自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(18)
ようやく、桑原藤泰が記した「大井河源記」解読版が出来た。歳代記「幕末編」、「明治編」、大地震能記、に続いて、大井河源記「前編」「後編」と、5冊の自家製冊子が出来たことになる。古文書だけれども、解読の素養がなくても読めるようにと、作った解読版である。できるだけ多くの人に読んでもらいたいと考えている。
観音巡礼は、前回から3ヶ月後に実施した。8回目の巡礼の記録である。
巡礼団行く手をゴルフ場に阻まれる 遠江三十三観音巡礼⑧
第二十五番 松島山岩松寺 ~ 第二十八番 拈華山正法寺
日 時 平成五年十二月二十三日(木)天皇誕生日 天候 晴れのち、時々曇り
それぞれの予定が合わなくて、長いブランクの後の巡礼がようやく実現した。それも、先の土曜か日曜の予定でいたところ、連絡の行き違いがあって、土曜日の朝、和さん・臼さん両氏に待ちぼうけをくわせてしまった。そして天皇誕生日の今日、再度計画し直したものである。昨夜、風花が散り、今朝は地面が所々うっすらと白くなっていた。前回自宅まで歩いて帰ったから、今回は待ち合わせの金谷駅まで歩いて繋いだ。
金谷駅駅頭では、すでに三人とも待ち兼ねていた。駅前ガードの傍らの一里塚跡に、旧東海道の石造りの道しるべが出来ていた。「島田宿へ三三町(三.七キロ)」「日坂宿へ一里二〇町(六.二キロ)」とある。ごく最近に出来てニュース種になっていたものである。「東海道ルネッサンス」の一貫で、これから旧東海道の街道筋に、およそ一〇〇基ばかり出来るのだという。金谷はその第一号であった。
石畳の登り口の庚申堂の手前に、石畳の博物館と休憩所を建設中であった。島田の川越博物館の向こうを張って、立派な建物を建築中だった。臼さんの話では、博物館の土地は第一製薬を金谷に誘致する際、製薬のお偉方の住居を建てる予定で供与した土地だったが、住居を建てずに終わり、この度、博物館用地として製薬より提供されたものだという。
石畳の坂の半ばに八角の地蔵堂が出来ていて、「すべらず地蔵」という。坂道を往来する人々が石畳に滑って転ばないことを祈念して、最近造営されたものという。「すべらず」にあやかって、早くも受験生のお参りがあるとか。この石畳には山石が使われている。川原の石は表面が滑らかですべりやすいからである。振り返ると富士山が見えていた。
坂道を菊川の里へ下る。途中数カ所アスファルトが剥かれて、埋もれていた石畳が見えている箇所があり、この坂道も石畳にする予定というから、調査をしたのかもしれない。日陰にはうっすらと昨夜の雪が残っていた。
途中、葬式の車の列とすれ違う。嫌な予感を感じながら、岩松寺の観音堂に向かった。車道を少し登った所に観音堂はあった。ここには「松島の歩き観音」と「新四国第八二番札所根香寺」のお堂も併設されていた。「歩き観音」には、昔この場所で観音像を見つけ、淋しかろうと東海道筋にお祀りしたところ、一晩で元の場所に戻ってしまったとの説話が残っている。
第二十五番 曹洞宗 松島山(まつしまざん)岩松寺(がんしょうじ)
とかえりの 松に涼しき 風たちて 谷にたえなる 音は菊水
【本尊】十一面観世音菩薩 【所在地】金谷町松島
(8日目続く)
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