自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(19)

杖操山妙国寺

2026.1. 28 

どうして写真がピンボケのままなんだと、言われることは分かっている。同行した皆んなに、観音巡礼の報告したものに写真を入れだが、かつては大きな写真は入れられなかった。小さい写真だからこの解像度で十分だった。その写真をそのまま使っている。もっとも、探せばどこかに元の写真があるはずだが、あえて探さなかった。三人とも、思い出だけを残して、あの世に旅立ってしまったから。

はっきり言おう。鮮明な写真を見たら、きっと涙が止まらなくなると思う。だからあえてそのままに置いた。この程度のピンボケでも、涙が出てくる。自分古文書として載せ始める時は、そんなことは考えなかった。歳を取ると涙もろくなるというが、それだけ多くの永のお別れをしてきたためだと思う。 

ともあれ、続けよう。観音巡礼8日目の巡礼記録の続きである。 

【歩程】第二十六番‐妙国寺へ、南東へ1.0キロ

先程の葬式は岩松寺の登り口の山本久夫さんの家であった。しかもご朱印はその家で預かっていると観音堂に表示されていた。予感が当たった。近所で聞くと、せっかく来たのだから貰って行けばよい、と勧められる。出棺した後で、待機していた隣組の人に頼む。何処にあるのかと自信無げであったが、程無く家の中から捜し出して来てくれた。仏さんは92歳のおばあさんで、大往生の部類であろう。留守番に悲壮感はなかった。

一度通りまで戻り、東海道線のガードを抜けて妙国寺に至る。無住のお寺に筆で大きく『砂の灸』と書かれていた。月に一度この寺で『砂の灸』なるものが行われるらしく予定が表示されていた。

第二十六番 曹洞宗 杖操山(じょうそうざん)妙国寺(みょうこくじ)

     はるばると 参りておがむ 観世音 罪深くとも 救い給えや

【本尊】十一面観世音菩薩   【所在地】金谷町神谷城(かみやしろ)

【歩程】第二十七番‐永宝寺へ、南西へ4.8キロ

山越えをするつもりで、切り割になった古い峠を見つけて越えたところ、向こう側はゴルフ場であった。「ホロンゴルフコース」といい、最近出来たものらしく、手元の二万五千分の一地図には無かった。横切って進む訳にも行かず、結局引き返し倉沢の部落を通って遠回りすることになった。

道畔に「孝子岡本弥平の墓」があった。岡本弥平という人はどういう人なのだろうか、いずれ調べようと思う。

吉沢のガード手前でマーケットを見つけ、ようやく昼食に助六を調達出来た。空腹に缶汁粉を飲む。ほどなく見つけた吉沢の児童公園の草地で昼食にした。

永宝寺は公文名の奥の大きな溜池のそばにあった。溜池を越える「野猿」の施設があった。手でロープを手繰り寄せながら向こう岸へ渡る簡易ロープウェイといったもので、リクレーション施設になっているようだ。狭い境内には古木にセッコクやフウランがいっぱい付き、また水苔で固めてぶら下げられている。

瀧生山永宝寺元慈眼寺
  
第二十七番 真言宗 瀧生山(りゅうせいざん)永宝寺えいほうじ)
                      元 慈眼寺(もと じげんじ)

     さえ出づる 月をながむる 瀧の水 すみぬれば 下もにごらず

【本尊】十一面観世音菩薩   【所在地】菊川町公文名(くもみょう)

【歩程】第二十八番‐正法寺へ、南へ4.0キロ

公文名の集落を通り抜け、東海道線沿いに菊川へ向かう。正法寺は線路の南側にあった。疲れた身体を引きずるように今日の終わりの正法寺に行く。寂しげなお寺であったが、お茶の接待を受けた。

拈華山正法寺

第二十八番 曹洞宗 拈華山(てんかざん)正法寺 (しょうぼうじ)

     やつ谷や 梅の名木 のりの寺 うしおにひびく 鐘のおとずれ

 【本尊】聖観世音菩薩   【所在地】菊川町堀田

【歩程】菊川駅へ、東へ1.0キロ

菊川駅まで歩いて本日の巡礼を終える。

平成5年12月23日、第8回観音巡礼終り) 

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