自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(6)
2025.12.24
今日はクリスマスイブ。もちろん当家にはサンタクロースは来ないし、出ることもない。孫はいるが、他家である。大きくなってクリスマスプレゼントの要請もない。当家の宗教は多分仏教だから、「遠江三十三観音巡礼」(平成5年4月18日、巡礼2日目)の続きを載せる。
【歩程】西楽寺へ、北東へ1.3キロ
再び森街道に出た角の「あさひや」で、昼食に助六と柏餅を買う。昔、西楽寺は大伽藍だったのだろう。遙か手前に、まず薬師堂がある。遠江四十九薬師霊場の第三十七番とある。本堂はかなりの北へ進んだ正面にあった。途中幾つかのお堂の傍に、「西楽寺の大マキ」が幹の裂けた箇所をモルタルで塞がれて、何とか生きていた。本堂で昼食をとろうと話して来たが、ただいま改修工事中で遠慮した。
【歩程】遍照寺へ、北へ1.5キロ
西楽寺をあとにし、山梨の往還からかなり西に入った田んぼの中を、15分ほど歩いて、春岡神社の赤い鳥居のそばの草地で、昼食を取った。やしろは田んぼの中の参道を東へ入った山の麓に見えている。神社の名前が季節にマッチして大変良い。
高平山遍照寺は小高い岡の上にあり、坂が割合厳しい。今朝から左足の付け根に痛みを覚えてきたが、この坂はこたえた。途中の路端にスミレが咲き乱れている。帰りには和さんが少し採取した。あとで図鑑を調べたところ、紫の花で丸い葉のナガハシスミレ、淡紫の花のスミレサイシン、白い小さな花のフモトスミレの三種類であった。
本堂の脇に大日如来の大仏が鎮座していた。開眼いらい二百数十年経つというから、江戸時代のものである。良くみるとかなり補修もしてあるが、明治の廃仏棄釈の嵐にも耐え、この大戦に供出にもならずに、良く残ったものだと思う。
受付口に大黒さんがいて、ご朱印を押してくれた。山の上にいると会話に飢えるのであろうか、しきりに話しかけて来る。みんな悠々自適でいい、とか、歩くことは良いことだ、などと。
宝をば ぐぜいの船に つみおさめ 五色の島へ つくぞうれしき
【歩程】遠江一宮駅へ、北西へ4.9キロ
ここまで、意外と時間がかかったので、計画していた飯田城跡と崇信寺をパスして、一路、遠江一宮駅を目指す。太田川は橋もあったが、低いコンクリートの堰を伝って渡った。川にほとんど水が無くて、昔、飯田の友人宅に泊まった時、川で投網を打って鮎を取った記憶の、面影が全くない。川が死んでしまったように見える。
谷中の簡易郵便局前の自動販売機で、それぞれに缶飲料を買って、道端に腰掛けて飲む。辺りはさすがに次郎柿の本場で、柿畑ばかりが目立つ。今、柿の木も黄緑の新芽が気持ち良く芽吹いている。
遠江一宮駅(天竜浜名湖鉄道)に着いたらすぐに電車が来た。タイミングが良すぎて土産を買う暇も無かった。ところが、遠州森駅から妙にスマートなおばちゃんが乗り込んで来て、土産などの社内販売を始めた。土産を買えなかった巡礼団は、早速、羊羹やら梅衣を買い求める。しかし近距離の交通手段でそんなに売れる筈もなく、結局、原田駅で下りて行くまでに、我々巡礼団だけがお客であった。
(平成5年4月18日、巡礼2日目終り)
コメント
コメントを投稿