切れているから、心配はしなかった。

橋を東に渡って宇刈川の土手の桜並木を行く。今年は桜の便りが届き始めてから花冷えが続き、桜が随分長持ちした。この桜並木も満開は過ぎているが、まだ散りきってはいない。お茶も随分遅れるようだ。

袋井バイパスを潜り、海蔵寺の近くまでは来たが、海蔵寺が見つからず、近くで庭掃除をする奥さんに聞く。南へ回って幼稚園のところに山門がある、と教えてくれる。目の前に、先週海岸歩き(個人的に靜岡県の海岸歩きをしていた)の時に見た紫の花が咲き乱れていた。もう一つ、この花は何という名前ですか、と聞いた。随分変な人達と思ったかもしれないが、ツルキキョウと名前を教えてくれた。

海蔵寺は今川了俊ゆかりの曹洞宗の寺で、了俊の供養塔があるというが、見つからなかった。ところで今川了俊とは何をした人なのだ? 聞いたような名前だが、誰も知らなかった。
(注)今川了俊は室町時代前期の武将・歌学者。名は貞世。剃髪して了俊。義詮・義満に仕えて軍功をたて、また冷泉為秀に師事し歌学に堪能であった。

久野城址で休憩 

【歩程】久野城址へ、東へ二.六キロ

東名のガードを潜ると前方に小高い岡の久野城址が見えた。室町時代末期に戦国史を彩った久野氏の居城跡である。畦道を最短距離で麓まで行き登る。公園として特別な手の入れ方がなされておらず、自然の儘の小道と草地が気持ちのよい城跡である。石垣も無く、唯一頂上近くに深く掘られた井戸が残り、危険防止のためネットで囲われていた。

頂上の桜吹雪の中でお茶とお菓子を頂く。桜も若木で見晴らしを遮らないので、辺りを一望に出来る。付近に「マムシに注意」の看板があったが、マムシの出そうな雰囲気はなかった。夏にはもっと草が茂って危なくなるのかもしれない。

下って暫く歩いて、和さんが、カメラを持ってきたか、と聞く。てっきり頂上へ忘れたと思い、サブザックを預けて慌てて取りに戻ろうとすると、ザックの中にあった、と呼び止められた。鈴さんが下りがけに忘れ物の無いことを確認して、置かれたカメラをザックに内緒で入れて置いたらしい。この巡礼団は少年のようなイタズラ心を持っていて、油断も隙も出来ない。

【歩程】可睡斉へ、北西へ一.八キロ

可睡斉は秋葉山の里寺で、ぼたんの寺として、最近では『可睡ユリ園』で有名である。秋葉大権現には、大きな一本歯の高下駄が奉納されていた。昔は学生が高下駄を履いたとの話に、自分も履いたと話す。かつては本殿の前にぼたんが植えられていたが、今は西側にぼたん園があった。遠目にユリ園同様入場料を取るのだろうと決めてかかり、ぼたん園には寄らなかった。後日の情報で無料だと聞いて、見物しておけば良かったと思った。

【歩程】観正寺へ、北西へ二.二キロ

森街道を横切り山梨の町に入って、自動車道ではない旧秋葉道を歩く。成道寺という小寺を過ぎて、細い道に突き当たった。公会堂の隣に観正寺の観音堂だけがあった。前庭に「不動岩」と名付けられた、子供を抱いたお地蔵さんのように見える石があるが、残念ながら壊れていた。

参拝後、ご朱印を貰う場所を鈴さんが隣の町工場に尋ねた。連絡を取ってくれて、しばらくしてバイクで老人が着いた。先程前を通った成道寺の寺田親由住職で、パンフレットを寄越した後、「般若心経には難しいことは書いてない、人が日常の生活の中で守るべききまりや、やってはならないことが易しく書かれている、地球の自然には人間に必要な物が全て揃っている、だから、地球を大切にしなければならない」と説教を始めた。これは長くなりそうかと思ったが、話は尻すぼみに終わった。

第八番 曹洞宗 月見山つきみざん観正寺( かんしょうじ)

   いくたびも 参る功徳の たまり水 浮かぶぐせいの ふなよせの松   

【本尊】六観世音菩薩   【所在地】袋井市下山梨上

(つづく) 

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